蔵のある風景 前回の記事 ➡ 蔵のある風景伏0312回 伏見区 本材木町 付近
川柳
もし猫が口をきけたら客呼べぬ /トリトン
ことわざ
商い三年(あきないさんねん)
商売を始めてから三年くらいたたなければ、利益をあげるまでには至らない。三年は辛抱せよということ。
類・顎振り三年
・売り出し三年
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川柳
もし猫が口をきけたら客呼べぬ /トリトン
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商い三年(あきないさんねん)
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史跡寺田屋
寺田屋は伏見の船宿。
文久2(1862)年4月23日,薩摩藩急進派有馬新七(1825~62)以下35名が関白九条尚忠(1798~1871)と京都所司代の殺害を計画して集結した。薩摩藩は藩士を鎮圧に向かわせたが両者乱闘となり,有馬以下9名が死亡した(寺田屋騒動)。
慶応2(1866)年正月21日坂本龍馬(1836~67)も伏見奉行所の捕方に襲われたが,難を逃れた。この石標は,度々維新史の舞台となった寺田屋を示すものである。寺田屋は鳥羽伏見の戦に罹災し,現在の建物はその後再建したものである。
坂本龍馬の碑
明治37(1904)年2月の日露戦争開戦直前,明治天皇皇后(のちの昭憲皇太后)の夢に坂本龍馬が現れ,日本海軍の勝利は確実だと告げた。皇后はこの夢を坂本の忠魂のなせるものだと,誉めたたえ,偶然に坂本の手紙を持って逓信大臣大浦兼武を訪れた寺田伊助(寺田屋とせ養子)らに手元金を下賜した。寺田伊助らはこの記念に霊山にある坂本龍馬の墓前に石碑を建立し,坂本の忠義を顕彰した。それが京都霊山護国神社にある坂本龍馬忠魂碑であるが,この碑は霊山の碑と体裁・碑文が同一で,霊山の碑の忠実な複製だと思われる。
寺田屋恩賜紀念碑
明治37(1904)年2月の日露戦争開戦直前,明治天皇皇后(のちの昭憲皇太后)の夢に坂本龍馬が現れ,日本海軍の勝利は確実だと告げた。皇后はこの夢を坂本の忠魂のなせるものだと誉めたたえ,偶然に坂本の手紙を持って逓信大臣大浦兼武を訪れた寺田伊助(寺田屋とせ養子)らに坂本を援助した功により手元金を下賜した。寺田伊助らはこの記念に霊山にある坂本龍馬の墓前に忠魂碑を建立し,坂本の忠義を顕彰した。この碑は忠魂碑と同様の趣旨を寺田屋を中心にして記念したものである。
薩藩九烈士遺蹟表
文久2(1862)年4月23日, 薩摩藩士有馬新七らは同藩主の父島津久光が上洛したことを機に,倒幕の兵を挙げようと寺田屋に集結したが、久光は鎮圧のため同藩士を派遣,藩士同士の闘争に及んだ。世にこれを寺田屋騒動という。この事件で死んだ9名は世に九烈士と称され,伏見大黒寺に葬られた。この碑は伏見寺田屋で闘死した薩摩藩士9名を、明治維新のさきがけとして顕彰する碑である。
三十石船とは、江戸時代に淀川を上下した客船である。乗客は、まず船宿に入り、それから乗船していた。寺田屋も有名な船宿の1つで、この付近には多くの船宿が並んでいた。淀川は平安時代以来船運が盛んで豊臣秀吉、次いで徳川家康が過書船の制度を定め、運賃や営業に対し税を課すなど取締りを行い、伏見大手筋には、過書船番所を設けていた。船の大きさは二十石積から三百石積で数百隻が運航し、貨物や旅客を運んでいた。その内三十石船は長さ約17m、幅2.5m船頭4人定員28名の旅客専用船で上りは1日又は一夜下りは半日又は半夜で伏見と大阪天満の間を運航した。船賃は江戸時代中期で約50文、途中枚方に立ち寄る。そこでは船客に「くらわんか」と声をかけながら、餅を売りにきた。そうした風俗や船内の様子は、落語や講談浪曲で有名である。なお三十石船は明治4年(1871)に廃船になった。
寺田屋騒動址
文久2年(1862)4月、尊皇攘夷派の先鋒であった薩摩藩士9名が殺傷されるという明治維新史上有名な寺田屋騒動が起こった所である。当時、薩摩藩には藩主の父、島津久光を中心とする公武合体を奉ずる温和派と、勤王倒幕を主張する急進派との二派があったが、久光に急進派の動きを押さえようとして、兵千余名を率いて京都へ入洛せんとした。これを知った有馬新七ら三十余名の急進派同志は、文久2年(1862)4月23日、関白九条尚忠、所司代酒井忠義を殺害すべく、薩摩藩の船宿であった寺田屋伊助方に集まった。これを知った久光は藩士奈良原ら8名を派遣し、新七らの計画を断念さすべく説得に努めたが失敗、遂に乱闘となり新七ら7名が斬られ、2人は重傷を負い、翌日切腹した。後ろの広場にある殉難碑は明治27年(1894)の建立で、有栖川熾仁親王の筆になる篆額を掲げる。 京都市
伏見寺田屋殉難九烈士之碑
寺田屋の向かいにある船着き場
対岸には 龍馬の銅像が立っています
坂本龍馬 寺田屋からの避難 ➡ 石碑伏0097 坂本龍馬 避難の材木小屋跡
史跡 前回の記事 ➡ 史跡伏018 荷田春満 旧宅 江戸時代の国学者
川柳
もうとまだ60代の選択肢 /アッチ
ことわざ
空き樽は音が高い(あきだるはおとがたかい)
空の樽はたたくと高い音がすることから、中身のない、内容空疎な人間ほどよくしゃべり、周囲をうるさがらせることのたとえ。
類・浅瀬に仇浪
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まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き伏0334 江戸時代の名残がある伏見の町名
川柳
また明日ミスすりゃ消える今日のミス /椿
ことわざ
明るけりゃ月夜だと思う(あかるけりゃつきよだとおもう)
夜、外が明るければ、すべて月夜だと思うこと。考えが単純で物事を知らないこと。深く考えないのんきな者を嘲笑することば。
類・明るけりゃ盆
・団子さえ食えば彼岸だと思う
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伏見区 過書町
まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き伏0333 伏見 角倉橋 旧高瀬川
川柳
立候補よほどいいことあるらしい /鈴木
ことわざ
赤子の手をひねる(あかごのてをひねる)
赤ん坊の手をひねるように、たやすくできることのたとえ。また、抵抗する力ないの力量が劣る者をたやすく打ち負かすたとえ。
類・赤子の腕をねじる
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