天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

「ウイグル人に何が起きているのか」(PHP出版)(福島香織著)について

2019-11-27 19:54:41 | 読書ノート(天道公平)
私たちの世代(ポスト団塊世代)は、最期に、サヨク幻想の破綻に立ち会った世代ということができるかもしれないところです。
同時にそれは、団塊学生たちによる、サヨク政治運動とその帰結に深く絶望した、ということです。
 レーニン-スターリン主義への幻滅と没落、毛沢東民族主義の実態認識と幻滅、そして現在の覇権軍国主義への転換の現実、その他にも、キューバ革命、ポルポト暴力革命事件、救いのないような政治革命は、あたかも人類を死滅させるような悪質ウイルスのように、急速に、数限りなく後進農業立国に増殖・伝播していき、その結果として悪質な独裁政治国家を生みました。

その中で、ことに性質(たち)が悪いのが、毛沢東民族覇権主義です。
私たちの学生時代、中共は未だに実態がよくわからず、学生たちも文化大革命など、うさんくさい運動と認識しつつも、私たちの隣接のサークルにもまだシンパが残っており、その偏った思考傾向から「けざわひがし」さんと揶揄(某指導者のように見事な若はげだった。)されながらも、まだその命脈を保っていました。
まだ、竹内好などの親中派のお人よし知識人も、日本国に留学体験のある魯迅などの文学者も、それなりの敬意を払われ、それを言えば、私も高校時代、わが実家の自室にも、「中共物品店」で購入した、「魯迅」の肖像(「むしろ、ペンを持つより剣を持て」、というアジ付きのアレです。)を掲げておりました(実家の解体と共に散逸しました。)。

その後の、文化大革命の実態が明らかになるにつれ、その粛清の苛斂誅求と、酸鼻の権力闘争、伝統・文化の全否定、思想統制と、自国民たちの父祖の家族関係の否定に至るまでの、野蛮な文化伝統破壊と、粛清、密告など目を覆うような現実を見るにつけ、バカな「共同幻想」は終焉したのです。
それは、同時に、世界中の弱小後進農業国家に、宿痾というか、大きな禍根を残しながらのことです。
唯一、教訓として、後進国の暴力革命は、独裁者と軍政による、国民抑圧しか招かないことを同時に証明したのです。
 竹内好は、「人民解放軍」のモラル(道徳的、倫理コードの方です。)は、非常に高かったといっていたが、その後の推移をみれば、今では、独裁者の走狗「人民抑圧軍」に成り下がっているだけではないのか、と思われます。
当時、いくら、軍政国家体制による隠ぺい工作で、その状況が見えなかったとしても、それは、政府・マスコミ・学者の怠慢のみならず、国民の怠慢だった、ことも事実です。

しかし、わが国政府は、目先の利害と不見識にとらわれ、敗戦国(侵略国?)は、当面あやまればいいのだ、批判をするなとの、占領軍コードにも助けられ、朝日パヨク新聞などに煽動、使そうされ、国家・国民大衆は、意味もわからず謝罪し、莫大な金を拠出し、また謝罪し、また謝罪し、とバカな連鎖を繰り返し、全体主義国家に、軍費を与え続け、世界一の覇権国家を作り上げることに協力してしまった。愚かしい、帰結ですね。
その意味で、腐った覇権帝国を作り上げるのに協力したわが国は、「バカなことをしました」と、東南アジア諸国など、中共に縁接する一連の国家群に対し、アジアで唯一近代革命を成し遂げた筈のわが国は、先駆者(?) としてふがいないと、謝罪しなければならない、わけです。

 この本は、産経新聞の元記者が、ウイグル自治区が、中共覇権主義の侵略によって、どのように蹂躙されたか、現在も中共自治国家として侵略され国民が抑圧(搾取・収奪ということです。)され、また、宗教的・民族的に重大な迫害を受け、強制収容所に、何百万(著者は明確な資料がないのでその数に言及しない。それが百万単位であることは言及する。)もの社会の指導者、知識人が拘束され、思想再教育の名のもとに、拷問、虐殺の対象になっているかを、抑えた筆致で、克明に描いています。
 著者は、1967年(昭和42年) 生まれであり、学生時代に政治運動などは体験していない世代なのでしょう。
 昔はやった、「農民窮民革命」(実態は違ったらしいが)など、実感として理解できず、すでに、その権力闘争と内部矛盾は別にして、すでに、大国となった中共しか体験的には通過していない世代のでしょう。したがって、パヨクの余計なひもはついていないだろうと思われます。
 この本のサブタイトルの「民族迫害の起源と現在」という中で、著者が主述するのは、中共のグローバリズム運動としての、覇権政策のスローガン、「一帯一路」、「一衣帯水」政策の実態なのです。すなわち、他国侵略の実態の記述ということです。
 ことに、近年の経済的な落ち込みにより、更に、周辺諸国に対し、軍国主義、軍事国家路線を鮮明にしている、周近平覇権独裁国家の現在なのです。

