先日、「堤未果」さんという方の、「政府は必ず嘘をつく」という本を読みました。
興味深い本でしたが、「外からの視点」というものに、目を開かれる思いであったので、つたないながら、少し触れてみたいと思います。
彼女は、「国際ジャーナリスト」という活動をしているらしく、彼女の教育、経歴(表題は米国の歴史家(兼彼女の恩師)「ハワード・ジン」氏に多くを負っているように書かれています。この本の書名も彼の言葉に由来します。)は、国内教育後、米国の大学等で学び、その後その交流の多くを欧米系
その他の国々の同種業者との付き合い、その情報交換を活動の基盤にしているように書かれています。国連の職員、アムネスティインターナショナルの職員を経て、外国誌の特派員か何なのか、現在の生計を何に依存しているかは書かれていませんが、日本の商業新聞三大紙や、それと軌道を一にしている他
の国内大手メディア(たとえばNHK)などとは、一線を画しているようです。少なくとも、日本国ではかなり普通に見受けられる、「日本政府」、「日本国各商業新聞」などのコードに触れる言論的自主規制には、拘束されていないように観測されます。
「ふつーの庶民」である、私たちは、通常、国内メディアの与える情報しか目にすることは、ありません。たとえ、翻訳CNN放送などを常時注意深くみていたとしても、やはり、国際状況の流動性や、外国の「庶民」の実態や、彼らの考え、外国政府の活動や、その世論の論調が、我が国に比べ、他国の常識が、世界的なその相場性(?) がよくわからないところがあります。その差が理解できるのは、他国の状況を観察し、判断できる、少数のいわゆる「ジャーナリスト」でしかできないことであろうかと、思われます。しかしながら、その判断や、観察が正しいものであるかどうかは、彼らの著書を通じて、私たちの個々の判断の責任に任されるしかないところなのですが。
彼女の視点は、良い意味で「外からの視点」のように思われます。
たとえば、日本のTPP条約批准に際し、彼女が語るNAFTA(北太平洋自由貿易協定(アメリカ・メキシコ・カナダのあれです。))の成立によって、米国内、メキシコ国内、カナダ国内の大多数の「住民大衆」が、失職、所得の減小、景気後退、などでどのような深刻な被害を受けたのか、あるいは
訴訟能力と言いがかりに長けたアメリカの金融・サービス資本、農業寡占会社などが、メキシコ・カナダに対し政府訴訟を行い、その結果かの両国が全敗で国家利害にどのような深実な被害を受けたか、このたび、具体的に初めて知りました。また、本では読みましたが、ジャマイカ・韓国などの新興国が、
自国の経済政策の失敗ではなく、国際的な公共的機関を装うIMFが推進した、特定の階層に国境を越えた草刈り場を提供する新自由主義の経済政策のもとでいかに国民経済を破たんさせられ、それのみならず自国の防衛、社会資本、福祉、文化に、国民性に深甚な被害を受けたかが、よく理解できました。
彼女の記述によれば、「1%の人間が国富の80%を握る」アメリカでは、金融資本等が他国に勢力を拡大しても、世界レベルで富者が貧者をどのように収奪するか、定式化と手順化がきちんと出来上がっているのですね。それを知りつつ、報道しない(?) 日本のメディアもどうかと思いますが、アメリカにおいては、行き過ぎた規制緩和でメディアが次々買収され、気骨のあるメディアがなくなり、御用メディアしか残らない状況となっているとの話です。ひるがえって我が国と類比すれば、このような状況について、国内メディア報道で見たことも聞いたこともないことを綜合すると、バカな三大誌はさておき、公正・公平であるべきNHKを筆頭に、日本のメディアは、危機意識も見識もない、政府に積極的に迎合する、不勉強でご都合主義の報道機関なんですね。よくわかりました。また、メディアの私企業化により、公正・公平な報道も望めなくなる他国の現実も省みず、元々の進駐軍コード以後、唯々諾々と権力者に随順してきて以来、ただでさえ迎合的な日本のメディアなど、将来的にも、組織的な戦いも、記者も個人的にも何もしないのではないか、と不幸な予想がされます。
重要なのは、「自由貿易協定」という国境を越えた方便によって、現在の、きわめて強力で苛烈な資本主義の担い手の国際的金融資本が、「規制緩和」とか「小さな政府」とかの掛け声のもとで、メディア、政府機関に至るまで手中に収め、あたかも民族国家を止揚し新たに少数者による世界帝国支配を目
