河童伝説は全国各地にありますが、筑後川とその支流にも河童が住んでいました。河童の話が一般に広まるのは、江戸時代にいろいろな書物で紹介されてからです。
河童の故郷はヒマラヤ山脈の麓タクラマカン地方とも、中国の黄河流域でもあるといわれます。日本では熊本に上陸して球磨川に住み着きましたが、あまりに乱暴狼藉を重ねるので加藤清正公が征伐に乗り出しました。仕方なく河童たちは有馬藩侯の許しを得て筑後川を安住の地とし、久留米の水天宮のお使いとなりました。熊本県の八代には河童渡来の碑があり、いまでも伝承が残っています。
田主丸町の巨瀬川には、その総大将である九千坊の伝説が残っており、昔から町の人たちは河童に親しんできました。JR久大線に乗って田主丸の河童を見に行きました。
田主丸駅のプラットホーム にはお迎え河童がいます。
駅舎です。寝そべった河童の姿です。最初に見た時はアヒルかと思いました。
町の公衆トイレです。田主丸町は久留米市と合併しましたが、久留米市のゆるキャラは河童です。名前はくるっぱといいます。
巨瀬川の中央橋たもとの河童像。横に「田口長衛門河童奮戦の跡」の碑があります。田口長衛門の馬に悪さをして手を切られた河童が手を返してくれといってきたが、すでに煮込まれていて、どんな傷でも元のように治る「河童切傷金創膏」でもくっっつかなかった、という伝説があります。
まんだら河童です。町の国道沿いにいる河童。
市街地中心部を流れるひばり川の橋には多くの河童像があります。
これは屁こぎ河童です。屁のかっぱですね。
宇宙河童です。
祈り河童です。
集落の中心部にある月読神社です。境内にある馬場瀬神社には平清盛や二位尼、河童の頭目九千坊などの像が祀られています。田主丸には、平清盛が巨瀬入道という河童になったという言い伝えがあります。水天宮は安徳天皇や二位の尼などを祭神としており、平家に所縁があるからでしょうか。この鳥居の前で映画「男はつらいよ」のロケが行われました。
田主丸には河童大明神の祠があり、神社には河童像が祀られています。うち3体は市の文化財に指定されており、江戸の昔から河童は大切に扱われてきました。橋上の河童像はそう古くはなく可愛くて親しみやすいですが、昔の河童は怖い表情をしています。ちなみに隣町にある北野天満宮には、河童の手のミイラが保存されています。
これは弥五郎息子河童です。河童の相撲好きは良く知られています。弥五郎河童は河童の川流れ伝説の元になったという河童です。他にも名前がつけられた伝説の河童がいます。
これは28河童です。昭和28年の筑後川大水害のあとに造られた河童です。
河童ロードには新しい多くの河童がいます。
街灯にも河童が描かれてます。
河童伝説は想像の産物に過ぎないのかも知れません。しかし人と川とが共存する中で暴れ川を治めたり、水難から身を守るための物語であるように思います。河童を保護した久留米の水天宮は、安産の神様であるとともに水難除けの神様でもあります。昔の子ども達は水天宮の水難除けの瓢箪お守りを首に結んでいました。私にもお馴染みのお守りでした。
駅で帰りの列車を待っていると、観光列車「ゆふいんの森」号が通り過ぎて行きました。一度は乗ってみたい列車です。JR九州には七つ星号など楽しい列車があります。
田主丸駅は久留米駅から普通列車で20分。田舎の駅の風景です。少しですが旅の気分を味わうことが出来ます。私が乗るイエローワンマンカーが来ました。
愉しい~~
昨日笹栗に行き、九州様のお勧めのところに?
なんて思いましたが時間がなくて・・・
行きたいところがたくさんありますが、時間が
取れなくて残念です😢(^^)/
河童にまつわる伝承が色々あるのです。