小さな神社です
桜宮神社
本社 天照皇大神、春日大神、稲荷大神、御嶽大神、金刀比羅宮、八幡大神、愛宕大神
摂社 宗像三姫大神(大弁財天)
今は去る醍醐天皇の御代(1094年前)延喜10年5月6日北野右近の馬場桜の大樹に紫雲異香薫り、日輪降臨あり、霊宮を造りて天照皇大神を祝祭し、桜宮日降の神明と号せしを始めとす。その後洛陽朱雀の北、近衛の小路(現在地)に遷、座され、当初は桜宮降神明と称され、又桜葉明神、桜宮とも称せられし宮なり。御白河天皇の御代(846年前)桜町中納言成範熱心に参詣し、悟りを得て歌を一首献上す。其の後足利将軍尊氏の長男、義詮(654年前)嗣子の無きを憂いて当社に祈り男子を授かる。鹿苑院義満公なり。義満、故に丁重に詣で、天下一統泰平を祈願せり。御奈良院の御代(470年前)織田信長の生まれし頃、痘疹疫病流行し、当社に祈りて病患を除かれし者多れり。
元禄7年(310年前)但馬の国の住人、荒木氏の妻、十有余年の難病にて苦しみ、此の社霊感あるを聞き、真心込めて祈願せし処、たちどころに感応利益あり、本復を得て拝殿を造営せり。
元禄16年11月16日、時の関白白太政大臣兼煕当社に参詣の折、当社の縁起を記し一巻を奉納せり。今、社宝として納められるは、その一巻なり。また神明町の町名も当社よりの命名なり。
謡曲右近に詳しく当社の由来を描かれ、山州名跡志にも「同所総門外通南北所是也」とあり、京都北野神社総門の外、南北に通ぜし通に桜葉明神社として祭られ、中昔此の地に移る。祭神は当初、天照皇大神を祀り、後世諸氏の信仰にて金刀比羅宮、春日大神、八幡大神、稲荷大神、愛宕大神、御嶽大神を合祀し、別社として大弁財天(宗像三姫大神)を境内に祀り、今の桜宮神社となれり。
平成17年3月 桜宮奉賛会 謹書
井戸 いい水が出そうです
南西の方向を見ています
いい水が湧くところなのか 隣は 豆腐屋さんです
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