かつての、3.11後、脱原発(あれは反原発、反科学技術ですね。)・反核運動に、愚かしく名を連ねた、ベビーブーマー世代の村上春樹(1949生まれ)、若いはずの平野啓一郎(1975年生まれ)その他の数多くの文学者たちの、サヨク史観、つまらない政治的・社会的発言を見ていると、私は、かつての80年代の反核運動を支持し、また湾岸戦争反対運動に署名連座した、文学者、評論家の発言を連想してしまいます。
「よい小説家が、決してよい表現者ではない」という苦い認識は、「またかよ」と、そのどうしようもない既視感と、つくづく、いい時代の村上春樹、いい時代の平野啓一郎の著書を思い出し、失望と、幻滅によって、わが老人性うつ病が、悪化してしまいます。
ということで、最近、殊に、小説を読む気がうせてしまい、年下の友人に勧められた、ラノベ(ライトノベルの略称、和製英語で、若者向けの娯楽小説という意味づけが適当らしい。)を、読むこととなりました。
標記の小説は、当初の一巻が、2011年(平成23年)に出版され、このたび、2018年3月に、24巻が刊行されるまで続いてきたわけです。その中で、数度、劇場アニメ化された作品で、若者たちにとても人気があるようです(累計790万部出版)。この本は、気分転換に読めばいいのかも知れない、と思われます。
その想定については、それは、ラノベではお定まりらしいところですが、科学技術と「魔法」が並存する世界であり、その魔法が、軍事・政治・社会・経済に大きな影響を与える(逆に魔法抜きでは現実社会が成り立たない)社会となっています。
この小説が新しいのは、その魔法を発動する手順が、「魔法式」というものを唱える(のだろう)ことにより、また、それは機械装置により当該手順がルーティンワークとして代行することが一般的になっています。したがって、高度・広範囲の魔法を引き起こすのは、魔法士において、複雑な魔法式の組上げと、それを組み合わせ発動するセンス(知能・資質)が必要となります。その種類や、程度の差において数多くの魔法があるようです。
しかし、その魔法は、強大なものであり、攻撃的な能力であれば、特定の空間を指定し、遠隔地から、当該軍事拠点を完全に破壊することができるほどのきわめて強烈なものです。そのため、当該優秀な魔法士(?) は、全世界で20名足らずしかいないので、各国が戦略的に、秘匿し、軍事的に高度利用することとなっています。
いわば、優秀な破壊能力を持つ魔法士は、軍事制圧の道具となり、当該魔法士を生み出す家系は、その血統が国家の庇護を受け、また道具とみなされ、また同時に、生まれながら優れた種族(多く遺伝子操作で生まれてくる。)として、魔法士以外の大衆から羨望と憎悪を向けられることとなります。
主人公は、その魔法士の日本国10大ファミリーの筆頭の家に生まれ、そのあまりにも強大な魔法力(?) と、優れた知能、体力により、実母から疎まれ、その能力を制限されることとなり、幼少時から召使のように育てられ、唯一、同居する妹のみに愛情を感じる設定となっています(妹と相互に、強度のシスコン、ブラコン(お互いに男女間の情愛を感じる。殊に妹の方から執着が強い。)であるので、兄の方はさまざまに振り回される。)という設定です。)。
それこそ、ラノベの「妹萌え」(明確な意味が分からないが、アドレッセンス(発情期)の少年が、付き合うのが易しいと思われる、未成熟、幼女、近親者を好む傾向でしょうか。)のパターンであり、出版社の、こうすれば売れるという、戦略なのかもしれません。
彼は、早くから、身内一族を含めた闘争と血族の情愛のなさで過ごしてきたため、早熟であり、「俺にかかる、俺の愛の重さだけが、俺の世界をきつく支配する(「暴徒感受Ⅱ」、著者名不明)」、といった、きびしい態度と処世で、周囲に接しています。それも、若者たちのヒーローとして受け入れられることが、なんとなく、理解できるところです。
