アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

右書き看板96   堂簾美田保久   舗本れだす京

2016年04月27日 07時26分40秒 | 右書き看板

 

 

 

 

前回 右書き看板  ➡   右書き看板95  屋問紐組糸  店商郎治岩林大

 


祠下004  八坂神社 大政所御旅所 

2016年04月27日 07時24分23秒 | 町内の小さな祠

 

 

 

ビルの谷間にあります

 

駒札 

大政所御旅所

ここは、祇園祭(八坂神社の祭礼)の神輿渡御のとき、三基の神輿のうち、大政所(素戔嗚尊)神輿と八王子(八柱御子神)神輿の二基が安置される場所であった。

残る少将井(櫛稲田姫命)神輿は中京区の烏丸竹屋町の御旅所に渡御していたが、天正19年(1591)に豊臣秀吉により、四条寺町にある現在のお旅所に移築・統合された。

円融天皇の時代(969~984)に、この地に住んでいた秦助正が、夢の中で八坂大神の神託を受け、また自宅の庭から八坂神社まで蜘蛛が糸を引いているのを見て、朝廷にこのことを奏上した結果、助正の家が御旅所となったという。

天文5年(1536)に騒乱のため焼失したが、その後に町の人々が小祠を建て、八坂大神を奉祀し、大政所町鎮護の社として毎年7月16日を例祭日と定めた。今でも神輿還御の時には神輿が立ち寄り、神職が礼拝する。 京都市

 

 

 

 

 

八坂の字が  八阪  になっています   八阪大神

 

この石が置かれている意味はきっと何かあるのだろう

 

祠 前回の記事 ➡ 祠下003  祇園祭御旅所・ 冠者殿社  土佐坊昌俊・誓文払い・無言詣   

 


石碑下0029   龍池山大雲院

2016年04月27日 07時22分46秒 | 石碑

石碑は  駒札の下にあります

 

下の方の文字が隠れて不明だ

 

龍池山大雲院

大雲院は天正15年(  )・・・・

織田信長・信忠父子の菩提・・・・

うために正親天皇の勅命・・・・

開山貞安上人に御池・・・・

(  二条)を賜り信忠公の・・・

因んで大雲院と号した。・・・

豊臣秀吉は寺地の狭・・・

見て同18年当地に・・・

面目を一新した。・・・

寺運の興隆を・・・

真葛ケ原の勝・・・・・

 

石碑前回の記事  ➡  石碑下0028  豊園幼稚園創立百周年記念