稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

長尾の滝(天龍院)に向かってみたが(2018年11月25日)

2018年11月26日 | バイク・クルマ
以前から、東大阪にある「長尾の滝(天龍院・八大龍王尊)」に、
行ってみたいと思っていたのでバイク(ヤマハ バンバン200)で向かってみた。

近鉄奈良線の石切駅の標示板を見ると「長尾の滝」とある。
隣の額田(ぬかた)駅から東へ山を登るコースだ。
酷道と言われる奈良越えの国道308号線の北側である。

額田駅を登るところから「これは無理かも・・」と思い始め、
結局、苔でタイヤが滑った地点で長尾の滝は断念した。

ここを登るには本格的なオフロードバイクか、取り回し易いカブが良いだろう。
若い頃はケモノ道までバイクで入って行って遭難しかけた事もあったが、
もうそんな無鉄砲なことをするような年では無い。
仕事もあるので、さっさとUターンして職場を目指した。

下り坂途中で側溝にタイヤを落した乗用車を救助。
ここは車で来るには大変過ぎる道である。


(石切駅前の案内板、額田駅の上に「長尾の滝」とある)


(まだ行けると思えるが、苔でタイヤが滑ったのでこの地点であきらめる)


(23日に取り付けたナックルガードの調整も兼ねて)


(バイク用のナビには「正覚寺」とある)


(案外、あきらめの良いほうかも知れない)


(脱出後の乗用車、左側の側溝にはまっていた)

車を押していたら汗だくになってしまった。
次回(未定)はバイクを途中で置いて歩くか、電車で来るつもり。


(職場到着後にグーグルで確認・・長尾の滝のある天龍院は、まだまだ奥である)

以上、仕事前のミニツーリングでした。
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バイク用のナックルガードの取り付け (2018年11月23日)

2018年11月24日 | バイク・クルマ
amazonでバイク用のナックルガードを、送料込み1280円で購入した。
「バイク 汎用 カスタム ナックルガード ナックルバイザー ハンドガード
ハンドルカバー 風防 雨除け 防寒対策 黒色 ブラック 大サイズ」
という長い商品名だ。正式名称、メーカー名、品番は無さそうだ。

翌日届いたが、取付用の部品が入っていない。
なぜか問い合わせも出来ないのですぐその日に返品し、
同じ商品を別のショップで1980円で購入した。


(今回購入した、汎用ナックルガード、1980円)

実は、昨年に大きなハンドルカバーを買った。
さすがに包み込むタイプは暖かい。真冬でも薄手の手袋で大丈夫なのである。

ところがいちいちハンドルカバーの中に手を入れるので即応性に欠けるのと、
まだまだバンバン200の操作に慣れていないので、スイッチが見えないのは不安である。
現にクラクションをのスイッチが指先で探れなくて鳴らせなかったことがある。
あと、実用的な大き目のハンドルカバーはどうしても不恰好なのである。
ガチッとした取り付けが出来ないのでフワフワな不安定さも好きではない。


(昨年買ったハンドルカバー、ラフ&ロード RR5917 送料を入れて、6508円)


今回購入した半球状のナックルガードだと、確かにハンドルカバーほどでは無いが、
そこそこ風除け効果も高いし、直接風が指先に当たらなければ、
厚手の手袋をすれば少々の寒さでも大丈夫だと思ったのだ。

ハンドルカバーとは違い、ガッチリ固定できる安定感も好みである。


(取り付ける前に腹ごしらえ、ここは隠れた街の名店である)

中華料理宝「天宝」
大阪府東大阪市吉田下島9-18
072-966-7560 (駐車場は無い)


(何にしようか迷うが、自分的には豪勢な「から揚げ定食1000円」にした)


(から揚げ、かに玉、エビ天、揚げギョウザ、マカロニサラダ、スープ付き)


(から揚げだけでもボリュームがあって大満足、スープがしょっぱめだった)











取り付け作業は東大阪の事務所。
バイクはヤマハのバンバン200。

取り付けは、元から付いているハンドルエンドを外し、
キャップブレーキを緩め、取り付け部品をはめ込んで位置を決め、ボルト締めするだけ。

と簡単そうだが、私の場合、ハンドルエンドがなかなか外れなかったのと、
取り付け部品をハンドルに挟み込んだあと、ボルトが反対側に貫通しないので、
少し穴を広げて力任せに作業した、というのが苦労と言えば苦労かな?

取り付けた後、自宅に帰るのに生駒の山越え。
気温は山の上で6度の表示だったが、取り付け前とは雲泥の差で効果は抜群!

