造山古墳は舌状台地の北側の先端を利用して造っています。その造築の順序として、葛原は、造営当初のこの土地を覆うの植生について
「アベマキ、ヤマザクラ、コナラなどの樹木の伐採から始まる造営の第一歩は、墳域だけに限られたものではなく・・・前方部前面にある陪塚群のあたりまでと仮定してじつに26万㎡をこえる。」
としています。
古墳の高さの3分の2が山地で、3分の1は付近から土を運び突き固めて墳形を造っています。前方部南側は山を削り出し谷を造っています(幅30m、深さ4~6m、全長230m、総量2万㎡)。なお、この付近を地元では「地獄谷」「地獄田」(写真の細長い窪地)と呼んでいますが、この地が花崗岩質の硬い岩盤であったため、それを削る作業が如何に困難を極めたかということを物語たっているのだと言い伝えられています。
なお、この古墳の造築に要した土砂や人数などをある大手建設会社が試算しておりますので(昭和63年)ご参考までに・・・
①盛土=27万㎥(10tダンプカー42000台分)
②葺石=4200㎥(同ダンプカー700台分)
③完成までの年数=10数年
④延べ人数=150万人
⑤金額=200億円
「アベマキ、ヤマザクラ、コナラなどの樹木の伐採から始まる造営の第一歩は、墳域だけに限られたものではなく・・・前方部前面にある陪塚群のあたりまでと仮定してじつに26万㎡をこえる。」
としています。
古墳の高さの3分の2が山地で、3分の1は付近から土を運び突き固めて墳形を造っています。前方部南側は山を削り出し谷を造っています(幅30m、深さ4~6m、全長230m、総量2万㎡)。なお、この付近を地元では「地獄谷」「地獄田」(写真の細長い窪地)と呼んでいますが、この地が花崗岩質の硬い岩盤であったため、それを削る作業が如何に困難を極めたかということを物語たっているのだと言い伝えられています。
なお、この古墳の造築に要した土砂や人数などをある大手建設会社が試算しておりますので(昭和63年)ご参考までに・・・
①盛土=27万㎥(10tダンプカー42000台分)
②葺石=4200㎥(同ダンプカー700台分)
③完成までの年数=10数年
④延べ人数=150万人
⑤金額=200億円
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