少し前、いつも行くショッピングモールにラーメン店が出店した。レストラン街ではなく、フードコートの小さな店舗である。流行りのチェーン店だが、北白川に本店があるというので久し振りに京都ラーメンを食してみた。
最後に京都でラーメンを食べたのは二十数年前になる。彦根に出張した帰り、京都駅で名店と言われる店に入ったが、普通の醤油ラーメンで期待外れだった。私が京都ラーメンとして味を覚えているのは、むかし銀閣寺道の浄土寺橋たもとにあった屋台である。以前投稿したことがあるので、過去記事だが紹介したい。クリックで開きます。
ブログで紹介した大学教授は大学生の時、銀閣寺道交差点角の煙草屋の2階に下宿していて、屋台とは目と鼻の先だった。その方は後年、銀閣寺道近くに住まいを持つ。この煙草屋には新聞や週刊誌なども置いてあり、私もよく立ち寄ったものである。教授は先年亡くなられた。
私が引用したブログは、2019年にしばらく休むとの告知を最後に更新が途絶えている。引用した記事の中で、この屋台の味を引き継いでいるのは浄土寺橋の近くにある「益谷」だろうと書かれている。学生時代は毎日のようにこの橋を行き来していたのだが、疏水べりにある「ますたに」は知らなかった。
26年前、京都新聞が屋台を経営していた人物にインタビューし、「銀閣寺屋台伝説」という記事になった。新聞社のHPで閲覧できたのだが、その記事はもう削除されてしまった。その内容を書き留めたメモが手元にある。記事によると「珍満」というこの屋台は昭和30年創業で、最盛期には一晩で1,200杯を売り、毎晩60万円も売り上げがあったという。また、あのコクのあるスープは偶然に出来たこと、百万遍に建てたビルでの商売などが語られている。
屋台はそのまま甥に引き継がれ、昭和48年に店を閉じたそうである。私が北白川で下宿生活を始めたのはその前だから、場所を変えていない限り甥っ子の屋台に通っていたことになる。残念ながら屋号が何だったかは覚えていない。
2年前、浄土寺橋のたもとで撮った孫の記念写真。左は疏水分線。屋台はここにあった。いまは遊歩道が整備され、哲学の道の起点になっている。
久留米ラーメンは豚骨ラーメンのルーツ。白濁したスープも、ふとした出来事で生まれたと伝えられている。
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