天下平定の英雄としてもてはやされ(大阪人には特に)ます。
確かに吸収平定迄の行動には目覚ましいものがある。
結局彼は、信長の遺産を発展させ完結する能力があった。
しかし朝鮮疾病という愚策で、私の評価は崩れる。
もしかしたら、各地の武力をそぐことをもくろんでいたかと
思うほどの阿保な戦争。
自分の身内を削って行って、結局官僚と武将の対立の
素地を作ってしまった。
結局甥っ子を殺して、淀君というマザーにすべてをゆだねた
原因は、秀吉にある。
五大名に死ぬ間際に後を託すなど笑止千万。
はっきりいって晩年の見苦しさからきらいです。