手よりも、膝と太ももが寒かった。

原則的に気温5度以下なら凍結の危険性があるのでバイクに乗らないし、
長距離長時間を走る際、どうしても指先が寒ければ、インナー手袋をするか、
USB電源を使った、ハンドルウォーマーを取り付けるか考えようと思う。

汎用なので、少し無理やり取り付けた感もあるが柔らかい素材なので大丈夫。
1980円という値段を思えば、とても良い買い物をしたと思う。

安くて優れもの。お勧めの一品である。
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バンバン200にボックス取り付け(2018年11月11日)

2018年11月12日 | バイク・クルマ
数多くのバイク暦があるが、
20年ほど前バイクからはボックスを取り付けている。
ただバイクに乗るだけならボックスは無いほうが良いのだが、
ボックスを付けると実用性が大幅にアップするのだ。


(過去の写真、最初に付けたのはシグナス125)


(過去の写真、郵政カブのMD90、川上村の源流館へ稽古に行った時)


(過去の写真、同じ郵政カブだがMD70を合法改造して115ccにボアアップしたもの)


(過去の写真、先代のヤマハSR250)

ボックスはホームセンターで売っている灯油缶用のもの。
実はこれが優れもので、剣道の防具一式が丸ごと収まってカギもかけられる。
滋賀での合宿や名古屋の審査も一般道を使って行ったこともある。

最近は稽古に行くにも車を使うので、バンバン200もボックスは付けないでいた。
ボックスを付けないバンバン200は気持ち的にも軽快でそれなりに気に入っていた。

しかし荷台が小さく、大きな荷物は積めないし、荷物を落したりして、

靴と弁当が・・・(2018年7月6日)
https://blog.goo.ne.jp/kendokun/d/20180707

やっぱりボックスがあれば買い物にも便利だし、雨具や防寒具、カメラなど、
何でも気軽に放り込んでおける気楽さがいいよなあ・・・という思いは深まっていたのだ。

11日はダイキンの稽古もあったが休むことにし、
思い切ってバイクにボックスを取り付けることにした。

ボックスと取り付け用の下板は以前のものを活用。
適当に加工して、紐とゴムベルトで固定して終了。

ハンドルカバー、ナビ、雨具、オーバーパンツなどを放り込み、
東大阪の事務所まで、ゆっくりポタリングを楽しんだ。


(やっぱりボックスがあると落着く)


(せっかくなので、四條縄の月泉寺と千光寺跡=寺口遺跡に寄ってみた)
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おい!守れよ!信号の無い横断歩道は歩行者優先だぞ!

2018年11月07日 | バイク・クルマ
毎日のように車で通勤しているので車の運転にはうるさいほうだ。
正直言って、交通法規を完全に遵守しているわけでは無いが、
本当に守らねばならないところはきちんと守っているつもりだ。

特に最近気になるのが信号の無い横断歩道である。

ほとんどの車が「信号の無い横断歩道は車優先」と勘違いしている。
知っててやっているなら悪質だが、きっと知らないのだと思う。
(ここでふと「自覚の無い悪癖は直らない」という一昨日の言葉を思い出した)



(横断歩道等における歩行者等の優先)第38条
----------------------------------------------------
車両等は、横断歩道又は自転車横断帯(以下この条において「横断歩道等」という。)に接近する場合には、当該横断歩道等を通過する際に当該横断歩道等によりその進路の前方を横断しようとする歩行者又は自転車(以下この条において「歩行者等」という。)がないことが明らかな場合を除き、当該横断歩道等の直前(道路標識等による停止線が設けられているときは、その停止線の直前。以下この項において同じ。)で停止することができるような速度で進行しなければならない。この場合において、横断歩道等によりその進路の前方を横断し、又は横断しようとする歩行者等があるときは、当該横断歩道等の直前で一時停止し、かつ、その通行を妨げないようにしなければならない。
----------------------------------------------------
罰則は「3月以下の懲役又は5万円以下の罰金に処する」とある。

横断ほどの前には◇形のマークがある。30mと50m手前に表示される。
つまり◇形があったら80m先に横断歩道があるよ、ということになる。
◇形マークは「要注意」の印。歩行者、自転車はいないか必ず確認せねばならぬ。

歩行者、自転車がいたら、それは赤信号と同じ意味となるのが交通法規だ。
つまり信号の無い横断歩道で歩行者妨害をしたら、
それは信号無視と同じ交通違反なのである。
マナー違反のレベルでは無い。

以下、ドラレコの画像(2018年11月6日撮影)で説明。
(画像の丸いぼんやりした白いものはカーナビの上に付けた日よけです)


事例その1


(ここは手前の◇形マークが消えかかっているが要注意モードになる必要がある)


