私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

応神天皇の御子たちを(少々入り組んではいますが・・・)

2020-01-27 10:17:49 | 日記
 これもどうでもいい話ですが、ついでの事にその内訳を簡単に書いてみますので、よかったら見てください。大変に入り組んでいますので私にもよくわかりませんから????

 まず、最初の妃からです。天皇は品陀真若<ホムダノマワカノミコ>の娘の三人の女王を妻にします。
       ・高木之入日売命<タカギノイリヒメノミコト>
       ・中日売命<ナカツヒネノミコト>
       ・弟日売命<オトヒメノミコト>
         高木之入日売命の御子に
              ・額田大日中子命
              ・大山守命<オオヤママモリノミコ>
              ・伊奢之真若命
              ・大原郎女
              ・高目郎女
         中日売命の御子に
              ・木之荒田郎女
              ・大雀命<オホサザキノミコト>
              ・根鳥命
         弟日売命の御子に
              ・阿部郎女など皇女が五柱

      更に、宮主矢河枝比売を妻として御子に
              ・宇遅能和貴郎子<ウヂノワキイラツコ>など三柱

 など、まだまだ次から次へと新しい妃に生ませた御子を合わせて全部で二十六柱の皇子皇女になります。でも、この中から次の日継の御子になられのは「中日売」命の御子の「

               “大雀命<オホサザキノミコト>”

 です。そこらあたりの経緯も少々書いてみますので・・・・

  

         

“品陀和気命<ホムダワケノミコト>”

2020-01-25 10:33:56 | 日記
品陀和気命<ホムダワケノミコト>が仲哀天皇を継いで天皇になられます。応神天皇です。なんとこの天皇もまた子沢山です。二十六柱です。
 なお、これまでの天皇の内でもっとも多くの御子がいたのが景行天皇です。日本武尊を始め、その数は何と八十柱とかや???ちなみに景行天皇、御年106歳で崩御されております。
 応神天皇の歴史で、特に面白いというか、そんなことが日本の正史に、本当にあたのかと思われるような珍しい妻選びが見られます。それは「ホムダノマワカノミコ」の娘3人を妻にしたというのです。2人の娘をという記録は孝霊天皇の時にもあったのですが・・・

 

"酒楽”

2020-01-25 10:33:56 | 日記
 少し御子に母親が勧めたお酒について書いてみます。
 御子はまだ幼児です。その美味しさなど分るはずがずがありません。それを見た建内宿祢がせっかくの酒の美味しさを御子に代わって”酒楽<サカホガヒ>”の歌を歌うのです。ここらあたりに古事記の故事たる所以があります。うまいもんですね。その歌を・・・・・・・・・
 「このお酒を造った人は、周りにいる人たちの打ち鳴らすお囃子の中で、きっと踊りながら、酒造りをしたことでしょう。だから、このお酒を飲めば飲むほどに
             ”阿夜邇。宇多陀怒斯 佐佐”
             <アヤニ ウタダヌシ>
大変に楽しい気分になって浮き浮きした楽しい神の気分にもなりますよ。ササ。皆さんも一緒に飲んで楽しみましょう。」

 なお、酒楽<サカホガヒ>とは「酒宴をして祝うこと」と辞書にあり、宴席でカラオケをして楽しむようなものです。

 

また余残ごとですが・・・

2020-01-24 14:08:17 | 日記
 神功皇后は酒を我が御子に飲まします。が、この酒についてまた、少々知ったかぶりして書いてみますので・・・
 この酒について、古事記では
     ”待酒<マチサケ>”
     ”美岐<ミキ>”
     ”久志能加美<クシノカミ>”
     ”大御酒<オホミキ>”
 などと書いてあり、酒についていろいろな文字で記されてあります。
 さて、この酒について、例の「二千年袖鑑」には、その二編に
        「人王十六代 酒を造る 千五百七十二ニナル」
 と説明があります。
 さらに、貝原好古の「大和事始」には「酒」ついて

 「スサノヲがアシナヅチに命じて八醞八甕の酒を造らせたとあり、これが酒の初めだとしてあります。また、コノヤサクヤヒ
メが天甜酒を造ったともあり、更に、神功皇后の我が子ための酒があり、さらに、応神天皇の時に百済より仁番が酒造りの方法を伝え、大御酒<オホミキ>を造って天皇に献上した」

 とあります。
 このようなことから分ることは、我が国における酒の歴史は縄文よりも古い時代から造られていたのだそうですが、どうも、お米から作られるお酒は、古事記の伝える百済の仁番によって伝えられてからではではないかと思われます。それ以前のお酒はブドウなどの果物を噛み砕いてつくられたものではなかったかといわれています。



“佐佐”とは???

2020-01-23 08:51:35 | 日記
 母親が幼き我が子のために“美岐<ミキ>”酒を「一滴も残さずに」と勧め、それを、更に促すために

        “佐佐<ササ>”

 と言葉を懸けます。幼い幼児ですから、幾分かの、その匂いに躊躇があったのでしょうか、それを見た母親が、次の天皇になる我が子に対して、天の神からの贈り物である寿ぎの神酒を
 「さあさあ早くお飲みなさいよ。愛しの我が子よ。」
 と、愛情いっぱいに呼びかけて、杯を差しだしたのです。武内宿禰が杯を受け取り、うやうやしく御子の口に持って行き飲ませます。
 そのときに使用した酒器はどのようなものであったかは何も書かれてはいませんが、このような器が使われたのではないでしょうか???写真でお見せしますので、ご批判ください。