天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

55歳からのハローライフについて

2015-05-25 21:09:56 | 映画・テレビドラマなど
 
 ちょっと古いのですが良ければ読んでください。
   天道公平

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「55歳からのハローライフ」(村上龍原作)について
                                  H26.6.15
 平成26年6月14日から、NHKの土曜日ドラマで、「55歳からのハローライフ」が始まりました。
このドラマの原作は、2012年末、村上龍の原作で、幻冬舎から出版され、中くらいのベストセラーとなりました。3.11の際の、村上龍のコメントが大変良かったことと、時々とんでもない(なにそれという感じです。)本を出すけど、村上龍は気になる作家ですので、早速読んでみました。短編集として、5話からなり、それぞれ55歳代以上の男女の、夫婦または単身者の、決して幸せ(?)でない日常と屈託が描かれています。
ビートルズの、エリナ・リグビーではないですが、「All the lonely people where do they all belong 」、「誰も幸せでない、彼らはどこから来て、どこにいるのだろう」という主調音です。ただ、一話一話が、私にとっても身につまされる話で、とてもいい作品だと思います。(文学が、悩み、苦しむ者のためにあるとすれば、の話ですが。)
私にとって、強く印象的だったの、連作のいくつかが、いずれも、一対のカップル又は単身の男や女の、男と女の差異と、それぞれの齟齬(くいちがい)が冷静に描かれ、それぞれが救いがないほどに孤絶しているか、時にその中で、お互いがいかに歩み寄り、関係を修復しようかとする話で、多くは共に暮らした時間や、勝手な自負や思い込みが、ことごとく相手に覆される話です。当然それぞれのケースで経済的な側面は大きいのですが、そのリスクを負ってでも、「心の交流」のない夫婦(カップル)に未来はない、という冷徹なドラマでした。いわゆる、社会現象とすれば、今増加している熟年離婚とか、子育て後の、埋めるすべもないむなしさと空虚と将来に対する不安を扱っています。(同種の小説では、やはり新聞小説で評判となり、ベストセラーになった「魂萌え」(桐野夏生)を連想します。これもとてもいい本です。)
 この本には、フォローワーが結構いるようで、このたび、NHKの土曜ドラマの5回シリーズで扱われます。初回は、「キャンピングカー」という話で、定年を前に早期退職を選らんだ男が、長年夢に見ていた「キャンピングカー」を買い込み、妻と一緒に日本中を旅しようと試みるのだけど、妻も子もすでに自分の世界(絵画、それぞれの仕事)を作りあげており、男の勝手な夢に付き合うすべもない、また、いたたまれない男は、再就職を試みながらも、周囲の評価のあまりの低さと、自己評価の落差で、精神的に失調をきたす話です。妻に勧められた心療内科で、医者に、コミュニケーション能力の不足と、自分自身の人生の過剰評価と周囲を思いやらない態度を指摘され、最期に周囲との関係修復を試みようとする話で、いくらか救いがある話になっています。
 彼は、今日、明日が困る生活者ではなく、家族に見捨てられるまでいっていない、他の短編で扱うケースに比べると、まだ救いのある話ですが、俺が皆を支えてきたという、男の思い込みや、それゆえの身勝手さが、現代ではほとんど評価されない、という厳しい現実を、浮かびあがらせます。ドラマ自体は、二人のこどもたちを含めた、家族の気持ちと、優しい妻の妥協(?)など、丁寧に描かれていきます。
 ドラマでは、キャピングカーが悪夢の象徴になり、男を追い詰めます。最後に、妻から、「あなたは私のことを何も理解していなかったじゃない!!」という厳しい指弾をされます。
原作にもある、再就職の際の非人間的なまでの厳しい状況を含め、リリーフランキーが好演しています。いい脚本で、この原作が、多くの人に切実で、興味深い話であったのはよく理解できます。また、このドラマは、まだ、男としてはまだ救いのある話でしたが、(このドラマを見た)男の多くは自分の境遇と、切実に比較をしてみた筈です。
