”更至四十西営田”
「更」とは「その度事に例がいなく皆が」という意味です
「営田」とは、中国の西方の未開の地の派遣されて、普通は農業を営みながら、有事の際、兵として敵と戦う、漢の時代に定められた制度です。この制度によって国民多くは、若い時は北方に、40歳を過ぎる頃には、今度は、西にと、「お国」の為に働かせせられたのです。
そして、行人は、更に、“道旁過者”に語りかけます。
去時里正与裹頭 <去る時 里正 与(ため)に頭を裹(つつ)み>
村を離れる時です。里正は村長です。中国では、男子が20歳になると、頭を布で包んで、立派な大人として認める儀式をするのです。その儀式が済むと同時に、出征させたのです。
歸來頭白還戍邊 <歸り來って 頭白きに還た邊を戍<マモ>る
何年か後に村に帰ってきた時には頭は白髪になっているにもかかわらず、また辺境の地を守るために派遣させる。
邊廷流血成海水 <辺庭(へんてい)の流血 海水と成るも>
大勢の出征兵士たちは戦いのためにその辺境の地に倒れ、あたかも彼等の流す血で河が海水のようになっても
武皇開邊意未已 <武皇(ぶこう) 辺(へん)を開く意 未だ已まず>
それでも皇帝は領土拡大の戦いをやめようとしない
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