「源氏」ですが、それについてもう一日だけ書いておきます。彼らが生活の場としていた館、そうです。「寝殿造り」ですが
のような造りなのだそうです。
光源氏の屋敷にはこのような建物が四棟揃っている大邸宅です。即ち、その東南には「春の町」があり紫の上と源氏が、東北には「夏の町」に花散里が、西南の「秋の町」には秋好中宮が、西北には「冬の町」があり明石御方がそれぞれに住んでいたのです。愛する女性をいつも4人同じ屋敷内にです。現代では、決して、考えられないような家庭生活をしていたのです。これが貴族理想の生活だったのです。
このそれぞれの町の様子も紫式部は詳しく描写しております。その一つ「春の町」は
“築山は高く、春花のたくさん植え、御前に近い前栽には、五葉の松、紅梅、桜、藤、山吹、岩つつじなどを配し、秋に咲くものをその間に「むらむらほのかにまぜたり」”
と絵巻物のような館の様子を詳しく文字によって描き出しております。
こんな絵も
ありますが
のような造りなのだそうです。
光源氏の屋敷にはこのような建物が四棟揃っている大邸宅です。即ち、その東南には「春の町」があり紫の上と源氏が、東北には「夏の町」に花散里が、西南の「秋の町」には秋好中宮が、西北には「冬の町」があり明石御方がそれぞれに住んでいたのです。愛する女性をいつも4人同じ屋敷内にです。現代では、決して、考えられないような家庭生活をしていたのです。これが貴族理想の生活だったのです。
このそれぞれの町の様子も紫式部は詳しく描写しております。その一つ「春の町」は
“築山は高く、春花のたくさん植え、御前に近い前栽には、五葉の松、紅梅、桜、藤、山吹、岩つつじなどを配し、秋に咲くものをその間に「むらむらほのかにまぜたり」”
と絵巻物のような館の様子を詳しく文字によって描き出しております。
こんな絵も
ありますが
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