しかしながら、彼も、妹をくびきとして、自己の魔法一族の業務(仕事、氏族を代表しての役割り・仕事)に厳しく組み込まれており、家長(おば)に絶対服従で、また、その命により、国家より要請があれば、世界に20数人くらいしかいない戦略魔法士(二つ名が という。)として、外国の魔法士の攻撃に対し、日本国の防衛のため、日本国軍の魔法軍団の特任士官として、その強大な魔法力によって、対抗することとなっています。
このラノベのいいところは、個人と国家、氏族(一族なのか。)などの、現実世界(社会)の認識と、それぞれの思惑、世界規模での利害の衝突、紛争など、冷静に、きちんと描けているところです。その認識は、現在の、日本国の政権与党の国務大臣たちより、その国際・現実認識がよっぽどまし、ということです。
これは、著者が、現代の安易なグローバリズムを明らかにバカにしており、時事問題を上手に利用した、彼の、現実媒介能力を賞賛できるような、質の高い作品です(彼はラノベの作家には珍しい50歳代という実年齢とのことです。)。
作中の極東の勢力地図は、大亜細亜連合(現実は中共覇権国家)、新ソビエト連邦(現実はロシア国家)、USNA(現実ではUSA)らしき国家が、さまざまな局面で、角突き合わせ、それぞれの利害や、限定された極地戦ながらその水面下の戦いを、冷静に、なるほどというレベルで描いており、各国の支配層の思惑と、魔法士の暗闘を面白く描きます。
また、異種の人間として、日本国での、大衆との距離、優れたものにかかわる社会的な孤立、また、魔法士、異なった氏族にかかわる暗闘など、その度ごとに入れ替わる、味方・敵とわかれた戦いは、面白いものです。
何より、それほどの力のある魔法士が、魔法高校(明治期の旧制高校のように、ほぼ同位置に、全国で8校ある。)中で、実年齢(16歳)で普通に高校生活を送る恋愛遊戯や、魔法競技大会で活躍する学園ドラマが描かれます。
それこそ、魔王というべき優れ勝ったその力と、それが現実に似た高校生活を送るというミスマッチが、受けるところなのでしょう。これも、ラノベのパターンです。
しかしながら、彼の在学中にも、大亜細亜連合(中共覇権国家)や、USNA(USA)から、国家戦略から、間接的に、刺客や、工作員が送り込まれ、暗闘・戦争(大亜細亜連合の横浜上陸という戦争があった。)を繰り返すのですが、兄一筋の、優れた魔法士である妹(美少女の生徒会長)が、嫉妬したり、同僚の女の子と恋のさやあてを演じたりと、孤独な主人公も、次第に特定の友人たちと友情を深めることとなるという、学園ドラマの定番です。
彼の能力(魔法)は、遠隔地からの操作でも、世界規模で、座標を決めた限定的な地点で、あらゆる物質を溶解消去する限定的に行使する核融合のような能力であり、他国に多大な脅威(魔法なので放射能汚染もない。)があり、抑止力として日本国防衛に多大な恩恵をおよぼしています(かつて、日本国に侵攻してきた大亜連合の戦艦全体を相手国の軍港で殲滅したことがあります。)。
しかし、現実は、パワーバランスで成り立っている、厳しい世界情勢であり、世界の列強、仮想敵国新ソビエト連邦(実際はロシア)はもちろん、同盟国のUSNAも、あるいは大亜連合など、すきあらば、あらゆる国家が、自国に多大な脅威があるということで、彼の排除を狙います。防衛力を担う危険分子を、合法的に排除するための、からめ手からの戦略です。
USNA(USA)の高官が、ロシア共和国との密談を経て、「テラフォーミング計画(多国籍で優秀な魔法士のチームを作り上げ、地球近くの太陽系惑星に働きかけることにより、当該惑星の資源を活用する計画)」を打ち出し、それへの、優秀な魔法士の協力を勧奨し、「人類の繁栄への協力と国境を越えた資源の平和利用」(明らかにグローバリズムの論理ですね。)を計るものです。そのため、公式に日本政府に協力要請を行います。いわゆる、「毒まんじゅう」(将棋のはめて )の手法ですね。
