キューピーヘアーのたらたら日記

ガンバレ日本!!!TB&コメント大歓迎♪

『愛人 ラマン』 マルグリット・デュラス

2008-12-25 16:18:10 | 
かのパスカルは「自我とは憎むべきものである」と吐いたとか…。

フランスでは「私、私」と自分のことを語るのは、

慎みを欠いた恥ずべきことであるという考え方、感じ方が伝統的にあるそうで、

そんな視点から「たらたら日記」を読めば、

唾棄すべき愚の骨頂ブログなのだろう。

とまた「私」を述べてはまた本題に戻る。


しかし、20世紀に入って極度に知的な方向に向かいすぎた文学のあり方に

対するアンチテーゼがあり、「主体」を回復しようとする欲求から、

アニー・エルノー、クリスチーヌ・アンゴ、マリ・ニミエ、アンヌ・ヴィアゼムスキー

といった女性のオートフィクション(私小説)の書き手が次々と出現するに至った。

その端緒となったのが、このデュラスの『愛人』である。

「映画で観たわ。」とおっしゃる方も多いだろう。

かくいうキューピーもメコン河を渡る渡し舟のシーンをうっすらと憶えている。


この小説はデュラスがすでに作家として大成していた71才のときに、

始めは写真集に付け加えるコメントのつもりで書き溜めたものが

小説になっちゃたわって感じで、文章の中にもその痕跡がある。

71才のときに書かれたというのは、家族、親戚、知人の多くが他界してしまい、

気兼ねなく自分のプライバシーを公に出来る環境になったというのも

小説化の大きな要因に違いない。


この小説がベストセラーになり、ゴンクール賞まで受賞し、

一部の顰蹙を買った要因は一つしかない。

それは、フランスの植民地だった旧インドシナで、

15才のフランス人少女が華僑の金持ちの青年の愛人になる

というスキャンダラスな内容そのものだ。

愛人との関係以外の叙述も、母と二人の兄に対する愛憎が多くのページを割いているが、

それらは陰鬱で、僕は不愉快だった。


放送大学の教科書には

「単なる告白や暴露の安易さを超えて、「地下に埋めてしまったような」、

自己の深い地層にまで降りていって「わたし」を新たに発見する、

一つの冒険としての物語を生み出している。」

とまで書いてあるが、

知能の至らないキューピーにはそこまで読み解くことは出来なかった。


残念ですが、☆☆です。

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