いつもは通勤電車内でこのブログを書いていますが仕事の方が忙しく、電車内でも会社の資料に目を通したりでブログの方が暫く更新出来ませんでした。
ようやくひと段落ついたので久しぶりに再開します。
講師の先生は同志社女子大学教授の山田邦和先生です。
鳥羽離宮は平安京より3kmほど南側に平安時代後期に白河・鳥羽・後白河上皇の三代により造営された離宮です。
面積は約180平方kmの広大な離宮です。
安楽寿院は鳥羽上皇により鳥羽離宮東殿に造立された仏堂を起源とする寺院です。
(写真はインターネットからの転載です。)
ご本尊は阿弥陀如来坐像で重文です。
現在は収蔵庫にお祀りされていて特別拝観時以外はお詣りする事が出来ません。
何気にお祀りされている石仏でしが、いずれも重要文化財です。
近くには鳥羽法皇の美福門院の為に三重塔を造り将来の墓所としましたが、ご本人の希望で高野山に葬られています。
おふたりの間の皇子で夭折した近衛天皇が葬られています。現在の多宝塔は豊臣秀頼による再建だそうです。-新御塔-
(最初の塔は慶長地震で倒壊しています。)
上の写真は白河天皇陵です。
近くには「院政之地」の石碑がありますが、実際の政務は御所で行われていたようです。
白河上皇に続いて院政を行った鳥羽天皇陵です。-本御塔-
当初は院ご自身は土葬を望まれていたようですが、後に陵が暴かれるのを恐れ火葬にされたそうです。
かっての金剛心院があった所は現在の名神高速道路京都南インターの南側にあたりラブホ街になっています。
その一角に陵墓参考地があり宮内庁が管理しています。
北向山不動院です。
鳥羽上皇の病気平癒の祈祷が行われた勅願寺で、ご本尊の不動明王は珍しく北を向いています。(康助作の木造不動明王坐像で重文です。)
鳥羽離宮南殿です。
昭和38年から42年に発掘調査され、建物と庭園の跡が確認されています。
写真の築山は庭園の一部"秋の山"で「平家物語」三に「秋の山の春風に白波瀬に折懸 紫鴛白鴎逍遥す」とあり当時の離宮庭園の様子が想像出来ます。
やがてやって来る武家中心の社会を前に"治天の君"である上皇の最後の贅沢だったように思われます。
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