(横断歩道を渡ろうとしている人を発見し減速し始める)


(減速し、手で「渡ってください」と合図する)


(車は動いているが、ほとんど停止状態である)


事例その2


(道路上の◇形マークがあるので要注意モードに入る)


(横断歩道を渡ろうとしている人を発見し減速し始める、同時に対向車に気付く)


(この直前、対向車にパッシングして「止まれ」と意思表示した)


(対向車は減速もせず、無視して行き過ぎた)


【思うこと】

原則的に歩行者を見つけた時に一旦停止はしない。
一旦停止をすると、追い越す車やすり抜けるバイクがあるからだ。
減速し、徐行し、周囲の安全を確認してから歩行者に合図するようにしている。
タイヤが止まらないようにするのがコツである。
動いている車を追い越す後続車は少ない。

対向車にはパッシングすると止まってくれる確率は高くなる。
しかし何のことかわかっていない対向車が圧倒的に多い。

夜間は安全の確保が難しいことが多い。
残念だが、安全の確保が難しい時は歩行者を無視することもある。
(夜間は下手に止まると事故を誘発しかねないからである)

止まるほうが正しいのだが、まだまだ「歩行者優先実行派」は少数のため、
逆に、追い越した車が歩行者をはねたり、すり抜けたバイクが歩行者にぶつかったり、
スピードを出した対向車が歩行者や自転車をはねたり・・・
という事故を引き起こしかねないのも事実である。

歩行者優先が当たり前のようになるよう、警察の指導や取り締まりは強化して欲しい。

-------------------

この他、スマホ歩き、自転車の無灯火、自転車の信号無視、スマホ自転車、
自動車の無灯火、ウィンカーを出さないで右左折する、スマホ自動車、
テレビを見ながらの運転、ゴミのポイ捨て、などは本当に良く見かける。
時と場合によっては口頭で注意している。

「いつか刺されるよ」と家人からは注意されている。
簡単に刺されるようなことはさせないつもりでもいる。

交通安全も、これまた自分にとっては「道」なのだ。
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時にはエンジンを回してやらねば・・

2018年11月02日 | バイク・クルマ

(職場の駐車場にて)

いつも仕事で使っているのはアトレー7。ダイハツの小型車。
平成14年(2002年)初登録だから、もう16年を超える老車である。
走行距離は14万キロ近い。オイルはきちんと交換している。

アトレー7は、ベース車が軽四のアトレーワゴンで、
排気量1300cのエンジンに乗せ換え、全長を37センチ、幅を4センチ広げ、
3列シートにした7人乗りのコンパクトワゴンである。

----------------------------------
販売期間 2000年7月7日-2004年11月30日
乗車定員 7名
ボディタイプ 5ドアミニバン
エンジン K3-VE 型 直列4気筒 DOHC 1.3L (92ps/6000rpm)
駆動方式 FR
変速機 4速AT
サスペンション 前・ストラット+コイルスプリング
後・3リンク+コイル+リジッド
全長 3,765mm
全幅 1,515mm
全高 1,895mm
ホイールベース 2,430mm
車両重量 1,100kg
----------------------------------

7人乗りと言いながら幅は軽四とほぼ変わらないので2列目の3人座りは子供しか無理。
大人6人で出かけたこともあったが、荷物は膝の上という狭苦しさだった。

家では多人数で移動の時はデリカスターワゴン(8人乗り)を使うので、
このアトレー7は3列目シートを外し、もっぱら仕事専用車として使っている。
何より小さいので、東大阪市や大東市など、道幅が狭くても取り回しがし易い。
毎日のように生駒山を越えるが、山道でもそこそこ走るパワーがある。

このアトレー7、6年前に、とんぼ堂のパートさんが、
廃車して新車に買い換える・・というので安く譲ってもらった。
譲ってもらった時は5万キロ程度しか乗っていない。
ワンオーナーで整備もしっかりしている。

最初、燃費はリッター13キロ前後で走っていた。
そこで、もっと燃費を良くしてやろうと回転数を上げない運転をしたのだ。
いわゆる省エネ運転。巡航速度で2万回転ぐらい。あまり高回転は回さない。

ところが、最初のうちこそリッター13キロを越えていた燃費が、
最近は12キロを割り込み11キロぐらいまで悪化してきていた。
おまけに僅かながらタペット音も出てきた。
「古い車だから仕方が無いか・・・」とも思っていたのだ。

で、荒治療することにした。
最大馬力を発揮する回転数6000まで回すのだ。
方法は阪奈道路の登り坂でレンジを2に入れ走行するというもの。
回転数は上がるが速度はさほど上がらない。7000rpmまで上げてみた。
高回転走行は30分ほどである。