このあたりは、米欧の数パーセント特権層が、国境を越え、他国の社会制度、科学技術、利権、経済力を取り込み、実効支配しようとする、TPP条約の戦略とよく似ています(このあたりは著者がまさにそれを視野に入れ意識的に書いているのだと思われます。)。
そして、お約束の、無考えで、自国の自力防衛に無自覚な、日本政府及び政府首脳(先に大亜連合が仕掛けた侵略戦争で痛い目にあったはずなのに)は、浅はかにも、自国の防衛を担う重要な魔法士を、よく考えもせず宇宙開発というでっち上げられた共同幻想(宇宙開発)に、人身御供として、差し出そうとします。
「安い正義」(世界理念をまとった共同幻想)に目がくらみ、国民の将来にどのような影響を与えるかを考えもせず、大多数の国民の利害を軽視し、自国に有益な人材を疎んじ、また、魔法士も一人の人間(国民)であり、職業選択の自由をはじめ、自己の人性を選ぶことができる意思とその選択を尊重することも、配慮もなしにです。
ということで、無考え(バカ)で、弱腰の日本政府は、(重複しますが)日本国民の安心安全と、日本国の防衛に、彼がいかに必要かを全く考慮せずに、対外圧力及びUSNAに無原則に協力するという恥知らずな見解で、政府として、非公式に主人公に協力への「要請」を、します。同時に、魔法協会(国内の魔法士の利害と社会利害関係を調整する機関)に圧力をかけ、世紀の愚策を推進(TPP問題とか、現実的にいくらもありそうでしょう。)します。
それでは足りない、と思ったのか、USNAの工作員は、自国の民間機関を利用して、彼の実名を公表するという、露骨で卑怯な手段をとります。
「国境を越えた、人類の進歩と共存」、「経済的な平等、そして世界平和」(どこかで聞いたな。まさしくグローバリズムの世界理念)という美名の下に、予定通りに、宇宙に、特定国の有力魔法士を長期間追放し、日本国などの防衛力と抵抗力をそぐという思惑です。
そのとき、彼は、鬼手というべきか、対抗上、有力な手段を発表します。
魔法力と科学力を統合した、「魔法による重力式常温核融合炉(?) 」の発明であり、当該装置を孤島に設置し、海水資源を無限活用できる、海水資源回収・活用事業を提案します。
これは、以前から、魔法士に対し、魔法士を兵器として利用することや、宇宙への強制移住などを妨げるために、彼が編みだした、生き延びる手段であり、他人に人性を左右されない画期的な試みであり、それを、「惑星開発計画」と同様に、世界を視野におき、大規模に、効果的に発表します。
それは宇宙資源の利用などと比べて、はるかに現実的であり、自国の支援や、経済産業界の投資・支援を呼び込むための、有力なカウンターというべきものです。彼の魔法高校の同級生の実父など、優れた企業家たちも上手に利用します。その上で、マスコミを上手に使うなど、冷静に、日本国政府及びUSNA政府の思惑をかわしつつ上手に利用します。
同時に彼は、「魔法士として、社会に敵対しない」、「社会の恩恵のもとにその存在はある」、ときわめて理性的で、強調的なせりふを言明します。また、「世界を無理やりひとつにしても、(国家間の)戦争が内乱に変わるだけだ」という、名言も吐きます。
このあたりは、著者の考えが明快で、いかに優れた出来物でも、社会、国家に敵対しても勝ち目はない、その中で居場所を探す、というよく考えられた戦略であり、よりしたたかに、彼と妹と親しい友人という味方を守っていく、こととし、彼ら以外の「全世界」に対抗します。このあたりは、ライトノベルの若者たちに受けるのがとてもよく分かるときです。同時に、優れた魔法士として、年上にも同級生にも、数多くの女魔法士にモテモテなのはお約束ですが。
