朝から生憎の曇り空です。折角の一年一回の中秋の名月も、唯、三宝にもったいぶったお酒を飾って、私自身の顔を赤らめて満月にするだけの何とも味気ない名月になってしまいそうです。
さて、皆さんは「名月」と云えば何を思い出されますか・・・私は、毎年、吉備津神社の側にある竜神池を回りながら、普賢院の、今にも崩れ落ちそうな古風な山門の脇を通り抜け、古い宮内のたたずまいをわずかに残す屋並みの中に立ている鳥居を潜り抜け、細谷川の瀬音でもと徘徊しながら、名月や名月やと、作れもしない駄句を漠然と頭に思いながら、唯、夢遊病者のように歩くだけの名月観賞の一時を過ごすのが通例になっております。
さて皆さんは、此の名月を読んだ名句と云えば何を心に浮かべられますか???私は、毎年の私自身の名月探索の行程から、誠に平々凡々とですが、次の二句を心に描きつつふらついております。
“月天心 貧しき町を 通りけり” 蕪村
“名月や 池を廻りて よもすがら” 芭蕉
なお、此の写真は真昼間の宮内に立つ鳥居付近の宮内の屋並みです。決して、貧しき町ではないのですが、江戸の繁華な町の様子に比べると、大層な、人通りも三味の音のない人っ子一人通らない、誠に、侘びしくて淋しげな貧しい感じがひしひしと胸を打つのです。特に、真昼の太陽の元で見る町と比べると、月の光の元で見る町の様相は、その感が大きく思われるのです。
よかったら一度!!!この鳥居を潜り抜けながら、この蕪村の句を口ずさんでみられたら いかがなものでしょうか。 月明かりの中の“貧しき町を”とは何であるかよくお分かり頂けるのではいかと・・・・
さて、皆さんは「名月」と云えば何を思い出されますか・・・私は、毎年、吉備津神社の側にある竜神池を回りながら、普賢院の、今にも崩れ落ちそうな古風な山門の脇を通り抜け、古い宮内のたたずまいをわずかに残す屋並みの中に立ている鳥居を潜り抜け、細谷川の瀬音でもと徘徊しながら、名月や名月やと、作れもしない駄句を漠然と頭に思いながら、唯、夢遊病者のように歩くだけの名月観賞の一時を過ごすのが通例になっております。
さて皆さんは、此の名月を読んだ名句と云えば何を心に浮かべられますか???私は、毎年の私自身の名月探索の行程から、誠に平々凡々とですが、次の二句を心に描きつつふらついております。
“月天心 貧しき町を 通りけり” 蕪村
“名月や 池を廻りて よもすがら” 芭蕉
なお、此の写真は真昼間の宮内に立つ鳥居付近の宮内の屋並みです。決して、貧しき町ではないのですが、江戸の繁華な町の様子に比べると、大層な、人通りも三味の音のない人っ子一人通らない、誠に、侘びしくて淋しげな貧しい感じがひしひしと胸を打つのです。特に、真昼の太陽の元で見る町と比べると、月の光の元で見る町の様相は、その感が大きく思われるのです。
よかったら一度!!!この鳥居を潜り抜けながら、この蕪村の句を口ずさんでみられたら いかがなものでしょうか。 月明かりの中の“貧しき町を”とは何であるかよくお分かり頂けるのではいかと・・・・
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