前回「#400弱小「竹槍隊」が行く!」で、『「用兵」に工夫の余地があるとの判断』と書きました。
つまり、これまでは欲しい緑色を作る研究を続けてきたのですが、これを断念し、今ある色を効果的に使う絵の研究に切り替えるという意味です。これは大きな後退です。
描きたい絵によって色を決めるのではなく、色によって絵が規定されてしまうのです。
今わたしのもとにいる竹槍隊の能力を鑑みればやむなき転進でありましょう。
もし新しい色を作る研究を続けるなら、竹槍隊の隊士(絵の具)を入れ替える必要がありますが、これまでともに戦い続けてきた隊士の顔を見るに忍びない。
わたしにもうすこし力があれば、隊士の力を存分に発揮させることも出来ましょうが、それは望むべくもありません。
竹槍隊の活躍の場を求めて旅に出ることにしました。
つまり、これまでは欲しい緑色を作る研究を続けてきたのですが、これを断念し、今ある色を効果的に使う絵の研究に切り替えるという意味です。これは大きな後退です。
描きたい絵によって色を決めるのではなく、色によって絵が規定されてしまうのです。
今わたしのもとにいる竹槍隊の能力を鑑みればやむなき転進でありましょう。
もし新しい色を作る研究を続けるなら、竹槍隊の隊士(絵の具)を入れ替える必要がありますが、これまでともに戦い続けてきた隊士の顔を見るに忍びない。
わたしにもうすこし力があれば、隊士の力を存分に発揮させることも出来ましょうが、それは望むべくもありません。
竹槍隊の活躍の場を求めて旅に出ることにしました。
(前回「#399高級水彩絵の具に挑む!」よりの続き)
前回は「孫子」を引用したものでありました。
半分冗談交じりですが、半分は真面目な話です。
優れた兵がいくらでも揃えば、それに越したことはないのですが、手持ちの兵だけでなんとかやりくりしようとするときには用兵が重要になってきます。
絵を描くときも同じで、たとえ安価で限られた画材(絵の具・紙・筆)であっても、その性能を最大限に引き出すことによって、より良い効果が得られるものと期待しています。
また、材料や用具のみならず、自分の能力も同様に、より効果的に引き出して用いるべきでありましょう。
より少ない兵力で最大の効果を上げることが「兵法」の極意です。
去年わたしが絵を始めたときから、「孫子」を念頭に問題を解決(あるいは回避)してきました。
戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり
簡単に言うと「戦わずして勝つのが最善である」ということです。
「デッサンが出来ない」「線がまっすぐ引けない」「水彩の塗りムラ」
これらの問題に取り組むとき、多くの人は「デッサンの勉強をする」「直線を引く訓練をする」「塗りムラが出ない塗り方を勉強する」という努力をするでしょう。
しかし、勉強とか努力とか、そういうことが苦手で、ものぐさな<このは紅葉>がとった策は、「デッサン不用の絵を描く」あるいは「デッサンの狂いを生かす絵を描く」、「曲がった線を生かす絵を描く」、「塗りムラを生かす絵を描く」というものです。
一種の妥協なのですが、それはそれで絵の味になっているので、ある程度成功したと思います。
色の問題も同様で、それなりに効果が出ていると思います。
しかしながら、「緑色」だけはなんとかして良い色を出したいと思って、「緑色の研究」を始めました。
「緑色の研究」では、青色と黄色の2色の絵の具だけで絵を描いています。
一口に青色と言ってもいろいろな青色がありますが、ただ一つの絵の具に決めて使っています。黄色も同様です。
つまり、これまでわたしが生み出してきたさまざまな「緑色」は、ただ2種類の絵の具によって生まれた色なのです。
混合比、塗る順番とタイミングなどあらゆる条件を試すことによってのみ、異なる色を作ろうとしています。
現在研究が行き詰まっているのですが、それが、すでに絵の具の性能を最大限に引き出したことによるのか、それともわたし自身の能力の限界なのか、あるいはどちらもまだ限界に達していないのか、そのあたりの判断が出来ません。
いよいよ青い絵の具を変えるか、黄色の絵の具を変えてみるか、その分岐点に達しているような、いないような、そんな竹槍隊の現状です。
その現状を打破するために思いついた策が「このは紅葉流・相対性理論」です。
まだ「用兵」に工夫の余地があるとの判断で、同じ絵の具でもうすこしがんばってみます。
今回の絵はいつもの絵の具で描いたものです。
参考に、前回の絵と同じように描いてみました。(色の違いが明らかです)
この色を長く使っているせいか、すでに<このは紅葉>色になっているような気もします。
長くわたしの絵をご覧下さっている方も、この色に慣れているかも?
