一瞬 何があるのかと 身構えました
なんせ 黒い物体なんだから
よく見ると 伐採した木の枝の残り物でした
きれいにとれなかったのかなぁ
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一瞬 何があるのかと 身構えました
なんせ 黒い物体なんだから
よく見ると 伐採した木の枝の残り物でした
きれいにとれなかったのかなぁ
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うーん くずし字が難しい
岩 ・ なんとか ・小路
犬の小便対策にペットボトルが置いてあるが
効果はイマイチ 飼い主の問題ですね
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文明年間(1469~87)法華弘道のため、下総国より上洛した日祝上人が、
細川治部少輔勝益の帰依により
明応4年(1495)中京区四条柳馬場にあった勝益の自邸の喜捨をうけ、
一宇を創建したのが当寺の起こりです。
足利将軍もまた上人に帰依し、庇護したので、
永正6年(1509)上京区新町通上長者町下ル(元頂妙寺町)
へ移って規模を拡大し、
天文の頃には法華宗洛内21ケ本山の1つに数えられていた。
天文5年(1536)の法華の乱には、他の法華寺院とともに京都を追われた。
その後各地を転々とし、
現在の地に移ったのが寛文13年(1673)ときです。
多くの堂宇があるが、すべて天明の大火の後の再建です。
境内墓地には 壇越 細川勝益、
連歌師 里村昌休 の墓
1510-1552 戦国時代の連歌師永正(えいしょう)7年生まれ
谷宗牧(そうぼく)にまなび,宗牧の死後,連歌界を指導した
弟子に里村紹巴(じょうは)がいる
天文(てんぶん)21年11月5日死去、43歳
近江(おうみ)(滋賀県)出身
名は尭景。通称は弥次(二)郎 別号に指雪斎
著作に「休聞(きゅうもん)抄」「昌休発句集」など
里村昌叱、昌琢の墓、
森田茂(11代京都市長)、
池永浩久(映画製作者) の墓がある
山門
門をくぐって 振り返って見た
仁王門
仁王門は、右に持国天、左に多聞天の像を安置する。
当時はこの二天像に対する信仰があつく、
多くの人が参詣しはだしでお千度めぐりをしたと伝わる
仁王門通りの名はここから由来する
天正12年 豊臣・・秀吉 の文字が見える
この額の内容は何だろう
仁王門をくぐり 振り返って見たところ
本堂
明治壬子年
妙雲院
廣池十九郎 仮寓址
広池千九郎(1866~1938)は大分県出身。
地元で教職に携わっていたが,
明治25(1892)年,京都に移住し歴史研究を行う。
同28年,『古事類苑』編纂員の命を受けて東京に移った。
のち,モラロジー(道徳科学)の研究を行い,
道徳科学専攻塾(麗澤大学の前身)を創立する
妙雲院の隣にある 菊神稲荷大明神
妙見宮
妙見宮 妙見大菩薩は、北極星の化身です、
旅の道標である北極星、北斗七星を人生の道しるべとし、
所願成就を司る守護神です。
あわせて、護法龍神、弁財天、浄行菩薩も祀られています。
石鳥居は 明治42年5月建立
明治3● 年
明治28年建立
妙見宮の中
妙見宮の隣にある 浄行菩薩
鬼子母神堂
鬼子母尊神は法華経信者の守護神であるとともに、
子供の守護神です。
子授け、安産、発育良好、学道増進ほ御祈祷します
本立院
秋山自雲霊神(しゅうざんじうんれいしん)
痔疾平癒の利益がある神として主に名古屋以西、
特に関西を中心に信仰が盛んである。
「秋山自雲」というのは、岡田孫左衛門という人の法号である。
彼は摂津国川辺郡小浜村(現在の兵庫県宝塚市)の生まれで、
もと善兵衛といい、
14歳で江戸霊厳島の酒問屋岡田孫左衛門方に奉公し、
のちにこの養子となって孫左衛門と改名した。
38歳の時悪質な痔疾にかかり、さまざまに治療したが効果なく、
ついに髪をおろして浅草山谷の本性寺にこもり、
懺悔滅罪の唱題修業に専念した。
しかし全治に至らず、延享元年(1774)9月21日、45歳で没した。
臨終に際し、自分の死後、痔疾に苦しむ人が題目を唱えたならば、
必ずこれを守護し平癒せしめようと遺言した。
これによって彼が本性寺に葬られてから、
人々が彼の墓前に参詣して痔疾平癒を祈願するようになったという。
のち、故郷の小浜村本性寺と京都東山の東漸寺に祀られるようになり、
痔の神として信仰されるに至った。法号をもって名とする由縁です。
鐘楼
善立院
真浄院
客殿
書院を望む
威徳善神
善性院
石碑
大乗院
大黒堂
大黒天は豊穣、財福の神です。十干十二支を組み合わせ、
甲子の日、60日毎に法要を行います。
商売繁盛の御祈祷を行います。
大黒堂の絵馬
祖師堂
真如院
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