結果は良好。
燃費はリッター13キロ台に戻りタペット音も無くなった。

古いエンジン、労わるばかりでなく、たまには高回転で回してやるもんだ。



(運転席まわり)


(運転席のフロアーマットは、ハトメが取れてしまった)


(竹刀の柄革と金具を加工して糸で補修した)


(アトレーの弱点は電装系のツマミ、割れてきたので糸で縛って木工用ボンドで固めた)

【修理箇所】

譲ってもらった時はグリーン系のシルバー色で、
あちこちキズだらけだったので板金屋で補修後にブラックに全塗装(内外)した。
他、サイドミラーが緩みやすかったので車屋で締め増しし、緩み止めを塗布した。
ウィンドウの集中スイッチが最初から接触不良気味だったので新品に交換した。

他は問題なく、実用的な一台として重宝している。
車は大事にしない主義だがオイル交換だけはきちんと行い、
修理不能になるまで乗り続ける主義である。
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四條畷市南野、龍尾寺(2018年10月28日)

2018年10月29日 | バイク・クルマ
天気が良いのでバイク(スズキバンバン200)で出勤。
いつの間にやら日曜日は出勤日になっている。
月曜日に持ち越すと処理し切れない仕事があるからである。
日曜日の出勤は天気が良くて荷物が無ければバイクにしている。
ほんのつかの間の休日気分である。

先月(9月23日)は四条畷市の御机神社に寄った。
きょうは川むかいの龍尾寺である。

境内は小さいが手入れが行き届いている。
足元の苔も見事で紅葉のシーズンは良い写真が撮れそうだ。


(石段の前にバイクを停めた)


(石段は50mぐらい続いている)


(途中の木陰から大阪平野を望む)


(登りきると小さな石仏が出迎えてくれる)


(手入れの行き届いた境内である、苔を踏まないように石の上を歩く)


(龍尾寺の伝説)


(龍尾寺の由来)


(最後に自画撮り)


(仕事は19時頃まで、冷えてきたので重ね着をして帰った)
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四条畷、御机(みつくえ)神社(2018年9月23日)

2018年09月24日 | バイク・クルマ
真直ぐ職場に向かうのも気が乗らないし天気も良いのでバイク。
バイクはいつものスズキバンバン200。
少し蒸し暑い。でもまあ真夏のことを考えたら天国のようだ。

寄ったのは四条畷市の御机神社(みつくえじんじゃ)。
大阪府四條畷市南野6-12-1


案内板より
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御机神社 由緒
御祭神 素盞嗚尊
当社は延喜式神名帳(九〇五年~九二七年)に載る古社で起源は奈良朝時代に鎮座されていた ものと推測される。永禄三年(一五六〇年) 三好長慶が飯盛山に居城した頃には飯盛城鎮護 の神として崇敬も厚かった。御机神社古案内文 には「・・・・・古くは現在地の東方字宮地に 有ったが文禄年間(一五九二年~一六九六年) に字城の堂山に移し更に元禄十三年(一七〇〇 年)にこの地に移転したものである」 と記されている。現在の社殿は明治十四年に 建てかえられたものである。
-----------------------------

今回は行かなかったが、川の向かい側には龍尾寺がある。
龍尾寺の脇には飯盛山城の出城である河内茶臼山砦跡もあるらしい。
次回はそちらに行ってみるつもり。
(実は二日酔いで行く元気が出なかったというのが本音)


(国道168号、北田原大橋を左折して163号を大阪に向けて走る)


(権現川に掛かる橋を越えると御机神社だ)


(小さな神社だが歴史を感じさせられる)


(御机神社 由緒)


(仕事が終って帰り道は、雲に見え隠れする月に風情を感じた)
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赤信号で直進してくる車とバイク(2018年9月12日朝)

2018年09月12日 | バイク・クルマ
ほぼ毎日のように通る国道170号線旧道(東高野街道)。
東大阪市池之端の信号で私は北から来て南下せずに右折する。

2018年9月12日朝8時44分頃。
右折のため減速中、信号は青から黄色に変わる。
停止線を越えていたので右折しようと加速を始める。
(後ろには同じように右折車が続いていた)

前から強引に青い車が進入してくるのでクラクションを鳴らす。
信号は両方とも赤になったが、青い車は加速しながら通り過ぎた。
そのあとのバイクも青い車に続いて進入してくる。
横の信号は青なのでこのバイクは完全に信号無視である。