(次回に続く…)
前回は「孫子」を引用したものでありました。
半分冗談交じりですが、半分は真面目な話です。
優れた兵がいくらでも揃えば、それに越したことはないのですが、手持ちの兵だけでなんとかやりくりしようとするときには用兵が重要になってきます。
絵を描くときも同じで、たとえ安価で限られた画材(絵の具・紙・筆)であっても、その性能を最大限に引き出すことによって、より良い効果が得られるものと期待しています。
また、材料や用具のみならず、自分の能力も同様に、より効果的に引き出して用いるべきでありましょう。
より少ない兵力で最大の効果を上げることが「兵法」の極意です。
去年わたしが絵を始めたときから、「孫子」を念頭に問題を解決(あるいは回避)してきました。
戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり
簡単に言うと「戦わずして勝つのが最善である」ということです。
「デッサンが出来ない」「線がまっすぐ引けない」「水彩の塗りムラ」
これらの問題に取り組むとき、多くの人は「デッサンの勉強をする」「直線を引く訓練をする」「塗りムラが出ない塗り方を勉強する」という努力をするでしょう。
しかし、勉強とか努力とか、そういうことが苦手で、ものぐさな<このは紅葉>がとった策は、「デッサン不用の絵を描く」あるいは「デッサンの狂いを生かす絵を描く」、「曲がった線を生かす絵を描く」、「塗りムラを生かす絵を描く」というものです。
一種の妥協なのですが、それはそれで絵の味になっているので、ある程度成功したと思います。
色の問題も同様で、それなりに効果が出ていると思います。
しかしながら、「緑色」だけはなんとかして良い色を出したいと思って、「緑色の研究」を始めました。
「緑色の研究」では、青色と黄色の2色の絵の具だけで絵を描いています。
一口に青色と言ってもいろいろな青色がありますが、ただ一つの絵の具に決めて使っています。黄色も同様です。
つまり、これまでわたしが生み出してきたさまざまな「緑色」は、ただ2種類の絵の具によって生まれた色なのです。
混合比、塗る順番とタイミングなどあらゆる条件を試すことによってのみ、異なる色を作ろうとしています。
現在研究が行き詰まっているのですが、それが、すでに絵の具の性能を最大限に引き出したことによるのか、それともわたし自身の能力の限界なのか、あるいはどちらもまだ限界に達していないのか、そのあたりの判断が出来ません。
いよいよ青い絵の具を変えるか、黄色の絵の具を変えてみるか、その分岐点に達しているような、いないような、そんな竹槍隊の現状です。
その現状を打破するために思いついた策が「このは紅葉流・相対性理論」です。
まだ「用兵」に工夫の余地があるとの判断で、同じ絵の具でもうすこしがんばってみます。
今回の絵はいつもの絵の具で描いたものです。
参考に、前回の絵と同じように描いてみました。(色の違いが明らかです)
この色を長く使っているせいか、すでに<このは紅葉>色になっているような気もします。
長くわたしの絵をご覧下さっている方も、この色に慣れているかも?
