アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

まち歩き下0065  萬寿寺通の風景  もっとも細い付近の様子

2016年06月04日 21時52分23秒 | まち歩き

 

仏具店が 多い感じ  道幅が特に狭かった  萬寿寺通の中でも一番狭いところじゃないかな

向こうに見えるトラックは 河原町通です

 

前回のまち歩き 記事 ➡  まち歩き下0064  のれん  萬寿寺富小路 付近  

 

  


右書き看板下106   袋 ・ 引水御   難しい崩し字

2016年06月04日 06時38分19秒 | 右書き看板

読めない 難しい 左から2文字目  

昔の人は たくさんの人が すらすら 読めたんだろうか それとも 少数か

 

前回の 右書き看板 記事 ➡  右書き看板下105  商具佛壇佛  店商郎次定茂加  

 


神社下0039  朝日神明宮

2016年06月04日 06時36分33秒 | 神社

 

 

 

朝日神明宮

社伝によれば、貞観年間(858~876)に丹波国桑田郡穴生村(現在の亀岡市)に造営され、

元亀3年(1572)に現在地に遷座されたといわれている。

天照大神を祭神とし、かつては、南北は五条通から松原通、東西は河原町通から富小路通に至る

広大な社域を有し、「幸神の森」と呼ばれた。

末社として、竈神社、稲荷社、祓川社、恒情神社、人丸社、飛梅天神、八幡春日社、猿田彦社の八社があったが、

天明の大火(1788年)及び元治の兵火(1864年)によってその大半が焼失し、神石2個を安置するのみである。

江戸中期以降、明治維新まで増穂氏が代々神主を務め、

中でも増田残口(1655~1742)は京の町々での通俗的神道講釈を試みたことで知られている。

なお当社の大祭は9月16日である。 京都市

 

石鳥居

 

昭和57年3月 建立

 

手水舎

左は明治13年の建立

右は 明治39年4月の建立  佐渡竹治郎 と名が刻されていました

 

本殿

 

 

脩正舎は手島堵庵(1718~86)が開いた心学講舎。

はじめ東洞院松原にあったが,天明の大火(1788)などたびたびの災難により焼失,移転を繰り返した。

心学者柴田鳩翁(1783~1839)は,五条東洞院に脩正舎を再興し,

鳩翁の孫謙堂は,明治44(1911)年同舎をこの地に移した。

この石標は謙堂が移築した脩正舎の跡を示すものである。

 

石畳にしたがって 進んでいくと

 

社の後ろに行きます

 

末社の石仏

 

猿田彦社

 

2個の神石

 

猿の親子の石像

 

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   神社下0038  新玉津神社  季吟・芭蕉ゆかりの地 

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