田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

阿川弘之「北京の怪」の切り絵細工(上)

2020年08月11日 | 遠い日の記憶

 阿川弘之の随筆集を読んでいて、「北京の怪」と題する文章に、はたと思い当たることがあった。

 初出は1992年の「文学界」1月号。前年5月の訪中で北京に滞在したときの話である。彼はご当地の食事のまずさに辟易し、美味しい屋台の油条を求めて早朝の王府井を歩いていた。

 どこからともなく日本語が聞こえてくる。振り返ると、日本語は二人組の男性が持つ小型のテープレコーダーから流れて来ている。そして、彼等から日本語を勉強しているので教えてくれと声をかけられた。ところが話は「中日友好の為に」と変わっていき、連れが北京市美術学院の学生なので、記念に切り絵であなたの似顔絵を作ってあげると言いだすのである。仲間の手には切り紙細工の道具がある。

 実は、氏は前日にもテープレコーダーを持った別の二人連れから、同じように声をかけられていたのである。阿川氏は面白半分、私は日中友好には興味がない、あいにく金の持ち合わせがない等とあしらうのだが、彼らも粘る。

 以下、随筆からの一部引用である。

阿川氏「あなた達、これからどっちへ行かれるんですか」

二人組「こっちです」

阿川氏「ぢゃあ、僕らはこっちへ行きますから、失礼」

二人組「ちょっと先生。此の友達、美術学院へ行く。そっちです、御一緒行きましょう」

阿川氏「そんなら、僕らはこっちの方へ。日本語をしっかり勉強してください。さようなら」

 こうして、しつこい二人組から解放される。朝食の時にそのことを話題にすると、やはり彼らは偽学生ですかと言う人がいた。その方は中日友好の為といわれて断り切れず、千円で切り紙細工の似顔絵を買ったそうである。

 そこで阿川氏は、彼等のような小詐欺師が町に出没しだしたのは、中国が開かれた社会になり始めた証拠ではないのかと思うのである。

 随筆を読んでいた私はあることを思い出し、2階から大きな紙袋を取り出してきた。

(続く)

 

 

 

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2 コメント

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偽肢体不自由人 (tango)
2020-08-11 07:37:56
上海のたびに4~5回いってます
もちろん、北京、広州、青島,曲ふ、西安、
しかし、上海で偽人に可愛そうとお金を差し上げ
歩けない人が他の地域に同じようなしぐさ・・・?
だまされたことに気が付いた仲間がいます?
嫌ですね~~
返信する
おはようございます (九州より)
2020-08-11 08:27:22
私は中国には1回しか行ったことがありません。
中国の人は体面と実利重視のような気がします。
2国間の問題はいろいろありますが、
同じ漢字文化圏として中国の文化や風俗には関心があります。
返信する

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