私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

その後の黒日売は

2015-09-16 10:44:31 | 日記

 「由久波多賀都麻」と、己の定めに哀愁を込めて詠いあげた黒日売ですが。この後、どうなったのでしょうか?????
 それについては歴史は何も語ってはいません。これだけで、黒日売についての記述は、終わっています。その後、彼女は幸福なる人生を送ったのか、そうでなかったのかは定かではありません。ただ、存在の時間的な差異が大きい(100年の差)ために、現代では、その名は消え去ってしまっておりますが、「黒姫塚」の伝説だけが、わずかに、残っております。備中国分寺の近くにある、現在では、「こうもり塚」という名が一般になっていますが、かっては、この古墳が黒媛のお墓だと言われていました。

 なお、彼女の父は「吉備海部直」と書かれており、吉備の海である「穴海」を中心として、瀬戸内地方を支配していた海の王者だったと思いますです。でも、彼は、どこを根拠に活動していた人か、その名前は?それらは総て謎なのです。でも、堂々とした日本の国史である古事記に書かれているお話です。あったか無かったか、存在していたかしていなかったかは不明なのですか、吉備人の一人として自慢できるお話の一つだと思い、私は、しきりに広めているのですが。

 まあ、これで、日本書紀の「兄媛」と古事記の「黒日売」についての吉備の美女のお話を終えます。