このあたりのながれは、当初から、想定・視野に入っていた、というのは、著者の後書きですが、前巻の、「孤立編」あたりから、「常人より優れ勝った人間がどのように生きるべきなのか」、という問題提起と、彼を取り囲む、家族、一族、学校、社会、国家に至るまで冷静に丁寧に描かれ、その思惑と、彼の考えや現実の戦いでの相克と、その結果に思わずにやりとしてしまいます。
その中で、主人公は、自分の能力だけを頼りに、その最小限の友人たちの少ない味方たちと一緒に、ときによっては国家・政府・学校長などの世俗的な権威に決して怖じず、戦い、大きな成果を挙げていきます。
また、おそらくそれは、現在の覇権国家中共の横暴、北鮮の独裁国家、夜郎自大の南鮮の愚かな与太話におたおたし、それ以上の愚かな政策を行うわが国の政府・国務大臣、あるいはサヨクバカの野党の政治家とマスコミ、あるいは腐った財務省の役人どものありさまを、若者たちが日常的に見て、不信感と無力感また怒りを強く感じているのが前提であり、それにひきかえこの本はと、ラノベを読む若者たちの溜飲が下がることは確かでしょう。
ラノベの読者たちを想定すれば、今の、若者たちを含め、皆、学校(殊に高校)でいかにヒーローとして(後ろ向きのヒーローを含め)、周囲に認められ、評価されるか(他者承認)が命のようなところがあり(大学生が主人公のラノベは極めて少ないし、出来が悪い。)、その気持ちや感情は、いい年をした私にもよくわかります。かつて、「学校の怪談」が、こどもたちや大人を巻き込んで、あれほど皆に受けたように、学校には、夢や挫折などプラス・マイナスさまざまな感情が澱のように累積しています。
このたび、新ソビエト連邦の戦略級魔法士が、USNAの高官に使そうされ、彼に個人的に攻撃を加え、手ひどく反撃されました。その戦いで、彼の仲間の一族で兄弟のボディーガード役を与えられたのメイド役の女の子が、手ひどい怪我を負いました。
下巻(4月中旬発売)では、他の魔法士の動向を含め、今後、どのような展開になるのか楽しみなところです。
「よい小説家が、決してよい表現者ではない」という苦い認識は、「またかよ」と、そのどうしようもない既視感と、つくづく、いい時代の村上春樹、いい時代の平野啓一郎の著書を思い出し、失望と、幻滅によって、わが老人性うつ病が、悪化してしまいます。
ということで、最近、殊に、小説を読む気がうせてしまい、年下の友人に勧められた、ラノベ(ライトノベルの略称、和製英語で、若者向けの娯楽小説という意味づけが適当らしい。)を、読むこととなりました。
標記の小説は、当初の一巻が、2011年(平成23年)に出版され、このたび、2018年3月に、24巻が刊行されるまで続いてきたわけです。その中で、数度、劇場アニメ化された作品で、若者たちにとても人気があるようです(累計790万部出版)。この本は、気分転換に読めばいいのかも知れない、と思われます。
その想定については、それは、ラノベではお定まりらしいところですが、科学技術と「魔法」が並存する世界であり、その魔法が、軍事・政治・社会・経済に大きな影響を与える(逆に魔法抜きでは現実社会が成り立たない)社会となっています。
この小説が新しいのは、その魔法を発動する手順が、「魔法式」というものを唱える(のだろう)ことにより、また、それは機械装置により当該手順がルーティンワークとして代行することが一般的になっています。したがって、高度・広範囲の魔法を引き起こすのは、魔法士において、複雑な魔法式の組上げと、それを組み合わせ発動するセンス(知能・資質)が必要となります。その種類や、程度の差において数多くの魔法があるようです。
