ちびたの日常

のんびり息子と猫たち&イギリス人ハニスケと

教わったこと

2011-03-18 | 私の愛する仲間たち

最近とは言わず、イライラとすることはよくある。

気が短いところがあるのでそこと混同していて気がつかなかったけど、自分でもくだらないことが目につくなと思っていた。

今朝、ストーブの前でボッとしていてふと思った。

「あ。ホルモンのバランスのせいもあるかもしれない・・・」

循環器系が弱いせいか血の道症のような症状が出たりでなかったりしていて、普通に体の異変はある程度仕方ないと思っていたけど、イライラするのは考えていなかった。

昨日、オークランドの友達にその話をメールした。

彼女は「本当にホルモンのバランスもあると思うよ。その他に、makiちゃんが成長しているせいもあるの。昔は気がつかなかったことに気がつくのはそういう感覚が身についたからなのかもしれないの。子供ができてからのmakiちゃんは凄く強くなって人間的に大きくなったから、そんな人脈に恵まれ始めるとその循環にのってまた成長し、そして新しい人脈ができるからその繰り返しを起こしているの。イライラするなら自分にもそういう部分があったことと、そんな未熟な頃の自分はまわりにどうして欲しかったか欲しくなかったか、たまに考えて見るといいよ。」

そういって綺麗な瞑想と言うやり方を教えてくれた。

瞑想でなくても夢中になることを見つけて頭が他に考え事をしない時間があるといいねと言ってた。

瞑想は多分高校生の頃からたまにする。大体は朝凄く早い時間が多いけど、最近寒いから早起きが苦手だった。

最初に始めたのは、部活の顧問の先生がキリスト教の宣教師をしていた人で 私に「あなたは絵を描くことで何か気を紛らわせてはいませんか」と言った。実は家庭の中でいろいろあったころで、素直に話すと最初の瞑想のことを教えてくれた。

キリスト教にもあるんだなと思ってやっているうちに、いろんなことが起こって瞑想のその前の準備がいるようになって、今に至った。

オークランドの友達は経緯を知っていて、「さっぱりやり方を変えたらどうだろう。結局敏感だからそうなるわけだし、シンプルな方が長くできるもんね。」と言って、新しいやり方を教えてくれた。

それは今朝の出来事だったので今晩からやってみる。

 

だいぶ前だけど、息子と一緒にイオンで片手に入るくらいの緑の石を見つけた。

ちょっと手に握っただけなのに、何か胸の中にあった物を吸い取られたような感覚があった。

そんなに高価な石でもなかったけどビックリして「すごいなあ。なんて石だろう」と見つめてしまった。

そのまま石を置いて移動したけど、やっぱり気になった。

その石に縁を感じていたのかもしれない。

結局その石を買った。

その緑の石は家に帰ってからもその能力を発揮した。

握っただけで負の感情を吸い取ってしまうのか、魔法のようだった。

私と相性がいいのだなと思う。なんでも難しく考えてしまう私を見かねて、イオンのお店のカゴの中から私の足を止めて自分を握らせて一緒に来てくれたのだと思っている。

優しい石なんだと思う。

昨日、会社に持って行った。パソコンの前に置いた。落ち着かない場所に来てしまったと石が思っているようで、なんか悪いことしちゃったなと思ってもう会社には持って行かないと決めた。

今朝、息子があんまりぐずぐずしてイライラする自分に傷ついていたけれど、あの石を触った。

やっぱりすぐに冷静になってきた。

なんて言う名前の石なのか調べてみた。

「カイヤナイト」という石だった。効果は「心の呪縛を解き放し、疲れを癒す石」とあった。

やっぱり・・・と納得した。

 

オークランドの彼女にメールで教えた。

彼女は私に「ああ~気が合うはずよ。私は納得行くわ。石に好かれたね。」

ちょっと嬉しかった。石だけど私のようなやつを気に入ってくれたんだったら。

カイヤナイトは地球のかけら。

たまに大地は人を襲う。

だけど人を助ける。

 

彼女が「地震、他人事じゃないよ。私の祖国の話だもん。この瞑想のこと、もし良かったら知りたい人にメールしてあげてよ」と言った。

彼女とカイヤナイトにいろいろ教わった。

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まとめたがりっている

2011-03-14 | 自己啓発日記

地震で噴火でいろいろ大変だけど、その被災者の立場になったら言えないことも結構ある。

今日、あるブログを見ていて気分が悪くなっていた。

全体的に「ほんと他人事だからこんなことかけるんだろうな」と思った。

最初に見たのは土曜日。

地震の次の日で、朝一番に見た。

死んだ人がたくさんいてその中に自分の家族がいるんじゃないかと思っている友達がいて、地震の次の日にそんな人の気も知らないで「バカじゃないの」と思わず言ってしまったような記事を見てしまってそれからそのブログを開くことはなかった。

