まあ、これはどうでもいいことなのですが、少々気になることがありますので、書いてみます。
と云うのは、オホクニが妻「須世理毘売」と住むために建てた神殿の柱は「布刀」で、建御雷神に要求した神殿の柱は「布斗」です。また、その家の屋根を飾る「千木」ですが、「冰椽と冰木<ヒギ>」と字を違えて表しております。宣長先生もそこまでの説明はないのですが、辞書によりますと「椽<キ>」とは丸い柱のことで
のような、立派な特別に設えた、所謂、「千木」ではなく、当時の一般の人が暮らしていた竪穴式住居を作るために土地に埋めた柱の一部が其のまま空に向かって突き刺さるように残っている丸い柱を云うのだそうです。
(絵にあるように、弥生時代の建物を見ると、屋根を作るために使われた材木の一部が屋根を突き抜けて空に突き出ています。これが、次第に屋根の上を装飾するものに変化して、後の、千木や鰹木になたっと云われております。
それに対して、「冰木」の「木」は桷<カク>と呼ばれる物で、これだけのために特別に設えた、所謂、「千木」なのです。そのような壮大な、しかも、美的な物を要求されたのだと思います。
なお「布刀」と「布斗」の違いについても書いてみます。「刀」ですが、当時は、まだ縄文の時代です。縄文の刀と云えば石で出来た刀が主です。主に首長のシンボルのようなものだったのです。それに対して、「斗」には、先が鋭くとがった切れ味の鋭いと云う意味があります。日本刀の様な切っ先の鋭い物を言い表しています。そのような違いを文字によって訴えているのです。
と云うのは、オホクニが妻「須世理毘売」と住むために建てた神殿の柱は「布刀」で、建御雷神に要求した神殿の柱は「布斗」です。また、その家の屋根を飾る「千木」ですが、「冰椽と冰木<ヒギ>」と字を違えて表しております。宣長先生もそこまでの説明はないのですが、辞書によりますと「椽<キ>」とは丸い柱のことで
のような、立派な特別に設えた、所謂、「千木」ではなく、当時の一般の人が暮らしていた竪穴式住居を作るために土地に埋めた柱の一部が其のまま空に向かって突き刺さるように残っている丸い柱を云うのだそうです。
(絵にあるように、弥生時代の建物を見ると、屋根を作るために使われた材木の一部が屋根を突き抜けて空に突き出ています。これが、次第に屋根の上を装飾するものに変化して、後の、千木や鰹木になたっと云われております。
それに対して、「冰木」の「木」は桷<カク>と呼ばれる物で、これだけのために特別に設えた、所謂、「千木」なのです。そのような壮大な、しかも、美的な物を要求されたのだと思います。
なお「布刀」と「布斗」の違いについても書いてみます。「刀」ですが、当時は、まだ縄文の時代です。縄文の刀と云えば石で出来た刀が主です。主に首長のシンボルのようなものだったのです。それに対して、「斗」には、先が鋭くとがった切れ味の鋭いと云う意味があります。日本刀の様な切っ先の鋭い物を言い表しています。そのような違いを文字によって訴えているのです。
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