お疲れ様です。
皆さまお元気ですか?
今日も本です。
「桜井章一」さんの「揺れない心」です。
サブタイトルは
「本当の強さを身に付ける作法」
みなさまご存知でしょうか?
「桜井章一」さんといえば麻雀です。
大きなものを賭け、
個人や組織の代理として麻雀で
勝負する代打ちの世界。
その世界で20年間無敗という
考えられない実績を残した人です。
賭けたモノの大きさゆえ
勝っても負けても、
生命が危険にさらされる
そんな場面も多々あったと言います。
この話事態を語ることは
桜井さん自体はあまり好きでは
ないようですが
そんな人が語る「揺れない心」
なかなか含蓄のある言葉が続きます。
やはり、今、一般的に語れる
常識とは一味違う言葉が続きます。
なかなかオススメの本でもあります。
興味がある方は一読いただければと思います。
良い言葉が沢山あって
紹介しきれないのですが、
私的にちょっと
気持ちにひっかかった言葉を紹介したいと思います。
まずはタイトルの「揺れない心」ついてです。
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実は私がいう「揺れない心」とは、
正確には「いい揺れを持った心」のことである。
なぜならまったく揺れない心というのは、
ありえないからだ。
いい揺れをしている心というのは安定感があり。
ときどきの変換に応じる
しなやかな強さを持っている。
それが傍目には「揺れない心」
のごとき印象を与えるのだ。
生きている限り、心は絶えず変化し、
動き、揺れている。
しかし、どう動き、どう変化し、どう揺れるかが
問題なのである。
心の揺れが強い人は、一つのころにとらわれて
極端な方向へ振れていたり、
リズムがめちゃくちゃな揺れ方をしている
つまり、悪い揺れ方をしている。
心が揺れすぎている人が増えている背景には、
激しさを増す競争社会や、
人間を経済の歯車のように扱う
過剰な商業資本主義といったものがある。
いまの社会がそのような構造であるのなら、
個人の努力だけで心の不必要な揺れを
収めるのはなかなか難しい話なのかもしれない。
それでも、考え方や行動を少し帰るだけで
「揺れない心」に近づいていくことは
可能だと思う。
いい心の揺れがどうなって生じるかを知るよりも、
悪い心の揺れがどうして起こるのか、
その原因を理解することのほうが
「揺れない心」に近づいていくことはできる。
悪い要因を除けば、心は自然と落ち着いた
いい揺れをするからだ。
本書を著したのは、
どうすれば悪い揺れを少なくできるか
いい揺れへと変えていけるか、
そのちょっとしたコツや心構え
のようなものを少しでも伝えることが
できればと思ったからだ。
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とりあえず、「揺れない心」
について、まえがきから引用してみました。
いきなり長くなってしまいました。
さまざまな社会問題が山積する現代において
知らず知らずのうちに
心が揺れ、不安とストレスに苛まれている
そんな状況が山積していると思います。
そんな中で、私たちが忘れていることに
ついて気づかせてくれる言葉が綴られます。
その中から一つ紹介です。
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●向上心ではなく、向下心を持て
「ぼくは、ふつうの人がよく持つような
向上心といったものがあまりありません。
このままの感じで
生きていってもいいのかなと、
ふと疑問を覚えることがあります。
ほんとうにこのままでいいんでしょうか?」
そんなことをかつてある道場生から
聞かれたことがある。
私はそのとき、こう答えた。
「いいと思うよ。変に向上心を持つより、
そのままのほうがいい人生を送れるよ」
私は何も彼の個性に合わせて、
そのほうがいいと思ったわけではない。
世間でいう向上心そのものが。
けっこういろいろな問題を生み出している
という思いがあってそう答えたのだ。
強い向上心を皆が持ち、
似たような目標に向かっていくことが、
いまや激しい競争を生み出し、
結果的には多くの人の心を疲弊させ、
生きる本来の喜びを見失わせるような
ことになっていると思う。
最近の人の心が大きくブレるのも、
その背景には向上心というものが
潜んでいるからだと思う。
もちろん世間では、向上心を持つことは
とてもよいことだとされている。
反対に向上心を持たない人間など、
生きていく資格もないというくらいの
考え方をする人もけっこういるだろう。
私は、若者たちの人間力を麻雀などを
通して磨くことを目的とする雀鬼会を
主催している。
しかし、それは彼らの位置をこの社会で
向上させるためにやっていることではない。
私は、成功して金持ちになるのが偉いだとか、
名声や名誉を持つことは立派だとか、
この社会が強くもっている
価値観に対して違和感を覚える。
そうやって上を目指し、
上にいくことが果たしてどれだけの
価値を持っているのかと
いう思いが強いのだ。
それゆえ、この社会の中で上を目指す
ということが
別にいいこととは思えないのである。
私は向上心ではなく。下に向かう心
「向下心」を持とうという若者がいれば
むしろそのほうが人として
見どころがあると思う。
もちろん向下心といっても、
堕落するとか、
自堕落な生き方をするのとは違う。
あえていえば人が立つ「地」をめざす
ということだろうか。
向上心を持って目指す上のほうは、
大きく揺れる不安定なところだろうが、
下にある地は揺るぎない安定感を持っている。
みんなが目指すところに、
何も合わせる必要などないのだ。
その先にあるものは
けっしていいもではないのだから。
下に向かう心のほうが、
きっと人生における大切なものを
発見できるはずだ。
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ちょっと引用するつもりが
またまた長くなってすいません。
このような考え、
あなたはどのよう感じますか?
今起きている、様々な問題は
もしかすると、
こんな私たちの考えている常識から
きているのかもしれない。
そんなふうに感じました。
だったら、自分の立つ「大地」を見つめてみる
それもひとつ重要なテーマではないでしょうか?
まだまだ、紹介したいところ満載なのですが
今日はこのくらいにしたいと思います。
ということで、
今日は「桜井章一」さんの「揺れない心」
でした。
今日は「桜井章一」さんの「揺れない心」
でした。
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