吉益東洞(1702~73)は,安芸出身で元文3(1738)年京都に移り,
古医方をもって医者となった。不遇であったが,
解剖をして有名になった山脇東洋(1705~62)に見出された。
その学説は,万病一毒説と親試実験にあって,
実験医学の道を切り開いた。
この石標は,吉益東洞宅の跡地を示すものである。
なお,東洞の号は東洞院通に面して住していたことに因む
名医 吉益東洞 宅蹟 京都史蹟会
昭和4年1月
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