(次回に続く…)
これまで、舶来高級絵の具に頼ることなく、国内製低価格絵の具でなんとかして良い色を出そうと研究を積み重ねておりましたが、いっこうに解決へ向かう手だてが見つからず、悶々とした日々を送って参りました。
やむなく、さる軍師に教えを請いにうかがいましたところ、「彼を知りて己を知れば百戦してあやうからず…云々」という教えを授かりましたので、その舶来高級絵の具を知るために2色だけ使ってみたのでございます。
すると、驚くべき事に、いつも苦労を重ねてそれでも出来なかった色が簡単に出せるではありませんか! しかも、自由自在に色が作れるのでございます。
安価な絵の具では1年かかってもなお出来なかったことが、舶来高級絵の具では5分とかかりません。
わたしは愕然としました。
わたしがしてきた「緑色の研究」は、まるで、アメリカのB29爆撃機が絨毯爆撃をしてくるのに対し竹槍で迎え撃とうと云う、まさにこっけいな行為に過ぎなかったのです。
なるほど、団塊の世代の方達が、わたしの絵を見てばかにするのも頷けます。
さて、軍師が言うには…
「彼を知り、己を知った」<このは紅葉>がとるべき道はどの道か?
1.アメリカの軍門に下り、辱めを受けつつも属国として生き延びる。
2.自決す。
3.玉砕覚悟で徹底抗戦す。
選択の余地はございません。
1.<このは紅葉>の経済的理由が舶来高級絵の具の使用を許しません。
2.<このは紅葉>は断筆する気が毛頭ございません。
「されば、徹底抗戦するしか道はござらん。兵は詭道(きどう)なり。故に、能なるもこれに不能を示し、用なるもこれに不用を示し、近くとも…云々」
どういうことかよくわかりませんが、わたしには竹槍しかないのですから、とにかく竹槍の腕を磨くよりなさそうなのです。
「戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」
なにやら軍師がぶつぶつ言っておりましたが、わたしは竹槍を手にとって、その場を後にしたのでございます…。
(次回に続く…)
水彩で紙汚しです。
(以下、絵に関係なし)
以前「#69成分分析」でやってみたように、今度は「このは紅葉の絵」で分析してみました。
このは紅葉の絵の解析結果
このは紅葉の絵の59%は夢で出来ています
このは紅葉の絵の30%はアルコールで出来ています
このは紅葉の絵の8%は気の迷いで出来ています
このは紅葉の絵の3%は言葉で出来ています
主成分である「夢」が無いとわたしの絵は成立しないのですね。
絵の調子が上がらないのはそのせいかな?
「アルコール」分が不足している!? わたしはお酒は飲まないよ~。
しかも、「気の迷い」とは…これは充分すぎるほど足りてそうです。
「言葉」も足りてるよね? むしろ、多すぎ?
ちなみに以前#69で分析した結果では、「このは紅葉」の主成分は「愛」でした。
このは紅葉の解析結果
このは紅葉の82%は愛で出来ています
このは紅葉の6%はマイナスイオンで出来ています
このは紅葉の5%は濃硫酸で出来ています
このは紅葉の4%は心の壁で出来ています
このは紅葉の3%は成功の鍵で出来ています
調子が悪いのは愛が足りないから?
やっぱり、人や絵やあらゆるものに愛を注ぎ込まなくてはいけないのですね。
わたしは少しも心優しくないものですから、絵にそれが表れているようです。
以前「#69成分分析」でやってみたように、今度は「このは紅葉の絵」で分析してみました。
このは紅葉の絵の解析結果
このは紅葉の絵の59%は夢で出来ています
このは紅葉の絵の30%はアルコールで出来ています
このは紅葉の絵の8%は気の迷いで出来ています
このは紅葉の絵の3%は言葉で出来ています
主成分である「夢」が無いとわたしの絵は成立しないのですね。
絵の調子が上がらないのはそのせいかな?