右折車がいる場合、黄色信号では右折車を優先させるべきだ。
でなければ交差点での事故は多発してしまう。
ベテランドライバーなら常識である。
下手くそを通り過ぎて馬鹿としか言いようがない。

今朝の青い車(トヨタルーミー は 17-22)とバイクのように、
右折車がいるのに、黄色信号で加速してくる馬鹿は、
一度(単独事故で)死んでいただきたいと強く願う。

なお、この交差点、南北東西ともに混雑するので、
右折車がいると直進車が進めず渋滞の原因となる交差点である。
そのため右折車がいると、譲ってくれる直進車(特に路線バス)も多い。


(この時点ですでに停止線は越えている、後ろの白い軽バンが通り過ぎたら右折出来ると判断)


(左折トラックのため少し鋭角に右折しようと判断、こちらの後ろに後続の右折車1台あり)


(信号は赤に変わるが青い車が加速してきたので「止まれ」の意味でクラクションを鳴らす)


(赤信号で加速する青い車、後続のバイクも突進してくる)


(こちら歩道上、青い車は少し避けたが、歩道の自転車が驚いて立ちすくむのが見えた)


(後続のバイクが通過する前に、横の信号は完全に青になっていた)


(後部のドライブレコーダーに写った青い車とバイク)
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信号無視のバイクに注意した。(2018年8月21日)

2018年08月21日 | バイク・クルマ
東大阪市加納の信号で止まっていると、
左横からバイク(50cc)がするすると出てきた。

運転しているのは若者で、
Tシャツの背中には「S南大学空手部」と大きく書いてある。
現役なのかOBなのかはわからない。

このバイク、停止線を大きく通り過ぎて前に出て止まる。
それからスルスルと前に出て、横切る車やバイクに近づく。
車が途絶えると、赤信号にも関わらず通過していった。

次の信号でも一応止まったが、
やはり横切る車が通り過ぎると発進していく。

S南大学なら知らないわけでもない。
追いかけて追い抜き、優しく(?)注意してあげた。



(左からスルスル出てきた)


(横切る車やバイクのすぐそばまで進み出る)


(通行が切れたのを見はからって行ってしまった)


(次の信号で追いついたので、通り過ぎてから優しく?注意してあげた)


大学の、しかも部活名の入ったTシャツを着て信号無視する?
というのが驚きとともに憤りを感じたところ。

ジャカルタで、バスケの選手が、
公式ユニフォーム(日の丸入り)のまま買春したとかで処分を受けたが、
違法な行為で無かったにせよ、日の丸やバスケを汚した行為は許されないものだ。

それと根は一緒である。
その大学と空手道を汚したということだ。

何のために武道をやっているのか。

今回は名前入りのTシャツだったが、武道をたしなむ者ならば、
いかなる場合であっても、その武道に恥じない行動をとって欲しいものだ。
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ホーンが鳴りっぱなし(デリカスターワゴン)

2018年08月08日 | バイク・クルマ


異常な暑さのせいで何かがイカれたのか、平日の猛暑の午後、
突然、三菱デリカ、スターワゴンのホーンが鳴りっぱなしになった。

・・・という連絡を受けて奈良の自宅に駆け戻る。

ただの故障では無い。けたたましく鳴るホーンは大近所迷惑だ。
とりあえず運転席下のヒューズボックスを開け「ホーン」のヒューズを外す。

ホーンのボタン部はハンドルの中央の箱状のものだ。
カバーを外すと何やら子供の工作のような銅板が現れた。何じゃこりゃ。


(わかりづらいがスポンジの破片がこぼれ落ちている)

簡単に言えば、この銅板は2枚重ねになっていて、
間にスポンジがあり、そのスポンジが絶縁体になっていて、
上から押すとスポンジが圧縮されて電気が流れるという仕組みだ。

このスポンジがボロボロになっていた。

適当なスポンジを見つけてきて自分で修理しようかな?とも思ったが、
取りあえず車屋へ持っていくことにした。

車屋でもこんなホーンボタンは初めて見ましたという感想。
部品はあるかなあ?中古部品はイヤだなあ・・と車屋と一緒に心配したが見つかった。
部品は翌日に入るというので夜まで仕事をして自宅まで乗って帰ることにした。

エンジンをかけるとスモールランプとメーターランプが点かない。
どうやらホーンとヒューズが共通であるらしい。
仕方が無いので、運転席にあったガソリンカードを銅版の間に差し込み絶縁とし、
ヒューズを元に戻して自宅まで戻った次第である。

翌日、乗ってきて、部品(ホーンボタン一式丸ごと)を無事交換した。
部品代は4600円。工賃は別だが思いのほか安かった。

しかし、普段、ホーンなどほとんど鳴らさないのに、
鳴らないとなると妙に不安になった往復の道だった。
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靴と弁当が・・・(2018年7月6日)