指し(ショッカーのような奴らですね。)、日本国をも含め国籍を超えた悪の眷属(けんぞく:一族、郎党)を増やすため、目的と利害を共有する大多数の権力者を味方に付けて、他国の大衆や、自国の大衆を、いかに収奪しているかという、グローバリズムによる支配という世界的な現実を認識する必要が
あるところです。そして、まだ戦うすべがあるかもしれない、日本政府の、TPP政策、新自由主義政策に、工夫しながら一人の市民レベルで戦うことにしましょう。それが、せめてもの私の「意地」です。
ところで、彼女の、著書で気になることがありました。
「脱原発」を巡る論調です。私には、「これは、内側からの視点」が欠落しているのではないかと思われました。(原著は、2012年発行(この本は増補版)でしたが、今年(2016年4月に)増補版が出ています。) かつて、3.11後の発言で「原発事故」について、海外移住前までは政治的・社会的な発言を慎重にしてきた筈の村上春樹が、「我々は誤った選択をした」とか、奇妙な発言をして、日本国に住み、逃げなかった国民・読者に対して、無責任で、見識のない発言をしていました。再度申し上げますが、原発事故は英国誌の報道にあったように「天災による原発事故」であり、決して人為的な事故でも、ましては天罰でもないのです。それは、「長老」吉本隆明が、「これから人類はくらい道をとぼとぼあるくこととなる」という、2011年当時、科学技術の不可逆性と科学技術それ自体倫理性がないことを言明したことに比して、きわめて不見識でした(他の坂本龍一などどうでもいいが)。それは、村上春樹の言説は、米欧的な文脈においては通りがよく、同時に、日本国の現状を媒介すればとても通俗的であることを意味しています。
もし、村上さんが、その後自己の見識の一貫性をとるべきであれば、彼の著書が不買運動の対象となった、「中共」の東シナ海沿岸部に多数建設されるはずの、原発(国民の命が安い中共ではよいかも知れないが、日本国にとってはなんと恐ろしい。)に対し、ちゃんと、彼の見識に基づき抗議すべきです
。その際、彼が、先の中共政府主導の村上春樹著書不買運動について、抗議するかどうかは、どうも、自己著書に自負心を持っていないような表現者として、彼の勝手ですが。
著者にとっても、今後、日本の国家安全、経済的な安定、国民の安心安全にとっても、今後必要なエネルギー政策において、一つの選択として、原発をメニューに入れないわけにはいかないのです。「3.11」後の混乱期に、この際とばかり、新自由主義の思惑から、政府による市場開放に関する様々な謀略がなされたかもしれませんが、やはり、日本国内企業(国外へ出てったやつのことなんかしらねー。)の対外競争力の担保と、安価で安定的な電力供給を大多数の日本国民に供するため、一つの手段として、現実的に必要です。
著者として、また国際ジャーナリストとして、「原発事故」に関しあたかも「世界標準的な(?) 」偏った見地に拘束されたままで、この本の当初刊行の、2012年当時はやむを得なかったかもしれませんが、その後も、無考えの、日本の三大商業新聞、東京新聞に随従するような、原発パッシングに雷同するのは、やめて欲しいですね。少なくとも、原発問題に関して、日本国の大多数の国民の現状と、日本国に住むしかない私たちの将来に関する大きなエネルギー問題に関して、現実的で大多数の大衆の利害を媒介しないような、不見識なことは言ってほしくないものです。
堤さん、私たちの視点は、それぞれの立ち位置で限界があるかもしれませんが、せっかく、このたび現在の日本人にとって極めて重大で、示唆に富んだよい本を出版されたのですから、引き続き、日本国内では見えにくい、客観的で、事実に近い、他国についての正しい情報を引き続き教えていただきたい、と思うところです。
興味深い本でしたが、「外からの視点」というものに、目を開かれる思いであったので、つたないながら、少し触れてみたいと思います。
彼女は、「国際ジャーナリスト」という活動をしているらしく、彼女の教育、経歴(表題は米国の歴史家(兼彼女の恩師)「ハワード・ジン」氏に多くを負っているように書かれています。この本の書名も彼の言葉に由来します。)は、国内教育後、米国の大学等で学び、その後その交流の多くを欧米系
