松月鉾
恵美須神社(御神祭 事代主大神)の氏子町として其の神幸祭に際し町内に祭壇を設け其の御分神を祀る 御祭神と安置したる御社は
天保拾四歳癸卯九月の銘あり神幸祭に際し宝永、寛保、延享年間以降氏子町各々建鉾を創建しその列に供奉す 其の数拾基を数えり当松月鉾は萬延元庚申歳の創建にして
明治41年大修理を行い建仁寺南門前轆轤町に記録あり
昭和9年再び大改修を行い今日に至る鉾先は創建当時のものにして胴巻飾金具、見送り等は新調せられ氏子随一の譽あり
戦後交通事情等の為鉾を連ねての神幸祭は居祭となるも神幸祭に際しては轆轤町松月會として町民一同心を一にして祭壇を設け鉾を建て町内繁栄を祈念す 昭和53年5月 轆轤町 松月會
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新日吉神宮
永暦元年(1160)、後白河法皇が、その御所法住寺内に比叡山東坂本の日吉山王七社(日吉大社)を勧請したのが当社の始まりである。祭神として、後白河法皇のほか、皇居守護神山王七柱を祀り、酒造、医薬、縁結びの神として信仰を集めている。当初は智積院南側に創建されたが、元和元年(1615)、豊国廟社の破毀とともに旧廟前に移り、更に明治30年(1897)にこの地に移った。社殿は応仁の乱の兵火で焼け、その後しばしば増改築が行われたが、現在の本殿は、天保6年(1835)の改造で、大きな流造である。古くから朝廷の崇敬が厚く、上皇の御幸は108度に及んだといわれ、数多くの天皇の遺物、宸筆を蔵している。また、寛政10年(1798)に妙法院から境内の樹下社に寄進された、長谷川等伯筆と伝わる豊臣秀吉の肖像が保存されている。なお、江戸後期の小沢蘆庵をはじめ、多くの文学者の稿本など近世文学の資料を蘆庵文庫の名で宮司家が保存していることは有名である。京都市
昭和35年 建立
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