田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

明治時代の号砲台

2020年12月11日 | 街角の風景
 明治22年の市制施行後、正午の告知は市役所屋上の鐘によりなされていた。だが同40年の第18師団設置後は、砲兵隊の号砲により正午が告げられるようになり、市民はこれをお昼の「ドン」と呼んでいた。当時、午砲台は全国各地にあった。  写真は都心部の民家敷地に残る号砲台の記念碑。号砲台は師団司令部の近くにあり、碑は明治43年の建立。題字は初代師団長の筆によるもので、一般的な「午砲」ではなく「号砲」と記さ . . . 本文を読む
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街なかの百日紅

2020年07月28日 | 街角の風景
 風の強い日、この春以来遠ざかっていた街なかへ出た。シティプラザの広場に咲く百日紅。  広場には、解体された市民会館から彫刻が移設されている。豊福知徳氏の「空」という作品。  街の中心部は往事の賑わいはなく静かである。       . . . 本文を読む
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夜の街にライトアップされた教会

2020年01月07日 | 街角の風景
 冬の街を彩るイルミネーション。ライトアップで浮かび上がっているのは、市の中心部にあるカトリック久留米教会。  久留米教会の歴史は16世紀末、久留米領主であったキリシタン大名の毛利秀包が城の近くに教会を建立したことに始まる。いまの久留米市役所が建設されたとき、基礎工事の際に十字架が刻まれた瓦が出土した。鬼瓦が毛利家の家紋と類似しており、ここが毛利が建てた教会跡とされた。遺構調査により教会模型 . . . 本文を読む
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懐かしい風景ー稲を干す

2019年10月19日 | 街角の風景
 ここは熊本県と福岡県の県境、南関町。すぐ横を高速道路が走っている。  稲を干す台を「はさ木」と呼んでいたような気がする。稲架木と書くのだろうか。所によって名前が違う。コンバインで収穫するのが普通となった今ではほとんど見かけなくなった。   米は機械乾燥よりも天日干しの方が美味しくなるそうだ。右は国道443号。トラックが頻繁に通過する幹線道である。    . . . 本文を読む
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耳納連山と彼岸花

2019年09月25日 | 街角の風景
 9月半ばの耳納連山。    最近はドライブに出かけることが少なくなりました。このところ、もっぱら市内の図書館と喫茶店巡り、そして散歩を兼ねてのショッピングモール通いです。           . . . 本文を読む
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サングラスをかけた狸   孫が撮った写真から

2019年07月11日 | 街角の風景
 春休みに孫と行った日田の豆田町で。頭に笠と、手には大徳利と通い帳。信楽焼ではなく石造りの置物。サングラスは私のではありません。     子どものころの私の家は余裕のある生活ではなく、父は家で副業をし、母が外廻りをしていた。家には仕事で使うための通い帳があった。もちろん時代がかった大福帳のようなものではなく、印刷された薄手の冊子である。小学生のときは配達や集金に行く母のあとをよくつい . . . 本文を読む
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巨大な蜜柑

2019年06月12日 | 街角の風景
 国道443号沿いに巨大な蜜柑がある。ここは山川町。合併してみやま市になったが、山川みかんのブランドで知られる蜜柑の産地である。街路灯も蜜柑の形をしている。季節になると国道沿いに蜜柑の無人販売所が点在するようになる。  なかなかリアルな蜜柑で、思わず手に取って食べたくなる。         . . . 本文を読む
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大人の遊び心で

2019年03月02日 | 街角の風景
 近くの公園で。擬木の上に大輪の椿が置いてある。左手の鬱蒼とした雑木林に椿の大木がある。林の中に人家があるので、そこの住人の遊び心によるものか。 . . . 本文を読む
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旧道を走る

2019年02月01日 | 街角の風景
 久し振りに走る道。以前は狭いこの道をよく通った。沿道の家に夕陽が当たっている。         . . . 本文を読む
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西鉄の復刻バス

2018年11月06日 | 街角の風景
 街を歩いていると懐かしいバスに出会った。1950年代、私が小学生の頃に走っていたバスである。車両前面には、当時の西鉄のロゴマークである鉄輪がつけられている。  通称、青バス。12月までの期間限定で、久留米~八女間を走っている。どこか違和感を感じるのは、車両形式が新しいから。昔の車体は丸みを帯びていたし、行先表示は電光掲示ではなく巻き取り式の幕表示だった。しかし一瞬、少年時代に戻った思いがす . . . 本文を読む
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