アートプラス京めぐり

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京都市外も始めました 先ずは京都南部から

寺院東0075  智積院  北門

2016年06月13日 07時04分00秒 | 寺院

 

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道標東0030  豊国廟参道 

2016年06月13日 07時01分13秒 | 道標

 

 

明治34年 7月  寄付  玉田 安之助

 

深江 今朝夫

関連記事  ➡   豊国廟 

前回の道標 記事 ➡  道標北0029   西  龍安寺  仁和寺  小松原にあり  

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まち歩き東0079   鳥辺野(とりべの)  阿弥陀ケ峰(豊国廟)参道

2016年06月13日 06時17分47秒 | まち歩き

 

鳥辺野

現在は西大谷一帯を指し、古くはこの阿弥陀ケ峰(鳥部山)山麓付近を中心に、北は五条坂付近から南は今熊野付近まで、東山山麓から鴨川にかけてかなり広い地域をいったもので、京の代表的な葬送地である。「鳥辺野の煙」とあるように東宮実仁親王、藤原道長、頼道親子など多くの皇族・貴族がここで荼毘に付された。東三条院詮子(一条天皇の母)の場合、暮れの雪の降る寒い日に鳥辺野で荼毘に付され、遺骨は木幡の墓所へ運び埋葬されている。また中宮定子は遺言により鳥辺野に土葬された。(鳥辺野陵)

『源氏物語』では急死した夕顔のほかに葵上紫上もここで荼毘に付されている。葵上の葬送の様子を「鳥部野に率て奉るほど、いみじげなること多かり。こなたかなたの御送りの人ども、寺々の念仏僧など、そこら広き野に所もなし」(葵)と描写されている。

 なお、この前の坂は阿弥陀ケ峰の頂上(標高196.4m)にある豊臣秀吉墓所(豊国廟)の参道にあたる。 

平成20年3月 京都市

関連記事  ➡   豊国廟  

                石碑下0030  夕顔之墳  源語伝説  五条辺  

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