しかし、その魔法は、強大なものであり、攻撃的な能力であれば、特定の空間を指定し、遠隔地から、当該軍事拠点を完全に破壊することができるほどのきわめて強烈なものです。そのため、当該優秀な魔法士(?) は、全世界で20名足らずしかいないので、各国が戦略的に、秘匿し、軍事的に高度利用することとなっています。
いわば、優秀な破壊能力を持つ魔法士は、軍事制圧の道具となり、当該魔法士を生み出す家系は、その血統が国家の庇護を受け、また道具とみなされ、また同時に、生まれながら優れた種族(多く遺伝子操作で生まれてくる。)として、魔法士以外の大衆から羨望と憎悪を向けられることとなります。
主人公は、その魔法士の日本国10大ファミリーの筆頭の家に生まれ、そのあまりにも強大な魔法力(?) と、優れた知能、体力により、実母から疎まれ、その能力を制限されることとなり、幼少時から召使のように育てられ、唯一、同居する妹のみに愛情を感じる設定となっています(妹と相互に、強度のシスコン、ブラコン(お互いに男女間の情愛を感じる。殊に妹の方から執着が強い。)であるので、兄の方はさまざまに振り回される。)という設定です。)。
それこそ、ラノベの「妹萌え」(明確な意味が分からないが、アドレッセンス(発情期)の少年が、付き合うのが易しいと思われる、未成熟、幼女、近親者を好む傾向でしょうか。)のパターンであり、出版社の、こうすれば売れるという、戦略なのかもしれません。
彼は、早くから、身内一族を含めた闘争と血族の情愛のなさで過ごしてきたため、早熟であり、「俺にかかる、俺の愛の重さだけが、俺の世界をきつく支配する(「暴徒感受Ⅱ」、著者名不明)」、といった、きびしい態度と処世で、周囲に接しています。それも、若者たちのヒーローとして受け入れられることが、なんとなく、理解できるところです。
しかしながら、彼も、妹をくびきとして、自己の魔法一族の業務(仕事、氏族を代表しての役割り・仕事)に厳しく組み込まれており、家長(おば)に絶対服従で、また、その命により、国家より要請があれば、世界に20数人くらいしかいない戦略魔法士(二つ名が という。)として、外国の魔法士の攻撃に対し、日本国の防衛のため、日本国軍の魔法軍団の特任士官として、その強大な魔法力によって、対抗することとなっています。
このラノベのいいところは、個人と国家、氏族(一族なのか。)などの、現実世界(社会)の認識と、それぞれの思惑、世界規模での利害の衝突、紛争など、冷静に、きちんと描けているところです。その認識は、現在の、日本国の政権与党の国務大臣たちより、その国際・現実認識がよっぽどまし、ということです。
これは、著者が、現代の安易なグローバリズムを明らかにバカにしており、時事問題を上手に利用した、彼の、現実媒介能力を賞賛できるような、質の高い作品です(彼はラノベの作家には珍しい50歳代という実年齢とのことです。)。
作中の極東の勢力地図は、大亜細亜連合(現実は中共覇権国家)、新ソビエト連邦(現実はロシア国家)、USNA(現実ではUSA)らしき国家が、さまざまな局面で、角突き合わせ、それぞれの利害や、限定された極地戦ながらその水面下の戦いを、冷静に、なるほどというレベルで描いており、各国の支配層の思惑と、魔法士の暗闘を面白く描きます。
また、異種の人間として、日本国での、大衆との距離、優れたものにかかわる社会的な孤立、また、魔法士、異なった氏族にかかわる暗闘など、その度ごとに入れ替わる、味方・敵とわかれた戦いは、面白いものです。
何より、それほどの力のある魔法士が、魔法高校(明治期の旧制高校のように、ほぼ同位置に、全国で8校ある。)中で、実年齢(16歳)で普通に高校生活を送る恋愛遊戯や、魔法競技大会で活躍する学園ドラマが描かれます。
それこそ、魔王というべき優れ勝ったその力と、それが現実に似た高校生活を送るというミスマッチが、受けるところなのでしょう。これも、ラノベのパターンです。
