天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

ライトノベル「魔法高校の劣等生」その24、25(エスケープ編)前・後編(佐島勤著、角川電撃文庫)は、面白いです。(補遺分)

2018-04-25 20:15:09 | 読書ノート(天道公平)

このたび、後編が刊行され(2018年4月)、ひとまず、エスケープ編が完了しました。

ラノベ小説のあとがきを見ていると、ライトノベルというものは、出版社・編集者の意向・読者の思惑で、相当部分変わるようであり、著者自身の「自己の書きたいものを不可避的に書く」というか、それはどうもあまり重要ではないようです。どうも、著者として、周囲に干渉され、節を屈するのは、なかなか厳しい(?) ところです。
どうも、私の読んだ限りで、ラノベの出版の内幕を読み解けば、出版社は、最初に著作物を手にすると、まず、編集者による読者の意向調査、読者の嗜好を考慮しつつ、取次ぎ販売店の意向(?) 、自社と販売会社の販売戦略会議、著者との協議を経て、出版決定、販売戦略決定を行う体制のようです。
その中で、事案によっては、それぞれの思惑と力関係により、差し戻し・再検討するなど、当該サイクルを何度も繰り返していく構造のように思われます。それは、ビジネスモデルとすれば当然のことかも知れませんが、まず、人気が出れば段階的にCDドラマ化、大人気となればテレビアニメ化、コミック化とか、そして読者による二次作品化など考えれば、ヒットした作品の市場は、とても大きいものかも知れません。
逆に、それでないと、イラストレーターその他の周辺の多くの職業人や出版社の直接利害の思惑を巻き込んだ事業としてはやっていけないものかもしれません。
私に理解できる業界とすれば、かつての少年漫画雑誌の戦略を踏襲しているように思われます。
あの当時も、読者調査の結果、早期打ち切り(?) という作品がいくつもありました。
かつて山岸涼子さんも「漫画家には老人ホームはない(定年もないのかも知れないが)」といっていましたが、ラノベにせよ早期打ち切りも同様で、いつも間にか、その著者たちは、苦闘しながらも消えていくような(?) 厳しい運命なのでしょう(あの漫画家は今?、ということはいくらもありましが)。
「表現者」はさておいても、それを言えば、われわれ生活者大衆も、先々、自分の人性に何が起こるかわからないのは怖いところですが。
ラノベ市場は書籍と電子書籍を含めれば、市場規模は436億円(2016年)程度といわれているらしく、それに加えて派生する漫画、アニメとかゲームとか含めれば大きな業界になるのでしょう。
デフレで疲弊した現在の日本国であれば、たとえ薄利にしても(とうとう、私、アニメ映画まで見に行ったので、それは実感的にも、とても大きいものかも知れない。)継続可能なありがたい事業かも知れないところです。私なんぞは、経済的に、いまさら、ハードカバーの小説などは買わないのです。
どうも、ラノベとは、その少なからぬ部分が、「著者が何を書きたい」かによって始まるのではなく、どのように書いたら、出版し、その他の事業に拡大販売できるか、というところから始まるようです。したがって、新進の著者にとっては、紆余曲折(?) を経て、まず、出版デビューできるかどうかが、大きな問題となります。
大手の出版社は、高額(300万円とか100万円とか)な懸賞金、および出版の内示を掲げ(これが大きいのかも知れない。)、トロフィーとして付与し、新人作家の発掘を目指しています。その後、デビューまで相当に手直し・書き直しとかあるらしく、手放しで喜ぶには少し早いでしょうが、現実はそんなものでしょう。
当選した「達成」とか、「栄光」とか、瞬時のものなのですね。
実績のある(販売数が期待できる)著者であれば、「ここまでならば妥協できる」と、協議のうえ、折り合いをつけるのでしょうが、新人作家はしょうがないよね、編集者などの協議・指導を経て、何度も書き直しをして、当該方針に適合するよう折り合いをつけているのでしょう。
そうであれば、その協議を通じ、聞けることは聞いて、それを契機に、表現として、深みを増すことを目指すしかない。かつては、ネット小説とかいう、自力で、ネット掲載をはじめ、人気作家となり、出版化した経緯もあるようですが。
読者は、冷酷です、媚びてもだめだし、その反目に出て、本格派としてひたすら高度・難解で面白みがないと、また、それはそれで、電子板で罵倒されます。厳しいですね。いちいち気にする必要はないかもしれませんが、著者の立場で言うと、読者投票とか、ワンクッションがないため、衝撃は大きいでしょう。それは、現在では、あらゆる表現物に付きまとう宿命であるかもしれません。