(余談になりますが、前回の土曜ドラマ「ロング・グッドバイ」、渡辺あやの脚本でしたが、出来があまり良くなかったので残念でした。)
次回は、原作では、4話目に当たる「ペットロス」を扱うそうです。愛犬家となった、主婦を吹雪ジュンがやり、横暴でわがままな(昔ながらの)夫を松尾スズキが演じるそうです。予告編を見ましたが、とてもいいみたいですよ。吹雪ジュンといえば、思わず、Eテレの「団塊世代」の司会での天然ぶりを連想してしまいますが。
 村上龍の原作は、「55歳以上の人」(熟年層)が、様々な社会階層で、様々に、まったくに孤立化している現代の熟年者の人生を、つきはなしながら、また、肯定しつつ暖かく描いています。あれだけ新しく、孤絶していた、かつての「限りなく透明に近いブルー」以来、小説家としての村上龍の修練と長い達成が、改めて思い浮かびます。
 脱線しますが、3.11後の村上龍のコメントは、東京にとどまっていた文学者として、大変いいものでした(「櫻の木の下には瓦礫が埋まっている」)。その3.11の次の年に、こんないい短編集を出すのですから。
 臨床精神科医の齋藤環が、「女は関係、男は立場」と、よく言います。
(多くの)女性は現実的で、原理原則や、自分の信念を他人に強要しません。それは、世間的には利口な対処です。しかし、それは、小さな社会的な側面のある場所で有効であって、あらゆる局面で、全て正しいというわけでもありません(かつて、うちの妻はいつも「テレビに向かって怒るな」、と、私に怒っていました)。
何故男は順応ができにくいか、というか柔軟性が少なくなるというかとすれば、仕事を得た時点で、否応なく飛び込んだそれぞれの特殊な社会の階層性の中で徹底的に縛られるからです。長年続いた組織の中の順位と常識は、組織が苛烈であるにつれ、なかなか疑えず、排他的なものです。
その、自己の常識の有効性を疑うような、どこかで手痛い目に合わないかぎり、男は、殊に家庭では、修正がききません。場合によっては、眉間を割られるような(太宰治の「男女同権」とか読んでみてください。)手痛いしっぺ返しを食らいます。現在の家族の風景ではもっと苛烈でしょう。
 また、その対処については、自分の仕事場で覚えたように、皆と折り合いをつけ、根回ししたり、調整の必要のある他者として家族を認め、そして、自分を認めてもらえるように、ということになるのでしょうか。
 少し脱線しますが、日本の男は「マザコン」、「マザコン」と言われてきました。
結婚しても、実母のいうことだけは、妻を置いても(無視しても)聞く、というのはどうかと思いますが、「マザコン男は買いである」、という本もあり、いい面もあるはずです。その、本によれば、マザコン男は、おおむね温和で(DVに至る可能性は少なくて)、家庭では周囲に優しく子供も可愛がる、という観察です。日本の家庭での、「お父さん」、「お母さん」という相互の、また一家での呼び名は、よくそれを表しています。少なくとも、家族に中に在ることに対し直接に責任のない子供たちには、とてもいい環境です。
 しかし、うらはらに、男は妻に母のようなケアを求めるところがあって、社会生活ではきちんと論理的に振るまえるはずの男が、性的な親和力を盾にして、夫婦の中でわがままを通したり(キャンピングカーでもいいです。)、いわゆる無意識にあるいは際限なく甘えるところがあります(その反対もあるでしょう。)。これについては、それぞれのカップルで、今でも思っただけで歯がゆい(山口弁)、どうしても許せない、という妻の独白もある筈です。また、現在のように、妻が、家庭外の活動とその生きがいを求めだしたら、そのくいちがいと、その決着は自明なのです。
高齢化社会になり、60歳以降、死へのモラトリアム(猶予)が長く続いていくようになり(小津安二郎の「東京物語」での60歳を過ぎたばかりの笠智衆は広島に帰ってすぐ妻(浪速千恵子)を亡くすのです。こどもを育てあげた大事業のすぐ後ですが。)、女も男も、よくも悪くも膨大な時間が生じ、周囲と折り合いよくやっていける女性よりは、殊に男は、学ぶことがたくさんあるのです。

どちらにも際立った正義はなく、今の世界状況と一緒で、「自由の相互認証」(ヘーゲル)しか、解決はないと思いますが。

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