しかしながら、彼の在学中にも、大亜細亜連合(中共覇権国家)や、USNA(USA)から、国家戦略から、間接的に、刺客や、工作員が送り込まれ、暗闘・戦争(大亜細亜連合の横浜上陸という戦争があった。)を繰り返すのですが、兄一筋の、優れた魔法士である妹(美少女の生徒会長)が、嫉妬したり、同僚の女の子と恋のさやあてを演じたりと、孤独な主人公も、次第に特定の友人たちと友情を深めることとなるという、学園ドラマの定番です。
彼の能力(魔法)は、遠隔地からの操作でも、世界規模で、座標を決めた限定的な地点で、あらゆる物質を溶解消去する限定的に行使する核融合のような能力であり、他国に多大な脅威(魔法なので放射能汚染もない。)があり、抑止力として日本国防衛に多大な恩恵をおよぼしています(かつて、日本国に侵攻してきた大亜連合の戦艦全体を相手国の軍港で殲滅したことがあります。)。
しかし、現実は、パワーバランスで成り立っている、厳しい世界情勢であり、世界の列強、仮想敵国新ソビエト連邦(実際はロシア)はもちろん、同盟国のUSNAも、あるいは大亜連合など、すきあらば、あらゆる国家が、自国に多大な脅威があるということで、彼の排除を狙います。防衛力を担う危険分子を、合法的に排除するための、からめ手からの戦略です。
USNA(USA)の高官が、ロシア共和国との密談を経て、「テラフォーミング計画(多国籍で優秀な魔法士のチームを作り上げ、地球近くの太陽系惑星に働きかけることにより、当該惑星の資源を活用する計画)」を打ち出し、それへの、優秀な魔法士の協力を勧奨し、「人類の繁栄への協力と国境を越えた資源の平和利用」(明らかにグローバリズムの論理ですね。)を計るものです。そのため、公式に日本政府に協力要請を行います。いわゆる、「毒まんじゅう」(将棋のはめて )の手法ですね。
このあたりは、米欧の数パーセント特権層が、国境を越え、他国の社会制度、科学技術、利権、経済力を取り込み、実効支配しようとする、TPP条約の戦略とよく似ています(このあたりは著者がまさにそれを視野に入れ意識的に書いているのだと思われます。)。
そして、お約束の、無考えで、自国の自力防衛に無自覚な、日本政府及び政府首脳(先に大亜連合が仕掛けた侵略戦争で痛い目にあったはずなのに)は、浅はかにも、自国の防衛を担う重要な魔法士を、よく考えもせず宇宙開発というでっち上げられた共同幻想(宇宙開発)に、人身御供として、差し出そうとします。
「安い正義」(世界理念をまとった共同幻想)に目がくらみ、国民の将来にどのような影響を与えるかを考えもせず、大多数の国民の利害を軽視し、自国に有益な人材を疎んじ、また、魔法士も一人の人間(国民)であり、職業選択の自由をはじめ、自己の人性を選ぶことができる意思とその選択を尊重することも、配慮もなしにです。
ということで、無考え(バカ)で、弱腰の日本政府は、(重複しますが)日本国民の安心安全と、日本国の防衛に、彼がいかに必要かを全く考慮せずに、対外圧力及びUSNAに無原則に協力するという恥知らずな見解で、政府として、非公式に主人公に協力への「要請」を、します。同時に、魔法協会(国内の魔法士の利害と社会利害関係を調整する機関)に圧力をかけ、世紀の愚策を推進(TPP問題とか、現実的にいくらもありそうでしょう。)します。
それでは足りない、と思ったのか、USNAの工作員は、自国の民間機関を利用して、彼の実名を公表するという、露骨で卑怯な手段をとります。
「国境を越えた、人類の進歩と共存」、「経済的な平等、そして世界平和」(どこかで聞いたな。まさしくグローバリズムの世界理念)という美名の下に、予定通りに、宇宙に、特定国の有力魔法士を長期間追放し、日本国などの防衛力と抵抗力をそぐという思惑です。
そのとき、彼は、鬼手というべきか、対抗上、有力な手段を発表します。