著者は、北京駐在の記者時代からウイグル侵攻前と、侵攻後のウイグルを現地で確認しています。
 アジアの辺境にあり、モスレム国家とはいえ、かつては遊牧民・商業民として、それなりに自由で、他者に寛容でいい加減な気風であり、また活力にあふれていたといいます。
現在の、自治国ウイグルは、今では、侵略統治者、漢民族、中共中央政府によって、完膚なきまでに侵略統治され、かつてのロシアのような収容所群島に成り下がり、街はひたすら清潔で、住民は生気も失われたような国土であるといいます。
 その内部で、中共が何を制圧し、また誰が抑圧されているのかについて、的確に描いています。ほぼ、知識人・文化人は収容所に収監されています。最悪の歴史も、何度も繰り返すのですね。
 反動抑圧勢力も、スターリンやポルポトの支配体制を見習い、高度化、巧妙化します。
また、なぜそれが、非力な国連や、西欧社会の監視(?) や関心すら引かずに平然と行われているかを、両国の歴史と、各国の思惑をたどり、説得力のある筆致で描いています。
ジャーナリストというのは、こんな記者を指すのか、と思われたところです。
この著書で、なぜ、日本国のマスコミは、チベットや、このウイグルの植民地化と、人権抑圧状況を報道しないのか、という考察がありました。
西欧の報道記者は、現地協力者や情報提供者を、真実や報道の自由の下手に置く傾向(すなわち頓着しない)があるそうです。自己の生命や安全より、「事実」の報道が大事という根強い伝統があるのであれば、見上げたものです。しかし、そうであれば、協力者の安全は、二の次ということとなります。かつての「キリングフィールド」などというアメリカ映画は、その主題を扱っていましたね。
敗戦国日本は、軍事力やあるいは国際的な外交力などの権力を持たないわけで、日本政府の対応は、話が違う、といいます。「自己責任」で一蹴されるし、邦人保護で、本気に動いてくれない、したがって、現地協力者に、危険を冒させる取材活動が出来ない。
このあたりは、戦勝国、西欧諸国の無意識な傲慢といえるかもしれないところです。
 相手方の事情や、安全を考慮する、わが国の記者が、また著者にもそのジレンマがあることはよく理解できます。
 しかしながら、安全な国内にいながら、パヨク新聞を含め、日本国の新聞が、ウイグルの少数民族の問題を取り上げないのはどういうことなのかと思われます。
それこそ、商業放送と同等で、自己の経営利害に純化した、報道の怯惰と退廃ということです。
 ましてや、東部の「一衣帯水」政策において、尖閣・沖縄と、中共の標的になっている、わが国においては、ということです。

また、あくどい中共政府は、中共国内で徹底的に弾圧したかつての法輪行の信者たちのように、虜囚や収容所収監者に対して、その臓器売買にも手を出している報告もあります。中共の臓器移植手術のレベルは世界一との笑えない話もあります。
かつて、中国の小説「水滸伝」を読んだときに、相手に勝利し、侮蔑するために、当該敵の虜囚の、人肉を切り取り焼いて食べる、という描写がありましたが、さすがに、中国人は徹底しています。

また、それ以上に、国外に留学している知識人・学生たちに対し、親族を人質に取り、帰国の強要や、洗脳、脅迫をどのように行うかについて、取材しています。
さすがに、アジアの国家だけであって、家族や肉親の安全を担保にした思想統制、そのこどもを隔離し漢人教育を施すなどの家族の分断、警察官吏などの個別家族の居宅訪問など、家族関係の破壊と、スターリニズム時代より徹底した思想支配統制をとっています。
 その中で、個人情報の入手管理、体制への協力度のポイント制(小ポイントに対しては罰則があるということです。)の電子管理など、他国に、その高度化した思想管理システムを売り渡す段階にあるといいます。
パノプティコンシステム(被支配への被支配者に対する自動的な訓致導入システム)を作り上げ、反抗する意欲を喪失するように仕向けており、いわば、過去のある意味、粗雑な管理を、更新し、高度化しているわけです。

