こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

地域(の教育力)とは。

2005年02月07日 | 教育
学校といえば、先生がいて指導カリキュラムに乗っ取って具体的な教育的指導を施す。
家庭は、お互いの絆を深めながら円満な人間関係(厳しさや優しさ)の中で、子育てを行う。
・・・はてさて、それでは「地域」とは?

地域の教育って具体的にはどんなものを指す言葉なんでしょうねえ。
では、私の過去の思い出を中心に、思いつくままに。

簡単に言ってしまえば、地域の人との関わりの中で育まれるもの。ですか。
学校帰りに毎日挨拶を交わす農家の人。琵琶畑にたわわになったビワの実を盗んで、
肥溜めの肥を思いっきり全身にかけられたり、次の日は、おいしいビワを一袋プレゼントしてくれたり、
・・・こんな出来事も、地域の教育力ですね(笑。

秋の収穫の季節になると、お昼の校内放送で、
「○○地区は本日は稲刈りの日です。○○地区の児童のみなさんは、早めに集団下校して下さい。」
とアナウンス。私のうちは農家ではないが、みんなに便乗して大手を振って早退ができる嬉しい季節。
これこそ生きる力に直結した地域と学校の連係プレーですね。

収穫が終わると、各地の神社で収穫祭。この時も、学校を早退することのできる大義名分が成り立つ。
神社で蒔かれる紅白餅が目的だ。地域の伝統行事を大事にしていた学校。
おくんちと言われる行事には、学校の先生、役場の公務員、
隣の町の親戚、・・・いろんな人が各家を訪問し、酒を酌み交わす。道路やあぜ道で大いびきをかきながら寝ているおじさんが各所で散見できた。酒臭い先生が、二日酔いの不機嫌な顔で授業をするのもこの季節。

ちょっと視点を変えて、今現在を見渡してみると、
ボランティアや安い授業料でスポーツ、音楽、芸術、学習塾などの教室を開いてくれている地域の大人もいらっしゃる。考えてみれば、その人の人間性や生きる思い、技術の伝承などを伝達することのできるとてもすばらしい「地域の力」ですよね、これは。この辺の個々の力が、ちょっとだけセーフティーネットになってくれるだけで、ずいぶん違うでしょうね。

前に大閑さまが指摘下さった「地域の商店街や大型小売業者、コンビニエンスストア」。そして、「工場や企業などの事業所」。こういった、商業主義や工業生産主義に重きを置く組織に、商業ベースばかりでない視点で、子育てネットワークに参画してもらえるような具体的な智慧があれば、これなどすごく強力なパワーを持っているような気もします。

また違った視点では、地域に住む人たちにどんな人が住んでいるのかをきっちりリサーチできるような人やシステムがあると、これまた面白くないかな。一対一の小さなドラマが大切だと思うから。地域地域って言うけれど、その実は、大人と子どもの関わり。隣のおじさんとうちの息子の関わり、ドラマの展開こそ、地域の教育力って言うんじゃないかと思ったりもします。これから、多くの現役リタイヤ世代が地域に帰ってきます。新しい展開が期待されますよね。

そういえば、ここはお寺という宗教施設。昔の記録を眺めると、
秋のお彼岸の説教・・・聴聞者 ○○小学校から1.000名。とかいう記述が数年記録してありました。
どこに1.000名もの子どもたちを収容できるんだろう?ってそぼくに感じますが、ともかくも、
昔の学校は、本当の意味で、学社融合が進んでいたんだなあと思います。
コメント (5)
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