田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

鹿島の肥前浜宿ー酒蔵通り

2024年12月06日 | 肥前鹿島

 道の駅からの帰り道、途中に肥前浜宿があります。長崎顔道の脇街道である多良往還の宿場町です。最盛期には十数軒の造り酒屋があったそうですが、今も酒造りをしているのは3軒です。その500mほどの通りは酒蔵通りと呼ばれています。

 通りの入り口にあるのは観光酒蔵「肥前屋」。酒蔵見学ができ、団体客がよく来ます。この日も帰りに立ち寄ったら中国からの団体ツアーが入ってきました。

 歩いているとお酒の香りが漂ってきそうです。

 天気が回復し青空が広がってきました。気持ちの良い散策になりました。

 毎回、同じ場所に来て同じような写真を撮っています。以前の写真の使いまわしでも良いのですが、一期一会の気持ちでいます。出会いは前と同じではありません。街の風景は少しづつ更新され、私は老いていきます。若いころは初めての土地でも写真ではなく記憶に残そうと思っていました。いまは写真に切り取る習慣が出来ました。

 呉竹酒造。酒蔵だった建物はコンサートなどのイベントに使われているそうです。

 多良往還は江戸時代、福岡藩と交代で長崎警備にあたる佐賀藩がよく利用しました。

 右手の建物は酒造会社が経営する宿と和風レストランです。初めて肥前浜宿に来たのは十数年前。そのころは壁や屋根瓦が傷んだ白壁建築が目立ちました。それから来るたびに少しづつ改修やリノベーションが進み、雰囲気が明るくなりました。新しい用途としては宿泊施設、小さなレストランやカフェ、アクセサリーショップなどがあります。

 この店は同じ醸造業でも酒ではなく醤油です。

 酒蔵通りの終わり近く、路地に入り込みました。水路の水は清冽です。右の赤煉瓦は飯盛酒造。いまは酒は小売りだけで、粕漬けが名物。

 路地の奥に武家屋敷があります。この地方独特のくど造りです。見学のため芳名帳に記帳しようとしたら外国人の名前が結構ありました。お国はいろいろです。

 この辺りから引き返します。手前の建物は宿場間の人馬や荷物を中継する「継場」で、いまは観光案内所が入居しています。青ペンキの家は郵便局だった建物で、地元の公民館として使われています。

 肥前浜宿は多良往還の宿場町。有明海も近い。

 

 

 鹿島から1時間半、筑後川昇開橋です。写真は佐賀県の諸富町からですが向こう岸は福岡県大川市。ここまで来ると筑後の国に帰ってきたという安堵感を覚えます。橋のたもとに直売所があり、鹿島への往き帰りにはいつもここで一息入れます。この日の走行距離は150キロ余り。年寄りには程よいドライブです。

  昨夜、BS放送でこの春に行われた小椋佳80歳のコンサート実況が放映されました。初めて彼の歌を聴いたのは50年近く前。夜のNHK特集番組です。まだアパート住まいのころで、その時まで名前も聞いたことがない彼の歌に魅了されました。学生時代に親しんできたフォークソングとは一味違う、都会的で個人主義的な曲想は新鮮でした。

 昔のNHK特番での彼は黒々とした髪にトンボ眼鏡でした。80歳になり、薄くなった頭で歌う彼の姿に時の流れを実感し、同時代人として少しばかりの元気をもらいました。

 

 

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