2018年07月07日 | バイク・クルマ
5日の夜から6日の朝にかけて夜中に目が覚めるほどの雨が降った。
大雨に弱いのが通勤で使う奈良から大阪に抜ける旧阪奈道路である。
朝起きると鉄道も止まっているし国道もあちこち通行止めが出ているので、
「これは車で行ったら渋滞の可能性大だな」と思ってバイクにした。
若い頃は雨だろうが何だろうがいつでもバイクで行った。
(バイクしか無かったからというのが本当なのだが・・・)


(寝ている間に避難勧告がいくつも出たようだ)

カッパ着込んで黒いゴム長を履いた。手には軍手。
いつもの靴の片方に袋に入れた弁当のオニギリとオカズを入れる。
もう片方にはバナナを入れる。バナナは元気と健康の源だ。

荷物(靴と弁当)をバイクの荷台に載せてゴムバンドを掛ける。
心配なので紐でさらに縛っておいた。

通行止めかも知れない阪奈道路へは向かわず国道163号を山越えする。
さほど渋滞はしていないと思ったら外環(国道170号)が大混雑している。
バイクなのですり抜けてきた。バイクで良かった。

事務所の駐車場にバイクを止めて荷物を降ろそうとしたら荷物が無い。
ゴムバンドと紐の隙間からスルリと抜けてしまったようだ。
仕方が無い。昼食はパン屋のパンにしよう。
靴は買ったばかりなのでとても残念だ。


(スズキバンバン200、バイクを降りて空っぽの荷台を見た時はしばし呆然とした)

---------------------------

で、本日7月7日。
七夕だというのに毎年雨のような気がする。

通行止めも無さそうなので車で出勤。昨日と同じ道順で。
「まさか」という思いと「もしや」という気持ちで車を走らせる。
バイクなので脇道へ行ったりしたので忠実になぞってみる。

事務所まであと2キロ、諦めかけた時に道端に白いものがある。
車を止めたらまさしく落とした荷物だ。

回収したらバナナは黒くドロドロに。
オニギリとオカズは粉々に。
おそらく何度も何度も車に引かれたのだろう。
靴も安全靴仕様なのだが少し変形していた。

さっそく先ほど洗って干している。
やっぱり昔のようにバイクにボックス付けようかなあ。
格好よりは実用だよなあ。



(回収前に撮影、片方の靴はビニール袋から出ていた)


(洗うと中からバナナのドロドロが出てきた)
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王寺と香芝をポタリング(2018年6月3日)

2018年06月04日 | バイク・クルマ
日曜日だが仕事。バイク(ヤマハ、バンバン200)で行くことにする。
真っ直ぐ行くのもイヤなんで寄り道することにした。

富雄を抜け生駒から国道168号を南下。
平群、斑鳩を抜け王寺まで。
王寺で前から気になっていた近鉄の王寺駅と新王寺駅を見に行く。

気になっていたわけは、
生駒から西田原本までが途中の王寺で分断されていること。
王寺駅と新王寺駅間を150mほども接続すれば生駒から西田原本まで直通となる。


(近鉄王寺駅と新王寺駅は150mほどしか離れていない)


(近鉄生駒線、王寺駅改札)


(近鉄田原本線、新王寺駅改札、2つの改札は150m離れて向かい合っている)

行ってみてわかった。
近鉄生駒線は、近鉄奈良線の生駒駅に向かう客と、JR関西本線王寺駅に向かう客用の線なのだ。
片や近鉄田原本線は、近鉄橿原線田原本駅に向かう客と、JR王寺駅に向かう客用の線である。
おそらく田原本線のメインはJR王寺駅に向かう客だろう。

一本化しても、生駒-西田原本間を利用する客は極端に少ないと考えられる。
それに一本化するには王寺駅で高架か地下化するしかなく、大工事になるわけだ。
時刻表を見ても、この本数では採算など取れないだろう。


(王寺駅と、新王寺駅のローカルな時刻表)

元々2つの線は異なる歴史を持つ。
近鉄生駒線は、1922年に、信貴山朝護孫子寺への参詣鉄道としての信貴生駒電気鉄道、
近鉄田原本線は、1918年、新王寺 - 田原本(後の西田原本駅)間で営業を開始した。
昔は大和川の水運で栄えていた田原本の利便性で作られたらしい。

