評論家の関川夏央が書いたエッセイに「人生は短いと思えば意外と長い。うかうか油断していると、唖然とするほど短い」という件が出て来る。
これは他人の言説の引用という形だが、続いて彼は「人生はまるで小学校の夏休みのようだ」と言う。彼自身は私と同年輩なので、そのエッセイには身につまされることが多い。
小学生の時、7月頃にはまだ夏休みの終わりは遠い先の話であると思っていた。しかし8月も下旬になると、どうして時間はこんなに早く来るものかと嘆いていたものである。
また正月休みの年末の数日間は、来年の話をすると鬼が笑うという気分でのんびり構えていた。だがNHKの「ゆく年くる年」で除夜の鐘を聞いた途端に「今年」という現実が目の前に現れて、いささか慌ただしい心持ちになる。それからすると正月を越すたびに年を取る数え年も、人生にメリハリをつけるためには意味があるのではないか。
人間の感覚とはいい加減なもので、同じ時間でも長くもなり短くもなる。若い時の時間感覚と、老いてからの時の感じ方は違うのではないかと思う。
先にあげたエッセイは20年ほど前、彼が中年の頃に書いたものである。老境に差しかかった今、彼が人生について書いたものは読んでいない。書いているとすれば、また身につまされるような話を書いているのだろう。
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