カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

サンシャイン2057

2009-09-03 | 時事
サンシャイン2057予告



サンシャイン2057/ダニー・ボイル監督

 太陽活動の衰えにより地球が氷に閉ざされた未来で、宇宙船で運んだ核弾頭を太陽に打ち込んで活動を活発化させようという計画を描いたSF映画。
 最初はその通りの展開で、宇宙船を守るための犠牲が感動的に描かれていたりして正当なSF感のある流れだったものが、先に第一弾として旅立ったまま何らかの事故で漂流したままになっていた宇宙船との遭遇から、一気にホラー映画になってしまうという、一粒で二度美味しい(?)という欲張り映画になっていた。
 宇宙空間による閉塞感と、灼熱の太陽光線という更なる関門の中での人間ドラマということで、まあ、この展開は逆にまっとうなのかもしれないとは思った。やたらにフラッシュバックが多用されているのは、ちょっとわずらわしい感じもしたのは正直なところだが、それなりの緊張感で引っ張るサスペンスとしては、成功しているのかもしれない。
 しかし、やっぱりこういう映画を見ると、いまさらながらに「エイリアン」という映画は名作だったなあと、関係なく思う。こういう要素をそれこそまんべんなく発揮してつくられた基本形になっていることが分かる。
 しかしながら最近の宇宙ものはやたらに自己犠牲が多いなあとも思う。逆にエゴも際立つということもあるのかもしれないが、命をかけたミッションなんだから、託して死ぬという気分にでもなるということなんだろうか。またはなんとなく役者サービスのような気もしないでは無くて、死に徳という役柄の人がいるのはどうしたものか。いや、実は例の映画を指していっているのだが、いい人じゃない方が魅力あると僕は思うのだけれどね。変にいい人ぶるよりずっといいのに。まあ、しかし、この映画はその感動をある意味で後半に台無しにすることもあって、監督さんは変わっている人らしいということが偲ばれて好感がもてたということなのだった。


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歩いても 歩いても

2009-09-03 | 映画
2009/04/03 ?山家之味 STILL WALKING 歩いても 歩いても



歩いても 歩いても/是枝裕和監督

 これは外国人にウケる映画づくりだなあ、とまずは思った。もちろん是枝監督は狙っているはずである。しかし、日本人が観ても面白いのである。上手いというか洗練されている。こういう不思議の国の日本というのは、外国人にはたまらない情景だし、日本人にはあるある大辞典なのかもしれない。正直言うと少し鼻についたのは確かだけれど、どうしても真剣に観てしまうというか、引き込まれていったのも確かであって、そして、いい映画を観たなあという満足感もしっかりしているのであった。役者さん達がうまく絡み合っていて、普段は決して演技が上手く見えない人たち(誰とはいわない)まで、実に見事な演技だったなと思わせられたのだった。素晴らしい化学反応を生み出すという意味で、監督の力量が高いことは間違いが無い。
 どこの家庭にもありそうな情景が続いていくだけの話ではあるが、しかしこの映画の肝はホラーだという感じもある。実際にかなり怖い思いをするのだが、そのひずみ自体もそれなりに大きいのであって、やはりそれは本当にどこの家庭にも潜んでいる闇のような怨念なのかというと、少し僕は考え込んだ。女は怖いとひとことでいうと、実にそうなのではあるけれど、「歩いても、歩いても」というネタばらしもかなり怖いことは確かだ。そういうものをみんなの前でさりげなくさらけ出していて、そして秘密なのだ。うーん、見事だ。そして母の運命に対する怨念。おばあちゃんの家の呪いの映画ということなのだった。

 子供の頃におじいちゃんの家に泊がけで遊びに行くと、大人たちは一緒になって何か話をしていたようなのだが、僕はその話の内容がどうしても思い出せないのだった。大きくなったとか、何歳になったというのは、聞かれて返事をした様な気もするが、それ以外にはいったい何を話していたというのだろう。母を含む女たちが土間のある台所で何かつくっているところに行くと危ないといって追い出されるし、父を含む男たちがビールだか酒だとかを飲んでいるそばは、匂いがくさくて近寄りがたかった。仏壇は威圧的で嫌いだったし、外に出ると牛がモーと鳴いて恐ろしかった。きょうだいやいとこと遊んだのだろうが、何をしたのかというのもはっきりしない。兄が巣箱を作って木に掛けていたのだが、時々その巣箱の穴を何度も覗きに行ったということだけはなんとなく覚えている。何度見に行っても鳥はいなくて(ついたこともあったのだろうが、季節の関係だろう)とても残念なのだった。そのうちおじいちゃんは死んで、かえってそれまでより頻繁におじいちゃんの家に行くようになった(一時だが)。あれは楽しくて通ったのかどうなのかさえよく分からない。牛もいつの間にか居なくなったようだった。
 親戚づきあいがあったのは、僕のほんの子供時代だったような気がする。高学年になるとわずらわしくなっていかなくなったのかどうか分からないけれど、少なくとも別段行きたい場所でもなかった。少ない親戚とはいえ、おじさんたちやおばさんたちの名前がどうしても覚えられないのだった。そうして、結局何を話していいのか分からないのだった。

 映画を観ていると、こんなにいろいろ話をするものなのかという感じもした。僕には親戚と話をするというのがどうもよく分からない。最近であっても、何を話していいかよく分からないし、酒でも飲んでなければ話が弾むこともたぶんあるまい。親戚づきあいが煩わしいとかいうようなことはもちろんあるけれど、その前に、映画のような親密な関係や感情が僕にはすでにないのかもしれない。墓参りは、行かなければ叱られるのでいくだけのことで、行っただけのことに何の感情も持たない。子供はいくらか熱心に手を合わせているのを見ていると、僕とは育ちが違うらしいなとは思う。
 この情景が日本的なのかどうかということについては、僕自身も外国人のようなものなので、結局はよく分からないのかもしれない。しかし、あんがい僕のような感情も持っているようなところも見て取れて、日本というものは遠くにありき、ということなんだろうと思ったのだった。
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