アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

寺院西0121  称念寺  西山浄土宗

2016年06月27日 13時11分37秒 | 寺院

 

お寺の雰囲気が漂う塀が見当たらない

 

寺院 前回の記事 ➡  寺院上0120  福寿院  乾三十三所 第八番  

 


蔵のある風景西0249回  西京区 大枝 塚原町で

2016年06月27日 07時25分34秒 | 蔵のある風景

 

 

  土蔵のことばが 似合いそうだ

 

 

蔵のある風景 前回の記事 ➡ 

          蔵のある風景西0248回  西京区 御陵 付近 

 


石碑西0049  忠魂碑  日露戦争の参戦兵士でしょうか

2016年06月27日 07時11分23秒 | 石碑

道沿いに 草に被われた階段がわずかに見えました

  奥に 石柱のようなものがありました

 

石碑の裏に回ってみました

明治39年(1906)9月1日 建立

建立年から 日露戦争に参戦され戦死された村出身の人たちでしょう

8名の名が記されています

全員 陸軍 です

 関連記事  慰霊碑 戦没碑 ➡    慰霊碑  戦没碑

石碑 前回の記事  ➡ 

 石碑上0048  山崎 闇斎 (やまざき あんさい) 朱子学の第1人者 


神社西0050  兒子神社

2016年06月27日 06時51分26秒 | 神社

 

参道

クスノキ

 

第2鳥居です

 

扁額  兒子神社

 

狛犬 

 

 

 

昭和61年7月 建立

 

手水鉢 左は井戸か

 

拝殿と 本殿

児子神社

塚原宮田にあり、祭神は兒子大国御魂神を祀る。

聖徳太子の幼児の像が祀られてあるので児子神社と呼ばれていると云われている。

寛文11年(1671)に祭祀境内地7反5畝10歩、境内に4社の末社があり、

一説には茨田神社址であるとも云われているが、

大枝の地が宇波多の云われているところからきたものと思われる。

茨田神社とは河川の工事に功績のあった茨田氏を奉祀した神社で、

延喜式神名帖にかかげる【乙訓群茨田神社】で、

其の所在があきらかでないところからのものであろう。

明治6年(1873)、村社に公定される。

 

本殿前の 狛犬 

阿吽の口の開きが反対の位置にあるようです 吽阿の位置にあります

 

末社 稲荷神社

 

末社 猿田彦神社

 

末社  左 水神社

 

神社 前回の記事 ➡ 神社西0049  三ノ宮神社   ここにも三宮神社がありました