納得が行ったのでさらに南下して香芝まで。

香芝には目的があった。
先週、高校の同級生のH氏がおいしいという記事を書いていたお店。
洋食屋ヒラタで昼食をとるという目的だ。

洋食屋ヒラタ
奈良県香芝市穴虫2791-4

少し迷ったがすぐに見つかった。
どうせならと一番高い、ビーフカツレツランチにした。
ビーフカツなんて何年ぶりだろう。満足満足。


(洋食屋ヒラタ、小さな店だが駐車場は広い)


(ビーフカツレツランチ1500円、トレイは一見、学食みたいだが味は一流だ)

165号で柏原を超え、170号線で北上。事務所に着いたのは14時だった。
帰宅は21時を超えた。昼間と違って肌寒い。163号で奈良まで。
ジャンパー1枚足しただけでは寒かった。
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日下越えの手前まで(2018年5月27日)

2018年05月28日 | バイク・クルマ
27日の日曜日も仕事。天気が良いのでバイク。
ちょいと寄り道して、日新高校の下を抜けて日下越えの道まで。

現在は阪奈道路があるが、大昔の古道の一つに
「日下直越道(くさかじきごえどう)」がある。

昔の近鉄奈良線には、石切駅のもう一つ奈良側に、
孔舎衛坂駅(くさえざかえき)というのがあった。

この駅の横の道を登っていく道が日下越えの古道である。
神武天皇の東征では、この日下のすぐ下が河内湾だった。
日下に上陸し、この日下を越えて大和の地(奈良)に向かったのだ。

少し古代に思いを馳せて、カメラ屋に寄ってから仕事場へ向かった。
ちょいの間のポタリングである。


(いまはハイキングコースとなっている)


(少し下ると大阪平野が広がる)(古代は河内湖が広がっていた)


(孔舎衛坂駅跡、道のように見えるのが線路跡)


(数年前までは入れたが、今は入れない)


(バイクは振動でお腹が空くので、ちょっと豪勢な弁当にした、森田屋の牛カツ弁当1080円也)
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阪奈道路の事故(2018年5月14日)

2018年05月15日 | バイク・クルマ
36tトラック横倒し 積み荷の鉄板ロールが散乱
( 2018年5月14日 18時41分 テレ朝news より)



大型トラックが横転し、積み荷が散乱。
幹線道路が一時、通行止めになりました。

警察によりますと、14日午前7時ごろ、
東大阪市を通る阪奈道路大阪方面行きの橋の上で
36トントラックが単独事故で横転し、
積み荷の鉄板ロールが道路上に散乱しました。

トラックを運転していた男性(24)は病院に搬送されましたが軽傷です。
事故の影響で、下りの2車線が一部区間で通行止めになりましたが、
午後3時ごろに解除されました。

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阪奈道路は急カーブが多いせいで事故が多い。
毎朝、奈良から阪奈道路を通って東大阪まで出勤するが、
大小、1年に10回程度は事故を見かける。

制限速度は40キロなのだが、
事故のあった急カーブでも60キロ以上を出す車が必ずいる。

阪奈道路の大阪行き下りは、制限速度+10キロ程度で走っていると
次から次ぎへと後続車に追い抜かれたり追い越される。
直線部分などは80キロ以上の高速並みの速度で駆け抜けて行く。

朝など、ブラインドコーナーの先で渋滞しているかも知れないのに、
「よくあんな速度で走れるよなあ」と思うこともしばしばある。
事故に巻き込まれるのだけは御免だし、停車後に後ろから追突される危険性もある。

特に5月14日は、前日の大雨で路面が濡れていたので滑りやすかったのだろう。

週明けの月曜日は忙しいので早めに自宅を出たのだが、
結局、163号線まで迂回して、1時間も遅れてしまった。

オービスなどの速度監視機器は、高速道路にはよく設置されているが、
こういう本当に危ない急カーブの山道こそ設置すべきではないのか?
阪奈道路の40キロ制限なんて、本当に誰も守らない速度規制だ。

それから情報。

阪奈道路の通行止め情報はテレビでもネットでも出てこない。
もしかしたらあるのかも知れないが、阪奈道路に繋がる幹線道で、
「阪奈道路通行止め」のような電光掲示板でも設置出来ないものだろうか。

通行止めになっても現地に行って始めてわかる次第である。
生駒のICからは途中でUターンも迂回も出来ないので延々と数珠繋ぎになる。

本当に困ったものだ。
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気ままにバイクポタリング(5月5日)

