「由久波多賀都麻」<ユクハダガツマ>について、本居宣長は、「古事記伝」で、次のように書いております。
”さて、誰夫とおぼめき云るに、大后を憚り賜いひて、御思すままにも得物し賜はで、いそぎ還り坐スを、あはれと思ヒ奉れる意含みて、いとど別レ奉る情深くあはれに聞こたり”
と。なお、「おぼめく」とは、知っていながら、知らないふりをするという意味です。念のために。
見ても、すぐ、お分かりのように、宣長は、この中で「あはれ」を、二度、使っております。
この「あはれ」ですが、古来から、云い尽くされている言葉ですが、辞書によりますと、その情については沢山の解釈がしてありますが、この場の「あはれ」に相当するものには、「(感嘆・嘆美・悲哀・哀憐・同情・愛着・驚嘆など様々な感動を表す言葉で)ああ、ほんとうに」という解釈だと思います。
その内、最初にある「あはれと思ヒ奉る」は同情の情ですが、最後に書かれてある「情深くあはれ」は、悲哀・哀憐の情で、その違いを彼らしく上手に使い分けしている好例ではないでしょうか。
なお、是も蛇足ですが、宣長は、「あはれ」は感嘆の言葉「ああ」と「あれ」からできた言葉だとしております。