映画「おくりびと」\"Okuribito\" HD Trailer 1
おくりびと/滝田洋二郎監督
いろいろ賞をとって話題になった。予告編を見てもその内容はおおかたわかることだろうし、その通りだったともいえる。その仕事の特異さもあるが、主人公の特殊性と絡めて、非常にまとまりのいい作品になっている。
多少の人間的な偏見は気にはなったが、一般的にはそんな感覚のものなのかもしれない。他人の死を忌み嫌うというのはなんとなく理解できるが、実際に葬式のような場面でそのような感情があるというのは、僕のような現代人にはまったく分からない感覚ではあるのだった。また、死体を扱うからどうだということをいうのは、中学生ならまだしも、一般の人でそのような人が居ること自体が、僕にはよく分からないのだった。少なからず人の死を身近に体験した人なら誰でも感じることだろうけれど、人は死んだからといって、そう簡単に不潔だとか不純な存在に変化しない。確かに時間がたつと冷たくなったり硬直したりして、だいぶ変わってしまう感じはしないではないが、肉親であれば特に、火葬するまえまでは、本当にそうしていいのか戸惑うような感覚を引きずることも多いのではないか。むしろそんな感じを持って映画を観ていたので、登場人物たちの微妙な戸惑いは、なんとなく不思議だった。音楽家(のような不安定な職業)で生きていくより、実際に身のある仕事という感じがするくらいで、主人公がヤクザな世界から堅気になっていく成長物語としても通る話ではなかったかとさえ思うのである。
さて、しかしそういう思惑で撮られているものではなかったのだが、さらに納棺師という特殊な仕事があるのも、九州に暮らしている僕にとってはかなり不思議な感覚はあった。人はどこで死ぬのかということになると、現在は圧倒的に病院でということが考えられる。病院で亡くなると、霊安室という部屋に運ばれる。たいていはそこで看護婦(師)が体の清拭や簡単な化粧まで済ませてくれるのが一般的である。死化粧については家族が施す場合もあるようだが、大抵は病院で既に行っているのが現状ではないだろうか。もちろん決まりなどないだろうから、その場の状況をおもんばかって、いつの間にかそうなっているのではあるまいか。あるいはその時に呼んだ葬儀屋によっては、死化粧の専門家なり納棺師というような人を別に紹介する場合もあるのかもしれない。それなりに人の死には立ち会ってきたが、僕はそういうことを知らないだけかもしれない。
そういう変わった風習のある地方の話なのかもしれないのだが、映画の主眼とする捉え方としては、その仕事が確かに美しい。山崎勉の立ちふるまいに感銘を受け、モックンがその動きを含め精神性をマスターしていく。この仕事が月に50万(最低限)もの給与に値するのかどうかは僕には脅威に思えたけれど、一種の舞踊としての芸の高みを感じさせる。世界中にホモのファンがいる(「シコふんじゃった」でその姿がウケた所為である)モックンの裸体も披露されており、喜んだ人も多かったことだろう。そうした広い支持層がアカデミー会員にも多かったということがあったらしく、見事に劇場公開前(海外では)の作品で賞を取るというような事態にまで発展した。面白い出来事だったと思う。
もちろん僕はこの映画をずいぶん前から観たいと思っていた。けっこう泣ける映画だという評判も聞いていた。結論をいうとたいして泣ける映画なのではなかったが、白子を塩だけであぶって食べたり、チキンを鷲掴みにして食べてみたり、あったかい洋酒で一杯やったり、たまには銭湯に入ってみたりしたくなるという映画ではあった。また、頂きに雪が残るような高い山のある風景のある町に住んでみたいような気がしないではなかったが、やはり僕は寒いのは苦手だから、すぐに嫌になってしまうのかもしれないと思った。
おくりびと/滝田洋二郎監督
いろいろ賞をとって話題になった。予告編を見てもその内容はおおかたわかることだろうし、その通りだったともいえる。その仕事の特異さもあるが、主人公の特殊性と絡めて、非常にまとまりのいい作品になっている。
多少の人間的な偏見は気にはなったが、一般的にはそんな感覚のものなのかもしれない。他人の死を忌み嫌うというのはなんとなく理解できるが、実際に葬式のような場面でそのような感情があるというのは、僕のような現代人にはまったく分からない感覚ではあるのだった。また、死体を扱うからどうだということをいうのは、中学生ならまだしも、一般の人でそのような人が居ること自体が、僕にはよく分からないのだった。少なからず人の死を身近に体験した人なら誰でも感じることだろうけれど、人は死んだからといって、そう簡単に不潔だとか不純な存在に変化しない。確かに時間がたつと冷たくなったり硬直したりして、だいぶ変わってしまう感じはしないではないが、肉親であれば特に、火葬するまえまでは、本当にそうしていいのか戸惑うような感覚を引きずることも多いのではないか。むしろそんな感じを持って映画を観ていたので、登場人物たちの微妙な戸惑いは、なんとなく不思議だった。音楽家(のような不安定な職業)で生きていくより、実際に身のある仕事という感じがするくらいで、主人公がヤクザな世界から堅気になっていく成長物語としても通る話ではなかったかとさえ思うのである。
さて、しかしそういう思惑で撮られているものではなかったのだが、さらに納棺師という特殊な仕事があるのも、九州に暮らしている僕にとってはかなり不思議な感覚はあった。人はどこで死ぬのかということになると、現在は圧倒的に病院でということが考えられる。病院で亡くなると、霊安室という部屋に運ばれる。たいていはそこで看護婦(師)が体の清拭や簡単な化粧まで済ませてくれるのが一般的である。死化粧については家族が施す場合もあるようだが、大抵は病院で既に行っているのが現状ではないだろうか。もちろん決まりなどないだろうから、その場の状況をおもんばかって、いつの間にかそうなっているのではあるまいか。あるいはその時に呼んだ葬儀屋によっては、死化粧の専門家なり納棺師というような人を別に紹介する場合もあるのかもしれない。それなりに人の死には立ち会ってきたが、僕はそういうことを知らないだけかもしれない。
そういう変わった風習のある地方の話なのかもしれないのだが、映画の主眼とする捉え方としては、その仕事が確かに美しい。山崎勉の立ちふるまいに感銘を受け、モックンがその動きを含め精神性をマスターしていく。この仕事が月に50万(最低限)もの給与に値するのかどうかは僕には脅威に思えたけれど、一種の舞踊としての芸の高みを感じさせる。世界中にホモのファンがいる(「シコふんじゃった」でその姿がウケた所為である)モックンの裸体も披露されており、喜んだ人も多かったことだろう。そうした広い支持層がアカデミー会員にも多かったということがあったらしく、見事に劇場公開前(海外では)の作品で賞を取るというような事態にまで発展した。面白い出来事だったと思う。
もちろん僕はこの映画をずいぶん前から観たいと思っていた。けっこう泣ける映画だという評判も聞いていた。結論をいうとたいして泣ける映画なのではなかったが、白子を塩だけであぶって食べたり、チキンを鷲掴みにして食べてみたり、あったかい洋酒で一杯やったり、たまには銭湯に入ってみたりしたくなるという映画ではあった。また、頂きに雪が残るような高い山のある風景のある町に住んでみたいような気がしないではなかったが、やはり僕は寒いのは苦手だから、すぐに嫌になってしまうのかもしれないと思った。