2018年05月06日 | バイク・クルマ

4日は出荷日にしたので5日は休んでバイクの日にした。
世間は子供の日。自分的にはバイクな日だ。
基本的に休みの無い生活だがたまには気晴らしもしないとね。

行き先を決めずに北上し、163号に出て右折。
取りあえず木津を抜けて笠置まで行く。
笠置の旧道を越えたかったがバイクでも通行不可のようだ。

南山城村の道の駅で小休止。
伊賀上野で昼食。王将で餃子とレバニラ炒め。そのあと給油。


(南山城の道の駅、バイクなので土産は買えない)


(伊賀上野城)

信楽や甲賀に行こうかと思ったが南下した。
琵琶湖方面は混んでいるような気がしたからだ。


(宇陀川に架かる小さな橋の上で)

名張を抜けて赤目四十八滝を目指す。
滝は見ずに行き止まりで写真を撮っただけ。
途中の小さな滝で写真を撮る。


(赤目四十八滝の突き当たり)


(途中の小さな滝に目が止まる)


(流れる水がきれいだった)



長谷寺、桜井、三輪、耳成山を抜けて大和高田。
そうそう、大和高田には遠い親戚がいる。
以前、「粕井」でググると「粕井靴下」と出てきたのだ。

場所だけ見ておこうか・・・


(大和高田は踏切が多い)

高田の警察で場所を聞く。
忙しそうだったが親切に教えてもらった。

曽祖父、粕井秋五郎には4人の男の子が生まれた。
信一、信二、忠一、義雄である。信二は生まれて間もなく夭折したらしい。

長男信一(豊誠)の孫が私である。
伯父が作った家系図には、三男の忠一の子に「粕井董(ただし)」とある。
この董(ただし)さんのお子さんが粕井靴下なんだろうと思う。
私からすると「はとこ=又従兄弟(またいとこ)」になるわけだ。

親父が生きているうちに聞いておけば良かった。
もしかしたら伯父のほうでは付き合いがあるかも知れない。



(伯父、宏の書いたメモリアルより)
(上段中央が大叔父「粕井忠一」、その子の「粕井董(ただし)は下段中央」)
(「叔父義男」とあるのは誤記で「義雄」が正しい。)

曾祖母、粕井マスさんの妹(名は不明)には粕井豊次郎と粕井浩という男の子がいた。
死んだ親父からすると叔父さんになるわけだ。姉妹揃って養子をもらったか。
ちなみのマスさんのお母さんはヒサという名であったらしい。

豊次郎と浩の家系が今も繋がっているのかはわからない。

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今回は写真を撮っただけ。


(大和高田市の粕井靴下)


(粕井靴下の前の粕井誠)

二上山を越えて柏原、八尾を抜けて東大阪の事務所まで。
やはり仕事が気になる。結局遅くまで仕事をしてしまった。

でも、気分転換になった。
こういう気ままなバイクポタリングは本当に良いものだ。
走行距離200キロだからポタリングとは言えないかも。

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2018年5月7日追記

伯父の宏が亡くなったので、伯父の書いたメモリアルを見ていた。
そこに大叔父、粕井忠一の事が書いてあった。
そのままここに記す。
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叔父 粕井忠一
明治30年生まれ、都島工業機械科の第4回の卒業で、僕の大先輩。当時都島工業は高等小学校を卒業してからの4年間の修業年限だった。在学中に腕が結核性関節炎にかかり、手術によって癒えたけれど、後年肺に再発することになる。病気のため一流会社に就職できず、仕方なく近くの山階鉄工所という町工場に就職することになる。就職して職人の保守的なところを改善し、東洋紡に口座を開き、業務改善に絶大な貢献をした。しかし30代を過ぎて肺結核で倒れ、長期療養中、社長が死んで退職を余儀なくされ、それがショックだったのか、昭和9年37才の若さで死んだ。非常に手先が器用で、カメラ・マンドリン・模型飛行機・ラジオなど楽しんでおり、病臥中も会社が功績を認めて給料をくれていたから病床で編み物をしていた。友子叔母と結婚した当座は小阪に住んでいて、後に久宝寺へ移った。療養のため生駒山の中腹に住んでいたこともあった。昭和9年、僕が都島工業に合格したことを非常に喜んでくれたけれど、それから3ヶ月ほどして亡くなった。葬式のとき、遺児の董(ただし)君も敏子さんも親の死の意味がわからず、大勢の人が集まっているのを喜んでいたのが痛々しかった。叔母はまだ30才前で、その後郷里の陵西村市場(現在大和高田市市場)に退職金の一部で家を建て、隣の郵便局に勤めて2人の子供を育てた。
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やはり、粕井靴下は粕井董(ただし)さんである。

董(ただし)さんのお子さんはわからない。いるのかいないのかもわからない。
靴下の製造をやっていたのに、なぜ衣料問屋のホワードと取引が無かったのかも謎である。

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