カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

絶望の中にも希望を捨てない   生存

2025-01-14 | 読書

生存/原作:福本伸行・作画:かわぐちかいじ(講談社)

 3巻ある漫画。「告白」を読んで、他にもこのタッグの作品があることを知って読んだ。娘は行方不明のまま14年が経過している。妻も癌のために他界した。そんな折、自分にも癌が見つかり、余命いくばくかしか残されていないことを知る。忙しさに逃げて、妻の事や娘のことを、当時はないがしろにしてきたという思いもあるし、絶望も重なり、自殺を図ろうとするその時、電話がなって娘の遺体が発見されたと知らされる。娘は何者かに殺され埋められていたのだ。娘の失踪と殺されたであろう事件の推移から、ちょうど自分の余命と同じくらいで時効を迎える事件だと知る。残りの命を懸けて、警察もほぼさじを投げている殺人事件の謎を追うことになる。当時娘は長野の美術館へ足を運んでいたらしいことまで分かって現地に赴くが、何しろ14年という歳月が流れている。当時繋がりのあった人々の証言もあやふやで、確証の得られる足跡はなかなか辿れなかった。藁をもつかむような思いで、当時の現地で撮った写真などを見せてもらう中に、後ろ姿だが娘のものらしいものと、一緒に写っている男と、そうして二人が向かっている方向に、特色のある色の車の写真が見つかる。男はこの写真が娘と事件を解くカギだと直感するが、警察からは思い込みだと一蹴されてしまう。しかし警察の中には、過去に時効で逃げられた苦い思いを抱く刑事もいて、さらに目撃情報を募るビラなどをもとに、新たな証言を得ることになるのだったが……。
 前半は、地道な証拠をたどる娘の足取りを追う物語で、後半は一気に犯人と対峙する心理戦へともつれていく。時効をめぐるタイムリミットのある中で、娘が実際に殺された時間を確定することが、非常に重要な問題になっている。また、それらをめぐる心理戦において、激しい駆け引きのやり取りが行われる訳だ。
 この作品も案外に狭い範囲での人間関係においてのドラマがある訳で、意外性も含めて、実によく練られた組み立てになっている。犯人の側にも、捜査の側にも、二転三転と有利や不利な物事が明らかにされていく。そのたびに泣き笑いが逆転しまくることになる。娘は既に死んでいるわけだが、死んでもなお、重要な役割を演じることにもなる。そこのあたりの使い方が、なんとも言えず漫画的にもドラマチックだ。
 しかしながら、こういう倫理的な駆け引きのドラマを、よくもまあ考えつくものだと感心してしまう。ある意味で人間らしいともいえるのかもしれないが、恐ろしい事でもある。それが娯楽でもある訳で、人間というのは実に変な生き物だと感慨を深めることにもなろう。一気読み必然の物語なのであった。
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