吉備の美女について書いていたのですが、またその続きを書いてみます。何時だったかは忘れてしまったのですが、多分3年ほど前にこのブログで取り上げたことがあったと思うのですが、吉備には太古の昔には日本を代表するような美女がうようよとするぐらい沢山いたことが日本書紀などを見ておりますと出ております。
その一番は、何と言っても、「黒日売」です。当時の絶世の美女の一人だったことに違いがありません。次は、当然、兄媛を上げなくてはなしません。では、3番目となると、「稚媛<ワカヒメ>」です。稚媛とは、雄略天皇の時代の代表的な美女だったのですです。
ここで又寄り道を。
日本の歴代の天皇の内、(16代)応神天皇ー(17代)仁徳天王ー履中天皇ー反正天皇ー允恭天皇ー安康天皇ー(22代)雄略天皇と続きますが、3番目の美女、「稚媛」は22代の雄略天皇の時です。この時代は天皇の勢力が一段と増し、吉備など地方の大王の力が弱まった時なのです。
どのように吉備の国が衰退していったかというお話を、この美女「稚媛と絡めて紹介したいと思います之でお読みください。