「ガリレイの会」について(SSKシリーズその2)
(2014年4月発表)
親しい仲間を語らって「ガリレイの会」というのを始めることにしました。何をするかというと、いい年のオヤジが(できればオバサンも)、中学から高校までで学んだはずの物理化学生物地学など、要するに理科の基礎を勉強しなおそうというのです。先生を呼ぶわけではなく、自分たちで「昔取った杵柄」を納屋のなかから持ち出してきて、相互にレクチャーするという試みです。
いったいなんのためにそんな物好きなことをするのか。本誌の主な読者である塾の先生方は、子どもを教えるためにしっかりした実力を固めておくつもりだろうとお思いになるかもしれません。しかし主たる目的はそこにはありません。
日本の近代教育は、中等教育(中学・高校)から高等教育(大学・専門学校)に至る段階で、理系、文系と分岐して、どちらかに投げ入れられた学生たちは、その路線をひたすら歩み続け、気づいてみると、人格までも理系人間、文系人間などと分類されて評価されるありさまです。別にIT理論やSTAP細胞を研究したからといってその人が豊かな人間性を失うわけではないし、文学や社会思想にのめりこんだからといって、その人が科学的思考を喪失することはないはずです。
ところが現状をざっと見渡すと、どうもこの分裂状況が当たり前のようになっている。試みに、誰でもいいですが、人文系の著名な知識人や政治家やマスコミ人を引っ張ってきて「パスカルの原理って知ってる?」とか「核分裂反応って何なの?」とか聞いてみてごらんなさい。ほとんどの人が正確に答えられないのではないでしょうか。そういうごく当たり前の基礎知識を忘れてしまっているのに、「ゲンパツハンタイ」などと、人々の恐怖感情に便乗してただの良心主義を表明するのってまずくないですか。
この奇形的な二極分化は、日本特有だそうです。明治初期に西洋文明がどっと押し寄せてきて、とにかく早く消化しなくてはならない。みんなが総合知を目指していたのではとても近代化に間に合わないのでとりあえず二つに分けることにした。それが習慣として根付いて、150年近くたってもそのまま残ってしまったということらしい。これを一概に非難できませんが、日本の近代学問は互いに他方にお任せしてしまう専門分化に安住してきたことは確かです。逆説的ですが、だからこそ根拠のない科学信仰がはびこるのです。こういう状態を続けていて、思想が力を持つとは思えません。ちなみにヨーロッパでは長い間、「諸学」はすべてscienceと呼ばれてきました。
で、「ガリレイの会」で何を目指すのか。文系的な知と理系的な知との融合を図る、などと大風呂敷を広げるつもりはありません。しかし世の物事について多少とも真剣に考えようと思うなら、自然法則のイロハくらいはわきまえておくべきでしょう。この問題意識を、志を同じくする人たちの間で最低限共有しようと考えたわけです。
以前、この欄で「三日月が見る間に天頂に上った」などというでたらめなエッセイを書いている作家を批判したことがあります。自然に対する無知は、自然に対する鈍感をも養うのです。
*次回「ガリレイの会」は、以下の要領で行います。参加自由です。
●6月15日(日) 午後4時30分~8時30分
●ルノアール四谷店 マイスペース4F
●アクセス:http://standard.navitime.biz/renoir/Spot.act?dnvSpt=S0107.85
●講義内容:力学の基礎(力、摩擦、圧力、加速度、運動量、仕事、エネルギー、
慣性の法則って何? その他)
詳しくお知りになりたい方は、以下のメールアドレスへどうぞ。
i.kohama@pep.ne.jp
(2014年4月発表)
親しい仲間を語らって「ガリレイの会」というのを始めることにしました。何をするかというと、いい年のオヤジが(できればオバサンも)、中学から高校までで学んだはずの物理化学生物地学など、要するに理科の基礎を勉強しなおそうというのです。先生を呼ぶわけではなく、自分たちで「昔取った杵柄」を納屋のなかから持ち出してきて、相互にレクチャーするという試みです。
いったいなんのためにそんな物好きなことをするのか。本誌の主な読者である塾の先生方は、子どもを教えるためにしっかりした実力を固めておくつもりだろうとお思いになるかもしれません。しかし主たる目的はそこにはありません。
日本の近代教育は、中等教育(中学・高校)から高等教育(大学・専門学校)に至る段階で、理系、文系と分岐して、どちらかに投げ入れられた学生たちは、その路線をひたすら歩み続け、気づいてみると、人格までも理系人間、文系人間などと分類されて評価されるありさまです。別にIT理論やSTAP細胞を研究したからといってその人が豊かな人間性を失うわけではないし、文学や社会思想にのめりこんだからといって、その人が科学的思考を喪失することはないはずです。
ところが現状をざっと見渡すと、どうもこの分裂状況が当たり前のようになっている。試みに、誰でもいいですが、人文系の著名な知識人や政治家やマスコミ人を引っ張ってきて「パスカルの原理って知ってる?」とか「核分裂反応って何なの?」とか聞いてみてごらんなさい。ほとんどの人が正確に答えられないのではないでしょうか。そういうごく当たり前の基礎知識を忘れてしまっているのに、「ゲンパツハンタイ」などと、人々の恐怖感情に便乗してただの良心主義を表明するのってまずくないですか。
この奇形的な二極分化は、日本特有だそうです。明治初期に西洋文明がどっと押し寄せてきて、とにかく早く消化しなくてはならない。みんなが総合知を目指していたのではとても近代化に間に合わないのでとりあえず二つに分けることにした。それが習慣として根付いて、150年近くたってもそのまま残ってしまったということらしい。これを一概に非難できませんが、日本の近代学問は互いに他方にお任せしてしまう専門分化に安住してきたことは確かです。逆説的ですが、だからこそ根拠のない科学信仰がはびこるのです。こういう状態を続けていて、思想が力を持つとは思えません。ちなみにヨーロッパでは長い間、「諸学」はすべてscienceと呼ばれてきました。
で、「ガリレイの会」で何を目指すのか。文系的な知と理系的な知との融合を図る、などと大風呂敷を広げるつもりはありません。しかし世の物事について多少とも真剣に考えようと思うなら、自然法則のイロハくらいはわきまえておくべきでしょう。この問題意識を、志を同じくする人たちの間で最低限共有しようと考えたわけです。
以前、この欄で「三日月が見る間に天頂に上った」などというでたらめなエッセイを書いている作家を批判したことがあります。自然に対する無知は、自然に対する鈍感をも養うのです。
*次回「ガリレイの会」は、以下の要領で行います。参加自由です。
●6月15日(日) 午後4時30分~8時30分
●ルノアール四谷店 マイスペース4F
●アクセス:http://standard.navitime.biz/renoir/Spot.act?dnvSpt=S0107.85
●講義内容:力学の基礎(力、摩擦、圧力、加速度、運動量、仕事、エネルギー、
慣性の法則って何? その他)
詳しくお知りになりたい方は、以下のメールアドレスへどうぞ。
i.kohama@pep.ne.jp
ちょっと切ないものを感じさせるコメントですね。
でも、最入門書を読もうとするご意志だけでも、偉いなあ、と思います。ごく少数ですが、私の大切な仲間たちにも、そういう人がいます。
もし機会がありましたら、ぜひお会いしましょう。
メールアドレスを公表しましたので、よろしければ情報交換のためにお役立て下さい。
しかし、こうした分裂状況が問題なのはご指摘のとおりだと思います。生来怠け者なので、「ガリレイの会」に参加できれば勉学意欲も湧きそうなのですが、兵庫県在住のため叶いません。こういう点では、非首都圏に住むことのハンデを実感しております。