呑んベエSTING

ロック、やきとん、丼、ERをこよなく愛するオヤジのたわ言

牛丼を売らなくなる牛丼チェーンに想う

2014-02-11 22:47:47 | 丼・カレー・ラーメン・パスタ・そば


牛丼チェーン(弱小ですが・・・)「なか卯」が、
2月12日AM11時をもって「牛丼」の販売を止めるんだってさ~!

代わりに「牛すき丼」って今まで以上に「すき焼き」色を出した丼を
メイン商品のひとつとして販売開始するらしいが、
「吉野家」の時も言いましたが、「すき焼き丼」は「牛丼」ではありません。

食文化の歴史をひも解いていただければお判りになると存じます。

ちなみに「すき焼き」と「牛鍋」もまったくの別物ね。



とにかく、
「なか卯」は、40年の牛丼店の歴史に幕を下ろすわけです。

「牛丼」が無い限りは、牛丼チェーンとは名乗らせませんから!


関西のうどん屋から「モスバーガー」傘下のチェーン店に発展し、
「すき家」を運営する「ゼンショー」の傘下に納まってからは、
「吉野家」「松屋」とは差別化した独自路線色が薄くなり、
「すき家」とバッティングしないように配慮されることで、
味も良さが無くなって、商品構成もつまらないものになってしまった。

まあ、
基本的に「牛丼」は「吉野家」以外は喰わない主義なのだが、
「どんどん」「牛丼太郎」(以上消滅)「たつや」(新宿店のみ)と、
マイナーながらも牛丼チェーンが減っていくのは寂しい限り。

確かに「牛丼」は他チェーンとの価格競争で「並:280円」前後で価格が落ち着き、
単価も収益も上がらない商品となりましたが、
単価の高い利益率の高い他の商品を売ったほうがいいから、
看板商品を看板から降ろしてしまおうなんて考え方は、
飲食店の外食企業の矜持が無さ過ぎではないだろうか。

必ず、
チェーン店の存在の必然と価値を問われて破綻を招くこと必定であります。

老舗の生き残りは大変です。

でも、
看板を偽ってまで長くやり続けることも無いのです。


「なか卯」の矜持が保てないのなら、
「すき家」ブランドに吸収されてしまえばいいんですよ。

味はすでにそうなっているのですから。

残念無念。



明日の朝、
最後のお別れに喰ってこようかな。。。

広田弘毅に想う。

2014-02-11 20:12:06 | 呑んだり喰ったり語ったり


広田弘毅を題材とした城山三郎の小説「落日燃ゆ」を読み終えた。


広田弘毅は、
外務官僚から外務大臣そして外務官僚から初の総理大臣に、
そして第二次世界大戦敗戦後、文官では唯一A級戦犯として有罪、絞首刑となった。

根っからの外交官である広田弘毅は、
昭和に入ってから中国大陸で暴走して行く陸軍(関東軍)と対して、
外交一本で戦争への道を回避しようと当事国との協和外交模索に
孤軍奮闘する平和主義者の役人・政治家である。

「自ら計らわず」を身上に、人と争うことを避け、
交渉相手の立場に立って事態を打開して行く。


そんな清廉な人が、なぜA級戦犯として扱われ、
長い極東軍事裁判(東京裁判)で戦勝の連合国から裁かれ、
しかも有罪となり極刑の死刑にまでなったのか。

その経緯と広田弘毅の人となりが細かく描かれている小説だ。

広田弘毅は外交官として、特に中ソと言う隣国との外交交渉に神経を使ったようだ。

隣人と仲良くしよう、と言うことだ。

当時、中国は清国崩壊後、国の体を成してなく、
ソ連は南下政策で北上する日本陸軍と一触即発の状態。

その中で協調外交を説き、
軍の妨害の中で戦争回避のためお互いの利害と面子を考えながら
誠意を持って平和を維持しようと努めた。

そして勝った方も、負けた日本ですら、
そんな広田弘毅にすべての責任を背負わせて、
この戦争がなんだったのかの総括を終わらせたのだろう。

おかげで、国体もなんとか維持できました。。。



A総理にも見習って欲しいものだ。。。

隣同士ってのは、お互いに良く知っている仲であるだけに、
いったん揉めると納めるのが大変だし、エスカレートして行ってしまう。

その代わり、相手のことを理解することも実は容易なはずだし、
そうすることで仲良く協力して事を進めて行けるはずなのだ。

これって、楽観平和主義なんだろうか?



戦争ってなんだろうか。

戦勝国だからって、他国の指導者を「戦犯」決め付けて裁いていいのだろうか。

しかも、犯罪として裁くと言うよりは、
国同士の利害や政治的な思惑をもって裁きは行われていく。

本当に
戦争犯罪(一方的な侵略、虐殺などの非人道的行為など)を裁く必要があるのなら、
当事国(戦勝国)がそれを行うのではなく、
第三国が中立的な立場で判断して行われるべきだろうと思う。

そこには、まったく司法としての独立性が感じられないのだ。

ましてや、日本は連合国からのポツダム宣言を受けての降伏であり、
これはドイツのような無条件降伏ではなく、
講和に応じた、と言うスタンスであったはずなのだ。

進駐軍による占領政策は致し方なかったとしても、
敗戦国だからといって著しい内政干渉を許さざる得なかったことには無念を感じる。

本土空襲、原爆投下、沖縄掃討戦、
そのような辛く悲しい歴史を体験してきたのに、
また同じ事を繰り返そうと考えているのだろうか。

平和主義、ダメですかね?

理想主義、ダメですかね?

東アジア経済圏、ダメですかね?


守りたいものはなんですか?

利権ですか?面子ですか?国ですか?

国民じゃないんですか?
隣国との関係じゃないんですか?

教えて欲しいのです、広田弘毅さん。