私は、ラノベの存在と、その隆盛ぶりを、歳若い友人に教えてもらうまで、全く知りませんでした。
最近の若者たちは、思春期の慰藉(いしゃ:なぐさめ、きばらし)として、漱石とか鴎外とか、文学書を読まない、読んでも、太宰治(過度に自意識に執着する主題が多いからな、思春期の若者には理解できるだろうなと、なんとなく納得できます。)という話を聞きましたが、しかし、それを聞いたのも、ずいぶん前の話です。
「じゃあ、読むとすれば、何を読むんだ」という話になりますが、さる方の見解では、「その替わりに、ラノベとかを読んでいる」、という話になります。
それもあって、私は、公立図書館で、ヤング・アダルト(私の印象では翻訳ものが多い。)の著書を含め、膨大な量の、ラノべと逢着しました。
やはり、ラノベも、ヤング・アダルトの著書と一緒で、いいものも、そうでもないものもあります。一般書と全く同じですね。
中には30数巻にわたるような大作ものもあり、その人気のほどと、ラノベの著者の数の多さに驚かされます。
最近では、利潤率をあげるためなのか、文庫本とハードカバーの間の少し大きい版(A5版くらい)のシリーズも出ています。書店で見ると「ライト文芸」(なんのこっちゃ?) (1200円くらいが目安です。)というのか、さすがに、わが公立図書館はなかなかそこまで手を出さないようです。
 私は、貧しい青少年が、文庫以上になかなか手を出せないのはお気の毒なので、文庫(大小さまざまなあらゆる出版社があります。)肯定主義(?) であり、同様に、文庫版を越えて手を出すことはしない予定ではあります。
 私が見た図書館の本の中で、寄贈者が裏表紙に標記されたものがたくさんありました。図書館で聞くと、図書を指定して、金銭寄付などがあればそれに応じるといっていました。マニア(「おたく」でもいいですが)たちのうちには、自分の好きなラノベを、世間一般に膾炙(かいしゃ:はやらせること)するために、他者と共感したいと、少なからず身銭を切る人がいるようです。