「アルコール」分が不足している!? わたしはお酒は飲まないよ~。
しかも、「気の迷い」とは…これは充分すぎるほど足りてそうです。
「言葉」も足りてるよね? むしろ、多すぎ?
ちなみに以前#69で分析した結果では、「このは紅葉」の主成分は「愛」でした。
このは紅葉の解析結果
このは紅葉の82%は愛で出来ています
このは紅葉の6%はマイナスイオンで出来ています
このは紅葉の5%は濃硫酸で出来ています
このは紅葉の4%は心の壁で出来ています
このは紅葉の3%は成功の鍵で出来ています
調子が悪いのは愛が足りないから?
やっぱり、人や絵やあらゆるものに愛を注ぎ込まなくてはいけないのですね。
わたしは少しも心優しくないものですから、絵にそれが表れているようです。
近頃がんばりすぎて、ちょっとバテ気味かな?
今日は疲れていたのでへんちくりんなラクガキだけです。
そういえば…へんちくりんなラクガキは、今日に限らす、いつものことでした。
いつもの貝殻で、水彩らくがきです。
今日の絵はまた面白くなりました。
とても青く塗りたい気分だったのです。
素直に自分の感覚に従って描くと、気分が良いです。
逆に、見栄を張って体裁を整えたり、受け狙いで小細工したりすると、描くのがイヤになってしまいます。
最近はとても気分良くかけているよ~。
今日の絵はまた面白くなりました。
とても青く塗りたい気分だったのです。
素直に自分の感覚に従って描くと、気分が良いです。
逆に、見栄を張って体裁を整えたり、受け狙いで小細工したりすると、描くのがイヤになってしまいます。
最近はとても気分良くかけているよ~。
ベルルさんからさりげなくリクエストがありましたので、水彩イラストを描いてみました。
ベルルさんのブログ「Niwa niha Hana (庭には花)」のお花の写真を見て、わたしが勝手に想像(妄想?)した幻想画です。
誰がどのお花かわかる?>ベルルさん
ベルルさんのブログ「Niwa niha Hana (庭には花)」のお花の写真を見て、わたしが勝手に想像(妄想?)した幻想画です。
誰がどのお花かわかる?>ベルルさん
鉛筆らくがきです。
毎度おなじみの貝殻なのですが、今回はちょっと面白い絵になりました。
ときどき特殊感覚モードに入ることがあって、そういうときはとても面白く描けます。
ちなみに、いままでの「かいがら絵」の中で最高傑作はこれです。
(「#231わたしの絵は主観のかたまり」掲載)
この絵と上の絵が、同じ貝殻を描いたものだとは誰にも思われないでしょう。
そこがまた「らくがき」の面白いところです。
毎度おなじみの貝殻なのですが、今回はちょっと面白い絵になりました。
ときどき特殊感覚モードに入ることがあって、そういうときはとても面白く描けます。
ちなみに、いままでの「かいがら絵」の中で最高傑作はこれです。
この絵と上の絵が、同じ貝殻を描いたものだとは誰にも思われないでしょう。
そこがまた「らくがき」の面白いところです。
小学生の頃のように描いたらくがき。
5枚かいて15分くらいかかりました。平均して1枚描くのに3分くらい。
何も見ないで想像だけで描きます。
子どもの頃は、だいたい写生なんてほとんどしませんでした。(写生するようになったのは最近1年くらいのことです)
普段の生活の中で物をじっと見ている癖があったので、見た物は何でもよく憶えていて、いつでも絵に描くことが出来ました。
特に汽車(キハ22型気動車)は好きだったのでよく描いていましたから、今も何も見ないで描けます。
子どもの頃描いていた物とほとんど大差ありません。
小学校の同級生が見たら、わたしの絵だとすぐにわかるでしょう。
昔からまったく進歩していないようです。
でも、進歩しなければいけないということはないので、それはそれで良いんじゃない?