上部に手の形をした 指を指す方向が示されています
石柱の中ほどには 谷 の文字が読み取れます
指さす方向には フェンスに囲まれた 池があります
このあたりは 秤谷(はかりだに) という地名があります
道標 前回の記事 ➡ 道標右0039 台付の道標です 竜安寺道
昔の 山陰街道
樫原宿場街と札場
樫原は山陰街道の京都寄りの1番目の宿場であり、現在では三の宮神社の旅所になっています。往時は、旅籠かわち屋の位置でありました。この周辺は、木屋、柴屋、白酒屋、油屋、種屋、うなぎ屋、小物物産、塩屋等の店が並び、昼間でも三味線の音が聞こえる相当に発展した町でした。旅人は多く、その足は駕籠で、帳場はこの辺にありました。駕籠は東の札の辻(七条通七本松)までとか西の峠(老の坂)までというように一里(4キロ)位を往復していました。明治になると速さの違いから駕籠は人力車に取って変わられました。暫くすると乗合馬車が登場し、七条ステーションと樫原ステーションを結ぶ乗合馬車が一番の輸送機関とされました。馬の手綱をもつベットウさんの吹き鳴らすラッパの音も高らかでした。馬車松屋という屋号も残っています。明治25年頃、亀岡財界の有力者田中源太郎氏が今日の山陰鉄道を造られたので、樫原の宿場町は火の消えた様にさびれ、自然と札場もなくなりました。
まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き右0087 御室八十八ケ所は 絵画のギャラリー でした