カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

オラは先に行くダ

2006-06-23 | 時事

 早起きしたので眠い。特段良い試合だったわけではないけれど、考えさせられることも多かった。リアルな出来事なのか、わからなくなった。
 ポイントはなんといってもロスタイムにもかかわらず完全にマークをしない浮き足立つ感覚だったのではないか。わかっているけど、ああなってしまう。障子に穴を開けてはいけないのだけれど、どうしても指を突っ込んでしまう。あけてしまったら取り返しはつかない。どうしようもなくなっていつまでも後悔し続ける。精神科の患者さんと行動パターンは一緒である。そうなるほどの舞台だということなのだろう。
 後半のカカのロングシュートも、正面に近いから逆に川口が反応しすぎてボールをよけるような体勢になったように見えた。あれで何かが完全に切れたようになった。逆転されてかえって安心したような妙な時間が流れた。
 試合後のインタビューで玉田選手が「得点したので本気にさせた」と語った。それはそうかもしれないが、そういう感じが最大の敗因ではないかとも思う。強い精神力とは、そうなって更に気持ちが引き締まってやる気になることだろう。猫を噛んだあとに後悔しても仕方がない。
 日本がボールを持ったときの方が、急に緊張感の走るのが感じられた。勿論相手のプレッシャーがきつくなるのもあろうが、見ていても自滅が容易に予想される。そしてその通りミスをする。もう負けることはわかっている。しかしそれでもやらなくてはならないことはある。もう失ったのだから怖くないじゃないか。僕はそういいたかった。
 世界との差が云々という話がある。実際のところそう感じはするけれど、能力的にはかなりいいところまで行っているのである。惜しい試合ならできるという能力なのではないと思う。確かにブラジルとなら、百回やっても九十何回かは負けるのかもしれない。しかし何回かは勝てる。本割で、その何回かを持ってこれるかどうかだ。

 日本人論にもっていくのは悪い癖のだけれど、日本がサッカーで勝てないという精神性がありそうな気がしてしまう。しかしそれは、日本の国という幸福感につながる特性でもあるのではないか。弱いからこそここまで発展することが可能になったということはないのだろうか。戦後の奇跡の復興は、いろんな幸運もあったにせよ、日本という国で起こったことは間違いがない。そして恐らく日本でないと、こういう現在にはならなかっただろうと思う。ボールゲームで強くなることで、日本という国は何かを失うのではないか。そうでなければ勝てない世界なのではないか。サッカーを強くするには、そういう犠牲を払わなければ、ならないような気がする。それを日本が望むかどうか。
 日本が弱いままでいいとは思わないけれど、是が非でも強くなければならないというのは、なんだかもう少し考えたほうがいいような気もする。ラグビーの清宮監督のような人は、どのように考えるだろうか。
 もう少し発想を転換させなければならない。これからを考えるとはそういうことではないかと思う。僕ももう少し考えてみよう。しかし、それで僕のいうことを誰が聞いてくれるかという最大の課題もあるのだが、考えるのは自由なのでやってみよう。少なくともそういうことを考えていると、日本の敗戦の脱力感から抜け出せる気がする。お先に失礼である。

コメント
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