奈良佐紀古墳群の視察に参加して、その途中に大変珍しい古墳がありましたので、この古墳もついでだと思いご紹介します。それは、平城天皇の御陵です。平城天皇と云えばあの古今集にある
“ふるさととなりし奈良の都にも色はかわらず花はさきけり”
でもお馴染みの天皇です。平安遷都の桓武天皇の長男として生まれ、奈良の都がとても好きだった天皇です。そのために平城という字をご自分の天皇の名にしたぐらいですから。
それが、810年の自分の愛人藤原薬子の反乱に加担したため悲劇に終わり、自ら剃髪しておしまいになられたのだそうです。
その天皇のお墓が、あろうことか、平城宮の北の隅にあるのです。このお墓は、もともと、5世紀に造られた前方後円墳だったのですが、710年「平城宮」を造る際に、前方部その中に取り込まれ壊されてしまいます。その残りの後円部があったのを、平安時代になって平城天皇のお墓として造り替えたものだと言われている古墳です。古墳の破壊第1号の古墳としてもその名を馳せているのだそうです。
ですから、この古墳は元々は誰のお墓であったかは定かではないのだそうですが、いまでは、陵墓となって宮内庁が管理しております。