その他の国々の同種業者との付き合い、その情報交換を活動の基盤にしているように書かれています。国連の職員、アムネスティインターナショナルの職員を経て、外国誌の特派員か何なのか、現在の生計を何に依存しているかは書かれていませんが、日本の商業新聞三大紙や、それと軌道を一にしている他
の国内大手メディア(たとえばNHK)などとは、一線を画しているようです。少なくとも、日本国ではかなり普通に見受けられる、「日本政府」、「日本国各商業新聞」などのコードに触れる言論的自主規制には、拘束されていないように観測されます。
「ふつーの庶民」である、私たちは、通常、国内メディアの与える情報しか目にすることは、ありません。たとえ、翻訳CNN放送などを常時注意深くみていたとしても、やはり、国際状況の流動性や、外国の「庶民」の実態や、彼らの考え、外国政府の活動や、その世論の論調が、我が国に比べ、他国の常識が、世界的なその相場性(?) がよくわからないところがあります。その差が理解できるのは、他国の状況を観察し、判断できる、少数のいわゆる「ジャーナリスト」でしかできないことであろうかと、思われます。しかしながら、その判断や、観察が正しいものであるかどうかは、彼らの著書を通じて、私たちの個々の判断の責任に任されるしかないところなのですが。
彼女の視点は、良い意味で「外からの視点」のように思われます。
たとえば、日本のTPP条約批准に際し、彼女が語るNAFTA(北太平洋自由貿易協定(アメリカ・メキシコ・カナダのあれです。))の成立によって、米国内、メキシコ国内、カナダ国内の大多数の「住民大衆」が、失職、所得の減小、景気後退、などでどのような深刻な被害を受けたのか、あるいは
訴訟能力と言いがかりに長けたアメリカの金融・サービス資本、農業寡占会社などが、メキシコ・カナダに対し政府訴訟を行い、その結果かの両国が全敗で国家利害にどのような深実な被害を受けたか、このたび、具体的に初めて知りました。また、本では読みましたが、ジャマイカ・韓国などの新興国が、
自国の経済政策の失敗ではなく、国際的な公共的機関を装うIMFが推進した、特定の階層に国境を越えた草刈り場を提供する新自由主義の経済政策のもとでいかに国民経済を破たんさせられ、それのみならず自国の防衛、社会資本、福祉、文化に、国民性に深甚な被害を受けたかが、よく理解できました。
彼女の記述によれば、「1%の人間が国富の80%を握る」アメリカでは、金融資本等が他国に勢力を拡大しても、世界レベルで富者が貧者をどのように収奪するか、定式化と手順化がきちんと出来上がっているのですね。それを知りつつ、報道しない(?) 日本のメディアもどうかと思いますが、アメリカにおいては、行き過ぎた規制緩和でメディアが次々買収され、気骨のあるメディアがなくなり、御用メディアしか残らない状況となっているとの話です。ひるがえって我が国と類比すれば、このような状況について、国内メディア報道で見たことも聞いたこともないことを綜合すると、バカな三大誌はさておき、公正・公平であるべきNHKを筆頭に、日本のメディアは、危機意識も見識もない、政府に積極的に迎合する、不勉強でご都合主義の報道機関なんですね。よくわかりました。また、メディアの私企業化により、公正・公平な報道も望めなくなる他国の現実も省みず、元々の進駐軍コード以後、唯々諾々と権力者に随順してきて以来、ただでさえ迎合的な日本のメディアなど、将来的にも、組織的な戦いも、記者も個人的にも何もしないのではないか、と不幸な予想がされます。
重要なのは、「自由貿易協定」という国境を越えた方便によって、現在の、きわめて強力で苛烈な資本主義の担い手の国際的金融資本が、「規制緩和」とか「小さな政府」とかの掛け声のもとで、メディア、政府機関に至るまで手中に収め、あたかも民族国家を止揚し新たに少数者による世界帝国支配を目
指し(ショッカーのような奴らですね。)、日本国をも含め国籍を超えた悪の眷属(けんぞく:一族、郎党)を増やすため、目的と利害を共有する大多数の権力者を味方に付けて、他国の大衆や、自国の大衆を、いかに収奪しているかという、グローバリズムによる支配という世界的な現実を認識する必要が
