私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

73年前の今日、私の遭遇した出来事です

2018-08-15 13:10:01 | 日記
 「かけがえのない命を失った人々へ・・・」と、天皇は戦争の惨禍を強く訴えていました、今日は終戦記念日です。この日がどうして国民の祝日にならないのかは分かりませんが、太平洋戦争が終わった時から73年が経ちました。其の当時、私は小学校3年生です。当時の記憶は余りありませんが、その中で、特にはっきりと覚えているのが、岡山空襲の時の夜空にB29が何機も西の空を向けて青や赤の光を付けて飛んで行っていました。其の飛行機が西に飛び去った後の東の空が真っ赤な夕焼けの様に照り輝いたのも覚えております。だれかが
 「岡山が空襲にあったんなじ。どうなるんじゃろうかな」
 と叫んでいたのをうすぼんやりとですが覚えております。
 このような小学校3年の私が覚えている戦争の影です。そのような戦争の話が何やかやと私の耳に沢山はいるようになったある日ですが、これも、どうして私の家にか分からないのですが、近所の人達が大人も子供も集まって4球ラジヲを前にして、何か知りませんが聞いていたのを覚えております。その放送を聞いた5つ年上の隣の「つよっさん」が言ったことを
 「わあ!!!やったあ。これからはなにゅうしても、ええんじゃ。自由んなじゃ」
と。彼は青年学校へ行っていたのですから、戦争の終了の場合は、世の中がどのように変わるか教えてもらって知っていたのでしょうから、それくらいのことは知っていたのでしょう。しかし、彼の言った「自由」とは
 「土手の外に植えてあるスイカをみんなしてとりにいこうや―。なにゅうしてもええんじゃから、自由なんじゃから。」
 という自由でした。そんなことが73年前の今日私が思ったことです。また、この放送を聞いていたおばさんたちからは、
 「これから、アメリカ人が来て、おめえらの鼻や耳をひっちぎってむしりとらへるんじゃ。ええつらはなにゅうするかわからん鬼みてえなきょうてえ人間じゃ。どうなるんじゃろうかなあ」
 と、ささやきが聞こえてきます。空恐ろしい世の中になるかもしれないという不安な気持ちにもなったのを覚えています。

 まあ、それから、そこにいた子供たちはわいわいがやがやと土手の外に植えてあったすいか畑をめがけて飛んで行った事を覚えております。その後の結末までは、私の記憶には残っておりませんが。

 これが73年前の私の記憶です。