 ようやく、主題に戻りますが、前編で、主人公たちを守るため危機に瀕した、味方のメイド(名前を「水波(みなみ)」といいいます。)は、生命と体力の回復は出来たにせよ、「魔法士」としての能力が枯渇するような危機に瀕します。
 そこは、ラノベのお約束で、救い主(ライバル)が登場して、日本国での主人公の優れた対立者の魔法士(「光宣(みのる)」といいます。)が、当該みなみちゃんに思いを寄せ、強引に彼女の治療を試みようとします。
その手段とは、かつて異世界から事故で誤って呼び寄せた(USNAの戦略的軍事実験の失敗)寄生的精神生命体(人間世界以外のもの(人外のもの)、魔法士の想子(思念のようなものか)をエネルギー源とするため、その精神をのっとり、吸収、繁殖する。)を、自らに摂り込み、その新たな能力(過剰な想子の操作が可能になるのでしょう。)により、無理やりにでも、みなみちゃんの、魔法士としての能力を回復させようとします。
 自ら考える「あるべき愛の実現のためには」人外のものすらも利用するという方針であり、彼が、主人公の国内での最強の魔法士の対立者(ゲームでいうラスボス)となります。
 当該魔法士(みのる)も、「人外のもの」を摂りこんだ時点で、御するつもりが、逆に憑かれて別の存在となり、精神生命体の本能(群的自己勢力の現実世界での繁栄)に純化するようになり、主人公の魔法士と彼らの出身部族(先の有力十大ファミリーのひとつ)を含めた、日本国の魔法士集団と厳しく対立します。
 いわゆる、「魔王」となったのですね。
 USNA本国でも、利害の相違や、一部の浅薄な思惑から、再度、「戦略的軍事実験」が行われ、少なからぬ寄宿生精神生命体が、今世に流入し、再度、USNAの魔法士群に寄生することになりました。「利害の同一と目的の合一」のもとに、彼らは寄生者を増やし、アメリカ国軍の中で、大きな脅威になります。また、当該闘争で追い詰められた、かつて、主人公司馬達也と、アメリカ国の戦略的魔法士(世界中に20数人しかいない。)として闘い、和解した、年若い女性魔法士が、かねてより友誼のある、日本国の主人公の魔法部族、四葉家に亡命することとなりました。
 この「人外のもの」の一連の動きは、現在猖けつを極める(しょうけつをきわめる:病気などが猛威を振るう)「グローバリズム」の暗喩というべきではないのでしょうか。その影響の多大さと、少数者の際限のない欲望・利害のために、国家の枠を越え、世界規模で、巧妙で、苛酷な搾取を試みるという図式としてです。
 現在の米欧主導の高度資本主義の少数の富者に自国・他国大衆の侵奪は言うまでもなく、かつての帝国主義、植民地主義、ファシズム、中・露などの愚劣な反動・左翼革命などいくらも例があるでしょう。
 したがって、それと相性のよい、新ソ連合(ロシア共和国)の支配層も、大東亜国家(中共)の支配層も、USNA(USA)の一部支配層と、手を結び、当該支配の情況を覆そう(抵抗しよう)している、日本国の魔法士、司波達也に刺客を送り込んでくるわけです。なかなか、敵にもさまざまな差異と思惑があり、重層的で流動的な面白いすじがきです。

 ためしに、今後の情況を予測すれば、小情況とすれば、日本国内での魔王と対立、国内で、みなみちゃんの去就をめぐり、闘争を繰り返すでしょう。同時に、一般大衆の反魔法士団体の反発、利害を異にする他の魔法士部族、国軍の魔法士部隊の魔法士たちとの連衡と闘争、バカなマスコミの反動キャンペーンなど、いくらでも火種があるようです。
 中情況とすれば、極東の、大東亜連合(中共)、新ソ連邦(ロシア共和国)の、軍事的侵略と、引き続き、戦略魔法士同士の軍事的局地戦を戦うこととなります。
 大情況とすれば、米欧など主導のテラフォーミング計画(魔法士による、他惑星の資源開発計画)は、まだ失速したとは言えず、あらゆる政治的、軍事的圧力をかけて、また、有力な魔法士を排除するため、今後もそれぞれの思惑をこめて、合法でも、非合法ででも動くでしょう。主人公の自立を図る大きなイノベーションとしての、魔法による重力式常温核融合装置システムの構築・運転も、今後の日本国の大きなビジネスであるなら、他国から妨害や、攻撃を受けるのは、想像してみれば当然のことです(今の日本国でも同様です。)。
 その中で、本来、日本国政府が、国益に合致する、優れた団体や個人を、後方からでも支援するのは当然のことでしょう。
 しかしながら、国民国家として、自国防衛や、自国の国民の経済的利害の防衛や、最低限の安心安全の確保にすら、国民のために、努力することを怠り、ためらうわが国を見ていると、私と同様に、ラノベ読者の若者たちの不満や憤まんが見えてくるようです。

 いずれにせよ、主人公、司波達也君は、今後も、全世界及びグローバリズムという誤ったイデオロギ-を相手に、さまざまな「孤立無援」の戦いを継続していくのでしょう。
 引き続き、一人のラノベ読者として、今後の趨勢を見守ってまいりたい、と思っております。
 あとがきに、高三になった彼らの将来について、「魔法「大学」の劣等生」という、続編についての著者の冗句(ジョーク)がありましたが、さすがにそれは悪手でしょう。

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