日本を含む、欧米、アジアの諸国も、経済・政治的な思惑から、露骨に行われている、「一路一帯」の侵略支配体制を、正面きって批判していません。
二階幹事長などと一緒に訪中し、中共と野合(売国奴)する、政治家、経済人の卑劣な振る舞いを私たちは看過してはならない。
中共にそれを問えば、それを内政干渉問題と一蹴するのがいつもの論理ですか、しかし、覇権国家体制が、東に展開し、尖閣列島、沖縄領土化へと展開されているのにかかわらず、破廉恥な売国奴政治家は、中共と野合し、北海道などの国土を進んで売り渡している。

それこそ、著者の指摘するように、大国支配のもとで、少数民族の侵略や蹂躪が、周囲の無関心や協力のもとで、たやすく行われ、文化・伝統・宗教など、いかに容易に奪われてしまうかをきちんと描いています。
文字通り、「明日はわが身」なのです。
中共政府は、沖縄に対しても、すでに、一衣帯水侵略を着手しています。
現在、この、暴挙と、21世紀のヒットラーのように、ファシスト体制を作り上げる、周金平体制に、批判の一太刀を加えておかないと、電子ネットワークの監視システムの中で、既に始まっている中共の軍事・経済制圧の中で、今後、日本国民も同様な運命に陥ることは必然です。
 国土防衛対策はまだしも、デフレ経済政策を怠った、バカな日本政府のもとで、わが国は経済的に疲弊し、パヨク売国奴勢力の、マスコミ、文化人の策動で、わが国の運命は、非常に厳しいところです。
我が国独自の伝統・文化・父祖への敬意、宗教の自由も奪われ、全体主義体制のもとで、後悔しても、それはもうどうにもならない、ところですね。
あとがきの中で、著者は、日本人とウイグル人そして中共国家の運命や将来について、きちんと指摘しています。
中共がなぜあれほど攻撃的であるかは、何千年にもわたり、多民族に侵略され、蹂躙されてきた歴史がある。国家は、まず、強国であり、戦争に勝たなければ何も始まらない。すなわち、手段を選ばず勝ち続けなくてはならない。また、強者は何をやっても勝手である(Might is right)、と考える。
国土防衛軍すら持たない日本国は、戦いには勝たなければならないこと(防衛)に意識が希薄であり、反面、敗者(弱者)への同情・思いやりが文化的に存在する。しかし、他国に侵略され、蹂躙されることへの苦痛、危機意識と、被支配体制へのその恐怖や苦しみの感覚が欠如している。
 したがって、ウイグルの人々が、身内を人質に取られ、それでもなお、自国の独立と未来のために不可避的に戦っていることに対する、その苦闘と痛苦への想像力が欠如している。他人事なのである。
いちいち、ごもっともなことです。
西欧マスコミでは、このたびのウイグルの侵略が、21世紀最大の民族文化クレンジング(浄化・殲滅)という見方が定着しているようです。
 著者は、戦いの方法として、人権活動家ラビア・カンディール(ウイグルの母と尊称される。)氏がノーベル平和賞を受賞し、民族浄化の大事件に世界の批判を向ければいいと、対案します(ダライ・ラマ氏の例による。)が、それも有効な手段でしょう。
かの、スウェーデン人、CO2フリークエンター(略称)、トェンベリちゃんにわたすより、ずっといい。
現在、ウイグル問題に言及するのは、中共交渉の切り札として考えているアメリカのトランプ大統領しかいない、イスラム国家も決して自己利害中心で、ウイグル人の見方ではない。
わが、安倍首相も、中共の覇権主義の当事者として、ウイグル問題に言及するのは大変かも知れないが、しかし、視野と想像力のある私には、何度も、言うが、「明日はわが身」である、と、思っている。

 今後、周近平は、国賓来日するのか?
 先ごろ、ウイグル留学生たちは、当該、周近平の、日本国の協力体制に対し、危機意識を持って、切実な抗議活動を行った。われわれ日本人の住民大衆は、彼らの、祖国・現在とその生存すらかけた抗議活動を、他人事と看過していいものなのか。
 すくなくとも、アジアの独立国家として、覇権国家中共に組しない、と意思表示をすべきではないのか。
 更に、バカで恥を知らない政治家たちに、令和天皇を利用させて、歓迎の手はずをさせるとすれば、今後生じる尊敬すべき皇室の恥に対し、私たち国民は慙愧の念はないのか。
 令和天皇に、今回の民族浄化の首謀者、ヒットラーや、ポルポト、毛沢東と同様に、血に汚れた手をとる、屈辱を与えてよいのか?
 それは、日本人として違うだろう、と思われます。
 日本国の健全なナショナリストの一人として、私はそのように申し上げます。

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