ボールペンでらくがきしました。
絵の勉強をしなければいけない?
こういう話を聞きました。
「デッサン教室に通っているのですが、毎回課題が出されて、次回までに完成させて提出しなければならないのです。仕方なく続けていますが、もうイヤになりました」
くわしく話を聞いてみますと、こういうことらしいです。
1.素晴らしい絵を見て自分も描けるようになりたいと思った。
2.自分が絵を描けないのはデッサンが出来ないからにちがいない。
3.だからデッサン教室に通わなければならない。
わたしはこの考え方を「デッサン教信仰」と名付けました。
どうやら、絵をほとんど描いたことがない人がこれから絵を趣味にしようと思ったときに入信する傾向があるようです。
絵を描くということは、決して「しなければならない」ことではありません。
農作業をしなければならない、あるいは、漁に出でなければならない、ということはありますが、絵を描かなければならないということはありません。
絵を描くということはしなくてもよいことですから、「絵の勉強」など当然する必要なく、嫌々デッサン教室に通うということもまったく必要ありません。
デッサン教室に通ってはいけないということではありません。
通いたい人が通うのは当然のことです。どんどん通ったらよいと思います。
通いたくないのに通わなければならないと思いこんでいる人は、通うべきではないということです。
「デッサンを勉強したいからする」ものであって、しなければならないということはありません。
「プロの絵描きになりたいから絵の勉強をしなければならない」という人も散見しますが、そういう人は専門家には向いていないでしょう。
絵を描きたくて仕方がない、どうしても絵の勉強を続けたい、という人が専門家に向いていると思います。
わたしがなぜ絵を描くかというと、描きたいからです。義務や強制で描かされているわけではありません。気分が悪くて描きたくないときは描きませんし、また、描けません。
「絵の勉強・練習」はしたくないのでしていません。
楽しむために絵を描くのですから、自分が楽しくないことはしない方がよいのです。
楽しく自由にのびのびと「らくがき」を描いているならそれに勝るものはなく、堅苦しい「勉強・練習」など必要ないというのがわたしの考えです。
もちろん「勉強・練習」も好きでするのであれば結構なことだと思います。
「やりたいからどうしてもやる」と「やらなければならないから仕方なくやる」とでは雲泥の差があります。
同じことをしているように見えて、片方は「幸」、もう片方は「不幸」なのです。
自ら不幸を背負い込むことはありません。
仕事上や趣味に関わらず、何かしら一芸に秀でようとするならば、様々な勉強やそれに伴う苦労はやむなしとしても、その労苦をいかに「楽しみに変換できるか」がポイントという訳ですね^^
そんな紅葉さんのサイトに、何の代償もなくただ『楽しませて頂いている』者にとっては、畏れ多いのですが・・
すずめさん、こちらを向いていますね。
今にもチュンと鳴いて、飛び立っていきそうな感じがします。
絵の勉強・・・プロになるわけではないなら、わざわ
ざお金を払ってまで、
苦痛を感じつつ教室に通うなんて、意味が無いと思います。
好きこそものの上手なれ・・・ですよね。
このは紅葉さんの考えを、うんうん、その通り!と私も思いました。
敷居の高いものと判断してしまい、
離れていってしまう人が多いのかもしれないですね。
芽が出る前に紡がれてしまう…というか。
子供がらくがきするように
大人もらくがきしたらいいのに、と思います。
まあ、無理して描く必要性は
全くないですが…
「楽しんだもの勝ち」なのかな?
一流のスポーツ選手などへのインタビューで、「厳しい練習など大変ですね」の問いかけに「いいえ、大変ではありません。楽しんでますから」という言葉を返すのは、謙遜ではなくて正直な気持ちだと思います。
楽しめることが最大の才能なのかもしれません。
わたしの才能は人並みで、決して一流ではありませんが、ささやかに楽しむには充分です。
プリンスさんや皆さんにも楽しんでいただけたら、とても幸せです。
コメントをいただけたらそれ以上のものはいりません。
水無月さんへ
こんばんは。
絵に動きを感じていただけたらとてもうれしいです。
好きなことを楽しめたら、それだけで充分ですね。
イクさんへ
そうですね。
絵はとっても簡単で、技術や勉強なんて必要ありません。
小さな子どもたちが無邪気に描くように、わたしも描きたいと思っております。
近頃、だんだんと自由な気持ちで描けるようになって、より楽しくなってきました。