魔法力と科学力を統合した、「魔法による重力式常温核融合炉(?) 」の発明であり、当該装置を孤島に設置し、海水資源を無限活用できる、海水資源回収・活用事業を提案します。
これは、以前から、魔法士に対し、魔法士を兵器として利用することや、宇宙への強制移住などを妨げるために、彼が編みだした、生き延びる手段であり、他人に人性を左右されない画期的な試みであり、それを、「惑星開発計画」と同様に、世界を視野におき、大規模に、効果的に発表します。
それは宇宙資源の利用などと比べて、はるかに現実的であり、自国の支援や、経済産業界の投資・支援を呼び込むための、有力なカウンターというべきものです。彼の魔法高校の同級生の実父など、優れた企業家たちも上手に利用します。その上で、マスコミを上手に使うなど、冷静に、日本国政府及びUSNA政府の思惑をかわしつつ上手に利用します。
同時に彼は、「魔法士として、社会に敵対しない」、「社会の恩恵のもとにその存在はある」、ときわめて理性的で、強調的なせりふを言明します。また、「世界を無理やりひとつにしても、(国家間の)戦争が内乱に変わるだけだ」という、名言も吐きます。
このあたりは、著者の考えが明快で、いかに優れた出来物でも、社会、国家に敵対しても勝ち目はない、その中で居場所を探す、というよく考えられた戦略であり、よりしたたかに、彼と妹と親しい友人という味方を守っていく、こととし、彼ら以外の「全世界」に対抗します。このあたりは、ライトノベルの若者たちに受けるのがとてもよく分かるときです。同時に、優れた魔法士として、年上にも同級生にも、数多くの女魔法士にモテモテなのはお約束ですが。
このあたりのながれは、当初から、想定・視野に入っていた、というのは、著者の後書きですが、前巻の、「孤立編」あたりから、「常人より優れ勝った人間がどのように生きるべきなのか」、という問題提起と、彼を取り囲む、家族、一族、学校、社会、国家に至るまで冷静に丁寧に描かれ、その思惑と、彼の考えや現実の戦いでの相克と、その結果に思わずにやりとしてしまいます。
その中で、主人公は、自分の能力だけを頼りに、その最小限の友人たちの少ない味方たちと一緒に、ときによっては国家・政府・学校長などの世俗的な権威に決して怖じず、戦い、大きな成果を挙げていきます。
また、おそらくそれは、現在の覇権国家中共の横暴、北鮮の独裁国家、夜郎自大の南鮮の愚かな与太話におたおたし、それ以上の愚かな政策を行うわが国の政府・国務大臣、あるいはサヨクバカの野党の政治家とマスコミ、あるいは腐った財務省の役人どものありさまを、若者たちが日常的に見て、不信感と無力感また怒りを強く感じているのが前提であり、それにひきかえこの本はと、ラノベを読む若者たちの溜飲が下がることは確かでしょう。
ラノベの読者たちを想定すれば、今の、若者たちを含め、皆、学校(殊に高校)でいかにヒーローとして(後ろ向きのヒーローを含め)、周囲に認められ、評価されるか(他者承認)が命のようなところがあり(大学生が主人公のラノベは極めて少ないし、出来が悪い。)、その気持ちや感情は、いい年をした私にもよくわかります。かつて、「学校の怪談」が、こどもたちや大人を巻き込んで、あれほど皆に受けたように、学校には、夢や挫折などプラス・マイナスさまざまな感情が澱のように累積しています。
このたび、新ソビエト連邦の戦略級魔法士が、USNAの高官に使そうされ、彼に個人的に攻撃を加え、手ひどく反撃されました。その戦いで、彼の仲間の一族で兄弟のボディーガード役を与えられたのメイド役の女の子が、手ひどい怪我を負いました。
下巻(4月中旬発売)では、他の魔法士の動向を含め、今後、どのような展開になるのか楽しみなところです。
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