アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

寺院西0082  高圓寺  西山浄土宗

2016年06月18日 17時30分12秒 | 寺院

 

 

 

アラカシ の木

 

 複雑な 幹の表面

 

 

 

門をくぐると  左右に 石仏がありました

 

墓石も混ざっているようです

 

寺院 前回の記事  ➡  寺院西0081  阿弥陀寺  浄土宗西山深草派  


道標西0040  ・・・谷・・の文字が  手の形の指さす方向には

2016年06月18日 14時47分00秒 | 道標

 

 

 

上部に手の形をした 指を指す方向が示されています

石柱の中ほどには  谷 の文字が読み取れます

指さす方向には  フェンスに囲まれた 池があります

このあたりは 秤谷(はかりだに) という地名があります

 

 

道標 前回の記事 ➡  道標右0039  台付の道標です 竜安寺道  

 


まち歩き西0088  樫原宿場街と札場

2016年06月18日 06時30分15秒 | まち歩き

 昔の 山陰街道

 

 

樫原宿場街と札場

樫原は山陰街道の京都寄りの1番目の宿場であり、現在では三の宮神社の旅所になっています。往時は、旅籠かわち屋の位置でありました。この周辺は、木屋、柴屋、白酒屋、油屋、種屋、うなぎ屋、小物物産、塩屋等の店が並び、昼間でも三味線の音が聞こえる相当に発展した町でした。旅人は多く、その足は駕籠で、帳場はこの辺にありました。駕籠は東の札の辻(七条通七本松)までとか西の峠(老の坂)までというように一里(4キロ)位を往復していました。明治になると速さの違いから駕籠は人力車に取って変わられました。暫くすると乗合馬車が登場し、七条ステーションと樫原ステーションを結ぶ乗合馬車が一番の輸送機関とされました。馬の手綱をもつベットウさんの吹き鳴らすラッパの音も高らかでした。馬車松屋という屋号も残っています。明治25年頃、亀岡財界の有力者田中源太郎氏が今日の山陰鉄道を造られたので、樫原の宿場町は火の消えた様にさびれ、自然と札場もなくなりました。

 

 

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寺院西0081  阿弥陀寺  浄土宗西山深草派

2016年06月18日 06時28分18秒 | 寺院

 

洛西観音霊場  第25番札所

 

 

 

 

 

 

背の高い仏像が二階の窓から顔が見えます

 

 

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