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朝からスパムメールを削除する日課である。月曜は特にひどくて、今週は200通あまり。今朝は70通だよ。いやんなっちゃうね。昔はメールが来てると嬉しかったけれど、おかげでちっとも嬉しくなくなっちゃったよ。
HPにメールアドレスなどを公表すると、そういうアドレスを検索できるソフトがあって、それを元にメールを出すということらしい。他にも方法はあるのだろうけれど、僕はそういうこと自体は詳しくない。ある意味ではご苦労なことではあるが、こちらだって苦労する。
しかしながらどんどん削除するのは不安も付きまとう。宛名がなかったりするものは遠慮なく削除するので、知り合いのものも削除した可能性は捨てきれない。実際そういうこともあったようで、不義理をしている可能性がある。それでも削除せざるをえないのは、スパムに付随するウイルスが怖いからである。開かなければほとんど心配ないという話を聞いたことがあるので削除しているわけで、不義理よりパソコンの調子、ということもいえるのかもしれない。なんだか自分が人情味のない人間のように思えてきた。僕の中の冷酷の発見である。
添付のないメールならそう簡単に感染しないという話も聞いたことはあるが、誰が言っていたことか忘れたのでとりあえず信用していない。「君子危うきに近寄らず」である。僕は冷酷なだけでなく鳥の心臓をもっているらしい。普段は「石橋を叩いて渡る」なんてことは落ちてから考えるタイプの生き方をしているくせに、我ながら矛盾している。
それにしても出会い系関係というのだろうか。その手の客引きメールがこれだけ存在することは脅威である。宛名が女性の名前で「連絡をまっています」というオーソドックスなものから、編集部のようなところから「100万円当選」というようなものまで多彩である。一時期(今もだけど)人助けと称して性の相手をして欲しいという趣旨のものが大量に来たが、やはり効果があるということなのだろうか。ある意味では意表をついて上手い手法といえたかもしれないが、これだけ大量に来ると、流石にネタバレだということもある程度は知っているのではないかと思うのだが…。こんなのに引っかかるのはバカ野郎だ、なんて思っている(だろうと思うよ)くせにコツコツこういうコンテンツを作っている人がいるという卑屈さに呆れてしまう。
聞くところによると出会い系サイトを紹介するまでが仕事のスパム配信業者もあるらしい。僕は調べ方は知らないが、一度海外のサーバーなどを経由して(実は仕組みがよくわかんないんだけど)配信しているということも聞く。自分が見つからないようにして大量のメールを出すというのは真に卑怯な行為だと思うが、やはり商売なのであろう。いや、厳密にいうと詐欺幇助のようなことなのだろうが…。
メール送信に関しては、お金がかからない(厳密には電気代がかかるが)上に、匿名性という盾がある。それでも調べる方法はあるのだろうが、僕のような人間にはそういう複雑性にチャレンジする勇気が足りない。そうすると、こういう被害は実際に被害にあわない限り、当局(ってどこだろう。本当に世の中複雑だ)が摘発するというようなことはないのかもしれない。いつまでも泣き寝入りかスパム対策。というわけで、毎朝メールを削除する日課は、現代人に科される任務となったのである。
職場でも毎日大量のダイレクトメールをゴミ箱に捨てる。最近は燃やせないので、処分にお金がかかっているわけで、被害があるという考え方もできる。営業の人も、本当に山の中までご苦労さんというぐらいたくさん来る。そしてせっかく来た所為か、結構しつこい。本当に時間がもったいない。必要なものを買うということより、不必要でも買わせたいということなのであろう。物を売るということが、それだけ供給過剰になっているということだ。僕はあるとき100円ショップにいって大量のものに囲まれていて、更に欲しいものがない状態におかれて、ふと考えてしまった。買うことが絶対的に可能であって、それでも買わないという消費者にものを売らなければならないという社会システムになっているのである。これでは商売が難しいわけである。
一方では売れるものというものは確かに存在するわけで、営業元では恐らく上司がそのように発破をかけているに違いない。仕事とはいえお気の毒である。日本人の平均寿命を下げるほど自殺者が増えたというが、無理を強いられて脱落した人もその中にいるのではないか。更にお気の毒な気がしてならない。何も死ぬことはないではないか。
先週聞いたセミナーでは、コンビニで廃棄される弁当が日本全国でウン千億円という計算をしておられた。本当かもしれない。過剰でもったいない限りだが、それを顧客サービスだからとか、最新の経営戦略だというのかもしれない。客のニーズにこたえる正義の前では、仕方のないことなのだろうか。つれあいは、こういう現実を前に「日本は、いつかバチが当たるにちがいないと思う」といっていた。どんなバチかはわからないけれど、僕は彼女の予言能力を知っているので、更に恐ろしい。細木数子より恐ろしい。
スパムメールからだいぶ展開してしまったけれど、こういう社会システムは、結局崩壊する運命なのではないかと思う。日本の豊かさはこのままでは間違いなく崩壊するのではないかと危惧するものである。しかし、ものがあふれたままでもったいないを教育することは、実際上困難だ。何しろいくらでも供給可能なのだから、実際にはリサイクルするなどしたほうがコストではもったいない、なんて笑えない現実があるくらいだ。
最近ではロハスなんてこともトレンドとして言われているけれど、モノは過剰とはいえ精神性は貧しいのだから、実行する人は、やはり限定的なものになるのではないか。また、単にマーケットの開拓としてロハスを利用している感じもして、やっぱり食指が動かない。僕個人としては、もう少し純粋性を求めたいところである。
それにしても靖国参拝で中国貿易が冷え込み、いくら損したとソロバンを叩く世論のある国である。いや、そう考えたっていいけれど、僕が気がかりなのは、そういう議論の方が難しい問題を議論するより人を説得してしまうような気がすることである。そういう感覚はなんとも嘆かわしい限りだが、そんなこといわれても損は損だと反論するのだろうか。そんな考え方のほうが、貧しいと思うけどねえ…。