あるところです。そして、まだ戦うすべがあるかもしれない、日本政府の、TPP政策、新自由主義政策に、工夫しながら一人の市民レベルで戦うことにしましょう。それが、せめてもの私の「意地」です。
ところで、彼女の、著書で気になることがありました。
「脱原発」を巡る論調です。私には、「これは、内側からの視点」が欠落しているのではないかと思われました。(原著は、2012年発行(この本は増補版)でしたが、今年(2016年4月に)増補版が出ています。) かつて、3.11後の発言で「原発事故」について、海外移住前までは政治的・社会的な発言を慎重にしてきた筈の村上春樹が、「我々は誤った選択をした」とか、奇妙な発言をして、日本国に住み、逃げなかった国民・読者に対して、無責任で、見識のない発言をしていました。再度申し上げますが、原発事故は英国誌の報道にあったように「天災による原発事故」であり、決して人為的な事故でも、ましては天罰でもないのです。それは、「長老」吉本隆明が、「これから人類はくらい道をとぼとぼあるくこととなる」という、2011年当時、科学技術の不可逆性と科学技術それ自体倫理性がないことを言明したことに比して、きわめて不見識でした(他の坂本龍一などどうでもいいが)。それは、村上春樹の言説は、米欧的な文脈においては通りがよく、同時に、日本国の現状を媒介すればとても通俗的であることを意味しています。
もし、村上さんが、その後自己の見識の一貫性をとるべきであれば、彼の著書が不買運動の対象となった、「中共」の東シナ海沿岸部に多数建設されるはずの、原発(国民の命が安い中共ではよいかも知れないが、日本国にとってはなんと恐ろしい。)に対し、ちゃんと、彼の見識に基づき抗議すべきです
。その際、彼が、先の中共政府主導の村上春樹著書不買運動について、抗議するかどうかは、どうも、自己著書に自負心を持っていないような表現者として、彼の勝手ですが。
著者にとっても、今後、日本の国家安全、経済的な安定、国民の安心安全にとっても、今後必要なエネルギー政策において、一つの選択として、原発をメニューに入れないわけにはいかないのです。「3.11」後の混乱期に、この際とばかり、新自由主義の思惑から、政府による市場開放に関する様々な謀略がなされたかもしれませんが、やはり、日本国内企業(国外へ出てったやつのことなんかしらねー。)の対外競争力の担保と、安価で安定的な電力供給を大多数の日本国民に供するため、一つの手段として、現実的に必要です。
著者として、また国際ジャーナリストとして、「原発事故」に関しあたかも「世界標準的な(?) 」偏った見地に拘束されたままで、この本の当初刊行の、2012年当時はやむを得なかったかもしれませんが、その後も、無考えの、日本の三大商業新聞、東京新聞に随従するような、原発パッシングに雷同するのは、やめて欲しいですね。少なくとも、原発問題に関して、日本国の大多数の国民の現状と、日本国に住むしかない私たちの将来に関する大きなエネルギー問題に関して、現実的で大多数の大衆の利害を媒介しないような、不見識なことは言ってほしくないものです。
堤さん、私たちの視点は、それぞれの立ち位置で限界があるかもしれませんが、せっかく、このたび現在の日本人にとって極めて重大で、示唆に富んだよい本を出版されたのですから、引き続き、日本国内では見えにくい、客観的で、事実に近い、他国についての正しい情報を引き続き教えていただきたい、と思うところです。
共感力も考察能力も現代人は衰退しています。
全てはつきつめて考えるべきなのです。
現実を見据えましょう。
現実はどう隠そうとも現実です。
国民としてではなく、一人の人間として、子ども達に胸を張って主張できるものを私は選びたいですね。
「もうひとつの核なき世界」を読ませていただきたいと思います。
ただ、現在の核保有国が、理念によって核を廃棄するかどうかは現実的でないと思います(たぶんあり得ないのです)。
例えば、アメリカが、核廃棄を宣言するとして、現在の極東の緊張状態の中で、喜ぶのは中共と、北鮮だけでしょう。
私は、「火葬場の少年」に見るように、非戦闘員に対する非人道的な理不尽な暴力は許すことはできませんが、覇権国家中共、人民抑圧国家北鮮の前に、無辜の日本国民を差し出すわけにはいきません。共感力といっても、反日教育を受けたかの人民たちは、日本国に対する核使用を平然と認めるかもしれません。それも、一つの「現実」です。