いろんな考えがあって当然だけど、どこかの大手のサイトで埋もれて見えなくなるようなそんなブログならどうでもいい。

ただ、私が事務局をしているような小さなサイトでやれば目立つし、ユーザーはリアルで友達がいたりする。

ちょうど1週間前くらいに別な友人から電話来て、「あいつはなんなんだ。俺はああいうことを書くやつは全然理解できんね」と11時過ぎに電話が来て言われた。

そんな遅くに酔っぱらってかけてまで言うってことはよっぽど気にしていたんだろうけど、私も軽々しい話ではないなと思っていた。

そんな矢先、今回の記事を見て、こういうネットの中での生き方って凄い考えた。

バーチャルであっても人間の心が作る世界だ。

実はそんな風に思っていたのかとわかるもんだ。

自分は仕事だからってのもあるけど、誰が見てるかわからないとは思ってる。

私の考えの問題かもしれない。でも見なきゃよかったなって今も思う。

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おばちゃんが信じるもの

2011-03-09 | 家族のお話

おばちゃんがかれこれもう30年近く何かの宗教団体のところへ通っている。

おばちゃんは離婚してすぐその新興宗教に入った。

特にまわりに進めるわけでもなかったし、お金がかかっているわけでもなかったし、誰もが良いとも悪いとも言わない。

そのおばちゃんが半年前くらいに珍しく自分のお店のお客さんにその宗教の話を熱弁していた。

私は雑誌を見ていてもそのおばちゃんの声が大きくて聞こえてしまった

その話はずるずると長引いて、とうとうおばちゃんがどうやらその団体のトップクラスであることもわかった。

そりゃ~30年もいればそういうこともあるんだろうと特に気にもしなかった。

ただ私はおばちゃんの家庭状況を知っていて、その宗教が何かの足しになっていると思っているのは勘違いだろうと考えていたし、子供たちや孫たちや旦那さんは私に電話してきてはおばちゃんの愚痴をこぼしていた。

いわゆる「信じる者は救われる」の状態で、その救われるという状態はどういうときかもわからないだろうし、おばちゃんは30年も救われていないらしい。

とうとう70歳が近くなって、まだそれを言うかと私は少々あきれていた。

「旦那や息子が変わる」という声が聞こえてきて心の突っ込み自分が「イヤ、それは知らんだけやろ」と言ってる。

おばちゃんは無邪気で純粋な人だ。悪く言えば自己中とも言う。

だけどまっすぐな人間だ。だから憎めない。

そして弱い。

話を聞きながら弱いんだなあってじわっと頭の中に浮かんできた。

弱虫ってことじゃないけど、上手く説明できないけど。

信じるって大事だ。大切な支えだろう。私もあるけどそれは人間なら当たり前に信じていいものを信じているわけで、裏付けがない哲学を振りかざしているものを信じているのは よほど何かに寄りかかりたかったのだろうかと言う気がする。

なぜ30年もおばちゃんに何も言わないで、今になってこんな風に考えるのかというと、おばちゃんの人間質を客観的に見るようになったことと、何よりおばちゃんがまわりに勧め始めたことだ。

まあお金が絡まないだけセーフな感じもするな。

教祖的な人がいて、その人が自動的に利益を得るシステムがあったりするともうネズミ講じゃないかという目で見てしまう。

おばちゃんが信じるものは順番が違う。

最初に家族で次に仲間で次に先祖で次に恩恵をさずける存在じゃないのかな。

私はあれからおばちゃんに会ってない。

あの新興宗教の神様がもしすばらしいものなら、おばちゃんは私が会いたくなるようなパワーの持ち主だったはず。

昨日、母が「電話も来ないけど生きてるんだか・・・」と言った。

私は「私が小さい頃のおばちゃんはおっちょこちょいでぼやっとしてたけど仕事が上手で明るい人だったよね。その頃の方が好きだったかもしれない」というと、母は「昔は頼りがいがあってカッコ良かったのよ。」と昔のおばちゃんを自慢げに話した。

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鼻づまり

2011-03-07 | 子育て日記

息子の鼻が詰まるので・・・・

貼ってみました。鼻に・・・

 

 

サロンパス。

このやるせない感じが・・・それでよくなったか???

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何がしたいんだ。

2011-03-07 | 子育て日記

熊本の3歳児を殺害した学生の話を息子と息子のガールフレンドと3人で見た。

「意味がわからん。意味なんてないんだろう。どうやったら心にばっさり突き刺さるような罪の感じさせかたってできるんだろうね」と10歳と8歳の子供に聞いてしまった。

10歳の息子は「3歳の子供でも一人でトイレに行くのって普通?」と言った。

そこは私も疑問だ。自分がそうしたことがないから。

だけどそこは一番自分を責めてしまうツボだろうからそっとしておいて、「この兄ちゃんは頭で残虐なことを考えるだけじゃすまなかったんだね。現実にやってしまうなんて正気じゃないし、悲しいけどこういう人がいるって現実は本当にあって自分たちも気をつけなきゃいけないよね」

 

息子のガールフレンドは「私は蹴り飛ばして逃げるよ」と言った。

息子は「ぜったい全然効かないって。」と言った。

「私強いもん」っとガールフレンドは言った。

「じゃあ、おばちゃんに腕相撲で勝ったら信じてやる」と言って、私と腕相撲してもちろん彼女は負けた。

「ほら。おばちゃんでもかなわない大人は大勢いて、蹴ったりしようとしたらその足を捕まえられるからそばにも近づいちゃダメ」と言った。

 

だけどその子には逃げろと言ったのに、あんなやつがうちの近所にいたら私も蹴り飛ばしてやりたいと実は思う。

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