明治34年 7月 寄付 玉田 安之助
深江 今朝夫
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鳥辺野
現在は西大谷一帯を指し、古くはこの阿弥陀ケ峰(鳥部山)山麓付近を中心に、北は五条坂付近から南は今熊野付近まで、東山山麓から鴨川にかけてかなり広い地域をいったもので、京の代表的な葬送地である。「鳥辺野の煙」とあるように東宮実仁親王、藤原道長、頼道親子など多くの皇族・貴族がここで荼毘に付された。東三条院詮子(一条天皇の母)の場合、暮れの雪の降る寒い日に鳥辺野で荼毘に付され、遺骨は木幡の墓所へ運び埋葬されている。また中宮定子は遺言により鳥辺野に土葬された。(鳥辺野陵)
『源氏物語』では急死した夕顔のほかに葵上、紫上もここで荼毘に付されている。葵上の葬送の様子を「鳥部野に率て奉るほど、いみじげなること多かり。こなたかなたの御送りの人ども、寺々の念仏僧など、そこら広き野に所もなし」(葵)と描写されている。
なお、この前の坂は阿弥陀ケ峰の頂上(標高196.4m)にある豊臣秀吉墓所(豊国廟)の参道にあたる。
平成20年3月 京都市
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