僕の憂国
2006-06-08 | 時事
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小谷野敦の呼びかけに応じてJR東日本に抗議文を送る。
https://voice.jreast.co.jp/user_input.asp
来春から、新幹線・在来線特急の全面禁煙に踏み切る旨報道で知りました。
全面禁煙は社会的ないじめであると思います。私は喫煙者ではありませんが、全面禁煙の強引さと無機質さに恐ろしさを覚えます。無自覚に正当性があると考えているから、こういう結論に至る人間の暴力性が現れるのです。貴社はそういう配慮に無自覚であると表明しているようなものであると感じます。ぜひ実施には再考を促す為、抗議いたします。それが本来の顧客サービスとしての公的な会社の使命であるはずだと信じるからです。
僕は温厚な性格なので、抗議するって意外と難しいものだと感じる。面白半分ではないが、あんがい勇気もいる。放っておいても、見ない振りしても、実は遠い場所の話だから、すぐに自分自身に影響のあることではないのかもしれない。正直言ってわずらわしい問題に首を突っ込みたくない気もする。そういう意味ではちょっと二の足を踏んだが、こういう世の中の流れは本当に気に食わないのも確かだ。子供の将来のためにも、日本の憂国の士として行動をおこさねばならない。元喫煙者ほど愛煙家に手の平を返したように厳しくなるという。そういうことから考えても、僕の存在は貴重ではないかと自分で思う。
タバコの害が明らかだという論調もあるが、車の排ガスの害も明らかである。排気ガスを吸い込んで自殺する人もあるぐらいである。長年にわたり直接肺に吸い込んでやっと病気になる可能性程度に、ニコチンの害は影響力が弱いことが科学的に証明されている。そう考えるほうがどう考えてもまともな現代人の科学的態度だと思う。また、ニコチンの影響を受ける人と受けない人の個人差があることも分かっている。むやみに危機感をあおるのは恫喝行為に他ならない。人間としての品格にもとるのではないか。
勿論不快な人がいるということを考慮して、徹底してマナーを守るということは必要だ。公共性が高い場所であるからこそ、喫煙場所を確保する必要がそこに生まれるのである。禁止してあとは知らん、という態度は、一方的にマナーを無視するファシズムであろう。
また、悪癖であろうと、人間という生き物の証明である文化を守ることは大切なことだ。嫌煙運動は原理主義的なタリバンの破壊行動に似ている。それでは絶対に未来永劫解決はしない。人間の歴史がそう証明しているではないか。人類の将来のためにも、共存することが人間の叡智であろう。