◆アイスマンの呪い? 伊の凍結ミイラ、関係者7人死亡
asahi.com 2006年01月12日
http://www.asahi.com/international/update/0112/003.html
(きのこゼミ情報メール 1月16日配信)
アイスマンとは、アルプスで発見された約5400年前のミイラ、別名エッツィ、のことです。
きのこゼミ情報メールでは、アイスマンがキノコを持っていたこと、おそらくそれらは薬用として使用されていたということを紹介しました。
しかし、最近このアイスマンについて、呪いのうわさが立っています。
以下、asahi.comの記事から
*********************
イタリア北部のアルプスで発見された約5300年前の凍結ミイラに関係した7人が次々と死亡し、「アイスマンの呪いではないか」などと伊メディアが報じている。この男性ミイラは伊北部ボルツァーノの考古学博物館で公開されているが、宗教関係者らからは「発見場所へ戻し、手厚く葬った方がいい」との声も出ているという。
ミイラは91年9月、イタリアとオーストリアの国境にあるアルプスの氷河で見つかった。冷凍されたミイラとしては世界最古という。弓矢に当たって死んだとみられており、「他の狩猟者に撃たれた」「戦死した」などの説がある。保存状態が良く、世界中の学者らの関心を集めた。
「エッツィ」と名付けられたが、「アイスマン」と呼ばれることが多い。
ANSA通信などによると、最初に亡くなったのは、オーストリア人法医学者のライナー・ヘンさん(当時64)。発見した時に素手でミイラを遺体の保存袋へ入れた人物で、93年に交通事故にあった。ヘンさんを現場へ案内した登山家のクート・フリッツさん(同52)も同じころ、雪崩に巻き込まれて亡くなった。同行していた登山仲間で亡くなったのは、フリッツさんだけという。
3人目は発掘を撮影したオーストリア人のカメラマン(同47)で、04年8月に脳腫瘍(しゅよう)で死亡した。その2カ月後には、最初の発見者の登山家ヘルムート・ジーモンさん(同67)がオーストリア山中で遺体で見つかった。滑落死とみられる。発掘チーム長だったドイツ人男性(同45)は、ジーモンさんの葬儀に参列した数時間後に心臓発作で亡くなったという。
6人目は昨年4月、多発性硬化症の合併症で亡くなったオーストリア人考古学者(同55)。インスブルック大のアイスマン研究室長だった。同年10月にはオーストラリアの学者トム・ロイさん(同63)が、自宅で遺体で見つかった。遺伝性の血液病が死因とみられるが、アイスマンのDNAに関する本の出版を間近に控えていたため、メディアは「呪い?」などと一斉に書き立てた。
ミイラがある博物館は、温度や湿度が氷河と同様に保たれ、来館者は小窓からのぞく形で見ることができる。
参考URL:
http://stella.cocolog-nifty.com/starchartlog/2005/03/iceman.html
asahi.com 2006年01月12日
http://www.asahi.com/international/update/0112/003.html
(きのこゼミ情報メール 1月16日配信)
アイスマンとは、アルプスで発見された約5400年前のミイラ、別名エッツィ、のことです。
きのこゼミ情報メールでは、アイスマンがキノコを持っていたこと、おそらくそれらは薬用として使用されていたということを紹介しました。
しかし、最近このアイスマンについて、呪いのうわさが立っています。
以下、asahi.comの記事から
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イタリア北部のアルプスで発見された約5300年前の凍結ミイラに関係した7人が次々と死亡し、「アイスマンの呪いではないか」などと伊メディアが報じている。この男性ミイラは伊北部ボルツァーノの考古学博物館で公開されているが、宗教関係者らからは「発見場所へ戻し、手厚く葬った方がいい」との声も出ているという。
ミイラは91年9月、イタリアとオーストリアの国境にあるアルプスの氷河で見つかった。冷凍されたミイラとしては世界最古という。弓矢に当たって死んだとみられており、「他の狩猟者に撃たれた」「戦死した」などの説がある。保存状態が良く、世界中の学者らの関心を集めた。
「エッツィ」と名付けられたが、「アイスマン」と呼ばれることが多い。
ANSA通信などによると、最初に亡くなったのは、オーストリア人法医学者のライナー・ヘンさん(当時64)。発見した時に素手でミイラを遺体の保存袋へ入れた人物で、93年に交通事故にあった。ヘンさんを現場へ案内した登山家のクート・フリッツさん(同52)も同じころ、雪崩に巻き込まれて亡くなった。同行していた登山仲間で亡くなったのは、フリッツさんだけという。
3人目は発掘を撮影したオーストリア人のカメラマン(同47)で、04年8月に脳腫瘍(しゅよう)で死亡した。その2カ月後には、最初の発見者の登山家ヘルムート・ジーモンさん(同67)がオーストリア山中で遺体で見つかった。滑落死とみられる。発掘チーム長だったドイツ人男性(同45)は、ジーモンさんの葬儀に参列した数時間後に心臓発作で亡くなったという。
6人目は昨年4月、多発性硬化症の合併症で亡くなったオーストリア人考古学者(同55)。インスブルック大のアイスマン研究室長だった。同年10月にはオーストラリアの学者トム・ロイさん(同63)が、自宅で遺体で見つかった。遺伝性の血液病が死因とみられるが、アイスマンのDNAに関する本の出版を間近に控えていたため、メディアは「呪い?」などと一斉に書き立てた。
ミイラがある博物館は、温度や湿度が氷河と同様に保たれ、来館者は小窓からのぞく形で見ることができる。
参考URL:
http://stella.cocolog-nifty.com/starchartlog/2005/03/iceman.html